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雨合羽について

雨合羽の歴史とはどのようなものですか?そもそも初めになにがあったんですか?発端は?

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  • xiansui
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回答No.1

合羽(ポルトガル語の「capa」の音写語)は、16世紀に来日したキリスト教の宣教師が着ていた外衣が元になります。 まず、織田信長、 豊臣秀吉、 足利義昭など当時の支配者たちが早速これを真似ます。 西洋から献上された最高級羊毛布地の「猩々緋しょうじょうひ」(赤紫色) で同形のものを作らせました。 これは、戦の時にその派手さで相手を圧倒して戦況を有利にするためと言われています。 江戸時代になると、オランダ人のもたらした「羅紗」などの羊毛布地を使って、 上級武士の間に広く使われる様になります。 これが、富裕な町人、 医師、 俳人たちも合羽の贅を競うようになったので、 幕府は数度に渡って着用を禁止する事態になります。 江戸時代も中期になると、「木綿」が国内で生産され、富裕な町人たちが「木綿合羽」を着始めます。 これは、小袖の上に重ね着をする袖のついた裾長のもので、いわゆる「長合羽」です。 元禄の後半に「紙合羽」が誕生。わらび糊を使って和紙を継ぎ合わせ、その上に桐油と柿渋を引いた「紙合羽」、「桐油合羽」が作られました。 この頃は、上質の荏油(えのあぶら)の合羽は大名行列に、庶民は安価で速成の桐油の合羽が常用される様になります。 享保年間に入ると、富裕な町人や武家の従士たちは、 木綿の半身の合羽 (半合羽)を着用し始めます。 また、縞木綿を表に、 絣(かすり)木綿を裏にして、 防水用の渋紙を中入れにした「廻し合羽」が作られる様になり、これを「引き廻し」ともいって庶民の道中用にしました。 江戸後期には羅紗を使った「袖合羽」も一般化します。 丈の長短により「長合羽」、「半合羽」といわれ、小者や庶民の間では「半合羽」ですませる男性もいました。 対して女性は、高級織物で作り「お座敷合羽」「被風(ひふ)」と呼んで利用しました。 (被風の流行は女の羽織を禁止するほどの人気だったそうです。) 幕末以降は、西洋の外套を模倣した「とんび」「廻し」を着るようになり、「合羽」は一度姿を消します。 そして明治末に、ゴム引きの防水マントが出現し、「カッパ」とか「雨合羽」と呼ばれる様になり復活を果たす訳です。

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