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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:性行為は煩悩なのか)

性行為の煩悩とは?健全な行為も含むか

このQ&Aのポイント
  • 性行為に対する煩悩の定義について考えてみました。子作りのSEXなどは正常な営みといえるため、現状ではこれは煩悩ではないと考えられます。
  • それ以外の健全な性行為についても煩悩でないのか考えてみました。アイドルなどに入れ込んでブロマイドなどを集めることや自慰行為をすることを例に挙げました。
  • 日常生活を妨げるようになると、これらの行為も煩悩になるのでしょうか。智慧の一つとして日常生活を豊かにすることも大切です。

質問者が選んだベストアンサー

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  • miko-desi
  • ベストアンサー率19% (69/352)
回答No.14

「自分さえ」満足に至れば結果オーライとする?煩悩は いうなれば「虚無存在に対する不安」を紛らわせるもの。 煩悩の対極は「人気者」になって い る こと。 出世は「共生関係」を構築し培うこと。 難しく考えなくても、男なら女を、女なら男を喜ばせれば健全ですしいいことで。 それがわからないなら独立精神とか自立心とか自己探求しなきゃならなくなります。 「滅却」の方法は身内、親族に冷たく、 あかの他人(窮したとき助けてもらえる期待もなく)等しく優しくなりましょう。 正義にしろ、性的なことでも追求し出すと、もうどんなものでも汚く見えてきてしまうもので、 より善さを探求しだすと自然とそういう理論に当てはまっていくのです。 釈尊(ブッダ)はアレ(息子さん)も切り取ってしまわれ、 物質的な男という囚われだって捨てました。生活の智慧の一つ? 私は感心しないですけどもね。

noname#169167
質問者

お礼

度々のご指導あり難うございます。 やっと仰っていることが理解できましたが、 その内容は凡人ではまだまだ理解が足りないようです。   自己探索の滅却とは親族に冷たく、 あかの他人に優しくですか。 これについては別の機会に質問してみたいと思います。

noname#169167
質問者

補足

色々と新しい発見をさせて頂き、 ベストアンサーを挙げたい人が大勢いるのですが、 今回は4回もお世話になったmiko-desiさんに致します。 仏道はもとより、もっと色々と勉強せねばなりません。 またの機会があればお願いします。

その他の回答 (14)

回答No.4

性行為は、煩悩ではなく、本能です。 しかし、社会生命としての人類は、個体に由来する本能を ダイレクトに出すのは、反社会的=煩悩です。 本能が反社会的なのではなく、ダイレクトに出すのが、 「反社会的」なのです。 人類の社会性は、認識性に伴って発達しており、その 認識(知性)によって、本能のダイレクトな発露を制御し (押さえてしまうのではなく適切に発露させる点に留意)、 社会性を維持します。 そこに於いて、完全に抑えてしまうと、これまた人類は 滅亡してしまいます。 AVを見ながら自慰をして慣らし運転をし、アイドルを追っ かけて路上運転をし、“いざ決戦”の日に備えるのです。 もちろん、人類が、行動を完全に本能に支配されて、学習 せずに条件反射的に異性を追っかけ、ぶっつけ本番で テクニックを駆使できれば問題はないのですが、この意味 でも認識性に依存しているので、本能との間に暖機運転 が必要なのです。 社会に以前のように性について教える悪い兄貴や、その ための悪場がなくなった今、本当は「AVで自慰」よりも、 学校で性行為を教えるべき時代になったと言えるのですが (さもなくば少子化が止まらない)。

noname#169167
質問者

お礼

ご回答有り難うございます。 こちらの方は反社会的なことが煩悩という立場ですね。

回答No.3

質問者さんは仏教の入口に立っておられますか? 煩悩とは身心を乱し、悩ませ、智慧を妨げる心の働きだと申し上げました。 具体的には108の煩悩があると言われ、それは、人間の感覚をつかさどる眼・耳・鼻・舌・身・意の六根に、色・声・香・味・触・法の六塵の刺激があれば、すべて煩悩とされています。六塵の刺激それぞれに好・悪・平の態度があり計18種、18種に対して浄・染の二つを考え、その計36種に対して、過去・現在・未来の三つを考えるので合計108の煩悩と言われます。 基本は、色・声・香・味・触・法の六塵の刺激ですから、ブロマイドは目への刺激ですから「色」、自慰行為は身体への刺激ですから「触」として明確な煩悩とされます。 さて、仏教では、これらの煩悩すべてを禁止しているのでしょうか? 仏教には戒律というものがあります。 戒は、いましめですから、坊主であれ、一般人であれ、みなが守るべき規範です。 律は、法律の律であって、坊主になった者(出家した者)が守らなくてはならないルールで、違反するれば罰則があります。 両方を合わせて「戒律」といいます。 質問者さんは一般の方ですから、戒律のなかで、まず基本的な「五戒」だけを認識し、できるだけ、この戒めを守るようにすればよいのです。 五戒は律ではないので、守れなくても罰則はありません。「幸福が少々遠のく」と考えれば良いです。 不殺生戒(ふせっしょうかい) - 生き物を殺してはいけない。 不偸盗戒(ふちゅうとうかい) - 他人のものを盗んではいけない。 不邪淫戒(ふじゃいんかい) - 自分の妻(または夫)以外と交わってはいけない。 不妄語戒(ふもうごかい) - 嘘をついてはいけない。 不飲酒戒(ふおんじゅかい) - 酒を飲んではいけない。 これらの戒を守ることが幸福(=成仏)への道だと、仏教は教えています。 しかし、酒を飲んだからと言って、仏教が罰則をあたえるものではありません。 これらの戒をできるだけ(出来る範囲で)守ることで、少しずつ涅槃寂静の世界へ近づくことができます。 なお、仏教で修行することを誓った比丘(出家坊主)には、上記の五つに、下記の五つを加えて、十戒を守らねばなりません。 不塗飾香鬘(ふずじきこうまん) 不歌舞観聴(ふかぶかんちょう) 不坐高広大牀(ふざこうこうだいしょう) 不非時食(ふひじじき) 不蓄金銀宝(ふちくこんごんほう) 坊主が整髪料を使ったり、演劇や音楽を鑑賞したり、壇上の椅子に座ったり、食事以外に間食したり、蓄財をするとこを戒めとして禁じているのです。 さて、質問者さんは、現代日本の職業僧侶(=葬式ビジネス、戒名ビジネス)の人達をどう見ますか? とんでもなく腐敗していると思いませんか? 一般人である、私たちは、煩悩を正しく認識し、できるだけのめり込まないようにするのが良いと思います。

noname#169167
質問者

お礼

mokuzo100nenさん、たびたび有り難うございます。 一般人にも分かる平易な文章で理解が進みます。   ブロマイドも自慰行為も明確に煩悩とのことですが、 これは心身を惑わすからとの解釈で良いのでしょうか。 趣味として映画鑑賞とかがありますが、 これは目への刺激となります。 しかし、ポルノでもない限り心身は乱されません。 これも煩悩になってしまうのでしょうか。 あるいはドラマとかで感激のあまり泣いてしまうのは ひょっとして煩悩なのでしょうか。 できればご指導よろしくお願いします。   こうやって考えると煩悩にも善悪があるように見えます。 今の仏教界が腐敗しているのは、その通りかもしれませんね。

noname#163110
noname#163110
回答No.2

前回で答えられた方の煩悩の定義が 「叶わぬ欲求は煩悩です」であるとするならば、 煩悩は「性行為で叶わぬ相手を望ぶこと」だと思います。 1や2の「~する」行為は「結果」であり、新たな煩悩の「原因」です だから1や2の時点で健全ではないと思います。 1の例で言えば 己を知らずアイドルを求めたのが煩悩 ブロマイドしか集められないのは結果であり次の煩悩への原因 ブロマイドを全部揃えたいというのが新たな煩悩w でも煩悩が悪いとは思いません。 「教え」は目的達成への最短ルートを示しているだけですから。

noname#169167
質問者

お礼

ご回答有り難うございます。 行為は煩悩の原因ですか。 書かれていることを読むとなるほどと 納得させれらます。 しかし、別の局面になると原因なのか煩悩自体なのか、 あるいは健全なのか健全でないのか 意外に悩むものですね。

  • MOG56222
  • ベストアンサー率12% (6/50)
回答No.1

こんにちは。 SEXや自慰というのは恐怖と苦痛に満ちた行為です。だから、行為に臨んで興奮で理性を麻痺させるのです。あと、アイドルに熱をあげるのは恋愛の準備運動みたいなものです。 煩悩として目の敵にする必要はないでしょう。 刺激物が痔で苦手なひとはカレーを避けるように、欲望のマイナス面が目につくひとが煩悩として避けるようなもんです。

noname#169167
質問者

お礼

煩悩とは目の敵にする存在でいいのでしょうか? これは新しい認識になります。 ご回答有り難うございました。

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