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音声

音声とは存在なのでしょうか? 声は分解すれば音となる 音が感性的符号としての意味をもつならば 声は意識としての存在性をもつのでしょうか?

みんなの回答

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.5

>音声とは存在なのでしょうか? ○ 発せられた音も創造物ですから存在といえますね。 神社で拍手を打ちますが、あの拍手の音は一瞬にして周りを浄化するのですね。 すさまじい存在ですね。 >声は意識としての存在性をもつのでしょうか? ○ 文章といての声、音は合目的に作られた創造物ですからそれ自身に意思は内在していますね。 古くから言霊と読んでいますが、お経を唱えることによる音もそれ自身が意思ですから利益があるわけです。利益がなければお経など独唱したり、唱和する意味などありません。あるから唱えるのですね。 お経などのように良い言葉だけではありませんね。悪い言葉もたくさんあります、破壊的言葉はそれ自体が世界を破壊する存在ですね。だから多くの人が正しい良き本を読み、良き考えで、良き言葉を多く発することが世界が存続する必要条件なのですね。

noname#156094
質問者

お礼

ありがとうございます。 現実から答えてゆくところが、いかにもmmkyさんらしいですね。 「阿」には触れずに、「阿」を「有」の面から様々に切り取って表してゆくという事なのでしょう。 それは分かり易く確定的なものです。 私の場合は、「有」の面をいつも疑がっているようなものです。 疑うということは、事象の因縁所生の空性に至らぬという事なのでしょう。 当分まだそんな状態が続きそうです。 宗教に付随する、おびただしい感性的要素には相応の意味が込められていると思います。 それらのもつ結果だけではなく、経過も教えていただけるとありがたいですね。 とりあえずはお礼までとさせていただきます。

noname#194996
noname#194996
回答No.4

私の思いでは、あらゆるものが時と波動(エネルギー)のかかわりの中で生まれ、つかの間存在するようにみえてやがて消え去っていく現象に過ぎないと考えられます。音声も、星の光も、古代の壷も、アルプスの山頂の巨大岩石もその意味では存在であり、無であるともいえます。 >声は意識としての存在性をもつのでしょうか? 仰る意味が分かり難いのですが、発した側が一度なり意識したものなら、受け手が居なくてもその存在性は否定できないでしょう。

noname#156094
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • MOG56222
  • ベストアンサー率12% (6/50)
回答No.3

>音が感性的符号としての意味をもつならば 直感的判断において音も符号として寄与しているという意味でしょうか? >声は意識としての存在性をもつのでしょうか? 音の集まりである声は呼び覚ます符号の構造体であり、意識とみなせるのではないかという意味でしょうか? 密教を背景にしたご質問と考えてよろしいでしょうか? 補足よろしくお願いいたします。

noname#156094
質問者

お礼

ありがとうございます。 >音が感性的符号としての意味をもつならば 音は感性言語以前の符号としての働きをもつ、と考えられます。 概念以前の感性的把握の象徴として作用する、というものです。 一音であっても、無量の意味合いを有するという可能性もあります。 ただし、その象徴性を成し得るのは高次の直観の働き(照合)によるものと思われます。 >直感的判断において音も符号として寄与しているという意味でしょうか? 音が符号として寄与しているというのは、既に符号に象徴性が与えられているという状態においてもたらされると考えられます。 意識の確定に至る働きの中において、直観による照合と選択が速やかに一度で済むという場合をさすものです。 そうした意味合いでしたら正しいと思います。 >音の集まりである声は呼び覚ます符号の構造体であり、意識とみなせるのではないかという意味でしょうか? そう捉えられてもよいと思います。 ただし、能動性をもった意識としての存在性をもつのか?ということです。 そのへんはお聞かせ願いたいところです。

noname#156094
質問者

補足

声字実相義及び吽字義において、既に明白であると考えています。 しかし、全ての文字や音声が法身から生じたものであり、説法である と言い切ってしまえば、ただの宗教的思想と片付けられてしまう怖れがあるように思われます。 私は先徳の教えのアプローチを直接の形ではなく提示しておいてもよいのではないかという意味と 自分なりに教えを咀嚼するのに意見を求める意味から、この質問を立てました。 「文字の所在は六塵にあり、六塵のもとは法仏の三密にあり」 このへんのところを、意識や感覚や直観の働き、といったところから噛み砕いてみたい気がします。 自由なご意見をお待ちしています。

noname#194289
noname#194289
回答No.2

楽器から出てくる音と同じ(意味があるの)ではないでしょうか。

noname#156094
質問者

お礼

音符は音による符号です その符号の羅列を奏でることは 意識から身体へ、身体の延長から発せられたものという事において 意識が事象に対する感性的凝縮を成し得た存在性をもつ とも考えられます。 ですが 人や生き物の発声には、もっと直接的な存在性があるものと思われます。 ありがとうございました。

回答No.1

音も光も波動です(振動数によって揺らすモノが違うだけで)。 あなたの見ている世界(視覚的映像)と同じ程度には、 音による意味性も存在の要素です。 五感のうち、触角や味覚のように、直接的・生理的な感受に 対して、光や音といった先行的な情報媒体による、遠隔的 予測として、空間的広がりを感得させるものとして。

noname#156094
質問者

お礼

ありがとうございます。

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