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伊勢神宮の巫女について教えてください

個人的興味で調べている範囲近くの話になるのですが 伊勢神宮の巫女と、その制度の歴史について教えてください ヤマトタケルの叔母さんにあたる 倭姫命をきっかけに生まれたあたりはちょっと読んだことがあるのですが 結構わからない事があるのですが、特に ・斎宮の制度の誕生の経緯 ・神職が男性中心に移っていく過程 あたりの資料がどこにあるのか全然わかりません どなたか詳しい方がいらっしゃれば少しでもよいので情報を頂ければと思います

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  • pri_tama
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回答No.1

>斎宮の制度の誕生の経緯  壬申の乱で勝利した天武天皇が、皇祖神を祀る伊勢神宮との関係を深め、その権威で皇親政治を進めようとしたからでは?  (皇族同士の内乱で、しかも反乱側の大海人皇子[天武天皇]が勝利したのですから、正統性の補強が必要だったからでは?)  また伊勢神宮の側にしても壬申の乱で折角支援したんですから、下記の様に見返りが欲しかったんでしょし…。  天皇家の守護神であり、祖先神とみなされた天照大神をまつる神社なので、他の神社とは違うと、一目でわかる扱いが必要でした。  その意味では、斎王の役割は、伊勢神宮が他の神社と違うのだ、ということを明らかにすること、だったといえるでしょう。    http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/saiku/qa/answer.htm#saiou10 >神職が男性中心に移っていく過程  Qなぜ斎王制度は廃絶してしまったの?  A斎王制度は天皇を中心とする律令国家を神祇の側面で権威づけるために必要な制度であったと考えられ、飛鳥時代に始まり、平安時代の前期の9世紀前半には制度的に完成・安定します。  しかし9世紀後半の摂関政治期以降律令制度そのものが弱体化、変質して行くにともない、斎王制度の形骸化がはじまり、11世紀後半の院政期に一時的な必要性を持つものの、鎌倉時代には天皇の実権が小さくなると斎王制度の存在意義はますます形骸化されます。  ところが天皇親政の復興をめざした後醍醐天皇の建武政権が成立すると、その象徴のひとつとして斎王制度を重視しますが、その時に卜定された斎王が最後となり、建武政権瓦解と共に斎王制度も終焉をむかえます。    http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/saiku/qa/answer.htm#saiou23  Q今、伊勢神宮に斎王はいないの?  Aいません。斎王の制度は、13世紀の前半になくなりました。以後、朝廷と伊勢神宮の仲介役となったのは、祭主(さいしゅ)です。  祭主は平安時代にはあった制度で、大中臣(おおなかとみ)氏という貴族の中から男性が任命され、神宮の責任者として京と伊勢を往復していました。  この制度は江戸時代の末まで続きましたが、明治に男性の皇族の役職となります。さらに戦後に、伊勢神宮が宗教法人として独立してからは、元皇族の女性が任命されて、現在に至っています。    http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/saiku/qa/answer.htm#saiou15

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