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引退して実権を握る事について
日本では昔の皇室、武家、公家、商家、から現代の政党や企業に至るまで、 トップが形式上引退して公的には無役か名誉職になりつつも、実権は握り続けるという例が多いのでしょうか? 他の国では例外的にそういう状況になる事はあっても、日本のようには常態化していないと思います。
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制度的な問題もありますが、まず諸外国では、引退できないという例が多いので、カトリーヌ・ド・メディチとか、西太后のように最初から傀儡を立てる場合の方があります。これも実権を握り、背後で君主を操るという意味では、院政などと同じ政治スタイルです。日本のように出家するとか、隠居するということが、認められるような政体は珍しい方でしょう。しかし逆に日本では専制君主というものが少ないです。これはリーダーが直接親政をするのをよしとしない、日本の価値観ともいうべきものでしょうか。ま、良し悪し、一長一短がありますね。親政しなかったり、院政で影から操ることで、輔弼のように責任回避して永続性を保てますが、大胆な改革や強権は発揮できません。天皇制がいままで続いていることでもわかるように、これは日本の特殊性と言って良いでしょう。
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- ithi
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tukihana さん、こんばんわ。 確かに日本ではこの手のお話が多いですね。それはたぶん引退したら実権を放棄するという社会慣習がこの国には定着していないということなのでしょうね。
- TANUHACHI
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こんばんは。日本の歴史上で所謂「上皇」「法皇」として実権を握ったケースは間々あります。そして実際には皇位には就かず別の職掌で実権を握った人物もいます。他の方が既にお答えになっているので詳細は記しませんが、後者の実例が厩戸豊聡耳、いわゆる聖徳太子と呼ばれている人物です。彼が天皇ではなく、なぜ摂政の地位に拘ったかは様々に議論がなされていますが、その背景には既に天皇という地位そのものが形式的な存在でしかなかった可能性もあります。 それが現実となったのが平安期以降にみられる院政ともいえます。実際に上皇の地位に退きながらも上皇家が所有する庄園の規模は相当数に上ります。 また中世でも似たような実例はあります。南北朝を統一した足利義満が権力者として絶頂の地位にありながら全ての地位を返上し手許に残した地位は足利家の「院の長者」のみです。しかしながら権力者としての義満が実権を振るったのはそれらの公的地位を全て返上した後に訪れ、「北山第」に明からの使者を迎えるなどの行為に及びます。本来なら御所である室町の公邸で外国の使者を接待するのが筋であるにもかかわらず、なぜ私邸での外交交渉を行ったのか、との部分から「権力」を裏付けるための「権威」として世俗から離脱したとも説明されています。恐らくは仏門に帰依する形で世俗を離れれば、世俗に対する超越的な存在として君臨することも可能、程度に考えたのかもしれません。 昨今の日本ではさしずめ「闇将軍」として黒衣のような形で権勢を振るうような人物のことを指しているともいえますね。企業に勤める一方で大学で学生達を相手にしている立場としては、学界のドンのような古狸が名誉教授の肩書きで振る舞う一方で優秀な若手が苦労している姿を間近に見ていたりすると気の毒に思えてくることも屡々です。 ただ例外的にアメリカでは「大統領特使」として元大統領が外交の舞台に登場するケースもありますが、大統領よりも強大な権力を有するモノは議会でしかありません。この議会で訴追されれば大統領と雖も失職に追い込まれたケースもあります。日本で現職の社長や会長が解任決議の下に失職したのは役員会の席上で提出された特別動議に「なぜだ!」と叫んで有名になった百貨店の会長などもいました。悪いことはできませんね。
- aki0059
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サラリーマン生活を送っていてもそういうことはよく目にしますよね。通称「院政をひく」といういい方で。 企業では特に、中小のオーナー企業(株式の過半数を保持しつつ、かつ社長みたいな)は 引退しても、後継者が株を持っていないのでオーナーに背けなかったり、 一回破産してしまった人物が、某かの力関係の優位性を使って 新たな会社を興す際に誰かをダミー社長として起用し、指示は自らがする、など。