• ベストアンサー

なぜ人間は生きようとするのでしょうか。

いきなり重苦しい質問ですみません。別に人生でそこまで悩んでるわけではないので; なるべく多くの回答がほしいので、遠慮とかなしに自分の考えをどんどん回答してください。よろしくお願いします。 先日、とある本を読んで深く感動したのですが、 「なぜ人間はいずれ死ぬとわかっていても生きようとするのか」 という疑問が浮かびました。 心の中になんとなく答えがあるのですが自分で明確なものにできなかったので、皆さんの力をお借りしたいと思いました。 なんか結局重い感じになってしまいましたね、すみません; とりあえずたくさんの回答お待ちしております。お願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.6

たくさんの哲学者が、いろいろな答え、いろいろな考え方をしていますが そこで、こんなスペースで答えを出してみようというのは無謀だとは思いますが 「なぜ人は生きようとするのか」 わたしたちは、何か目標をもってオギャーと生まれてくるわけではありません。 そんなことを考えるのは自意識が出来てからです。 電車でいえば はっきりとした目的の駅がわかって乗車したわけではありません。 走っている電車の途中で、この電車はどこに向かって走っているのかを考えはじめるわけです。 ということは 目的の駅もわからないのに、おとなしく乗車している人々は、 電車の運転手にまかせた目的のない人達なのです。 多くの人達がこの乗客です。 みんなが乗車しているからと、じっと乗っていなくてもいいわけです。 途中で乗り換えて、自分の目的の駅に行く自分で操縦する電車に乗り換えてもいいわけです。 ではその電車はどこに行くのか。 それが自分の生きた意味のある目標の駅です。 目標ってなんですか?と聞いてはいけません。 それではまた、駅員さんにこの電車はどこに行くのですかと聞くのとおなじです。 自分で、誰も行ったことのない駅にいってもいいのです。 たぶん無人駅、もしくは駅舎も出来ていないでしょうね。 偉大な哲学者は、この駅でみんなが来るのを待っているのですが 毎日のセコイことに追われている我々は、 偉人の待っている駅にたどり着けないのです。 哲学者が孤独な所以(ゆえん)です。

euph-sf
質問者

お礼

この場をお借りして、回答してくださった皆さんにお礼を。 本当にありがとうございました。 まだ1日しか経っていませんが締め切らせていただきます。 本当に心に響くものやもっともな意見ばかりで、ベストアンサーを決めるのも迷いましたが、k-a-r-a-p-a-n-aさんの意見が私の中にあるものと一番近かったので結果としてそうさせていただきました。ありがとうございました。 お礼も長ったらしくてすいませんね; では、本当に皆さんありがとうございました。 ノシ

その他の回答 (9)

  • lyingyi
  • ベストアンサー率19% (26/132)
回答No.10

生きるために生まれてきたからさ(笑) 私も何回か死にたくなったりしましたが、あれはなかなか難しいというか恐ろしいというか。 結局死ぬまで生きることにしました。 で、なんだかんだあって今思うのは、「死ねるからこそ生きられる」ということです。 不死の身体になったら発狂する自信があります。 「なぜ生きるのか」も大事ですが、「なぜ死ぬのか」を考えることも同じくらい大事だと思います。

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.9

「人間は」ではありません。人間だけそうだと思っているのは傲慢以外のなにものでもありません。細菌から植物から人間に至るまで、生きとし生けるものはすべて「生きよう」とします。 つまりこの地球に存在するすべての生命体の根源的な本能であるといえます。よく三大本能で食欲、性欲、睡眠欲なんていいますが、それよりもさらに上回る本能が「生きたい」です。子孫を残すというのも自分自身が永遠に生きられないゆえに違った形での生存本能だといえると思います。 ではなぜそんな本能を根本の根本から持っているのかというと、それは「そういう本能がないと絶滅してしまうから」です。なにしろ、この世の生き物の99%以上は何らかの形で絶滅します。うかうかしていると容赦なく絶滅させられてしまうのです。それは、地球環境が千年、万年単位で見ると激変するというのもありますし、他の生物との食ったり食われたりの関係でもそうです。 逆に言えば、生物の中で自殺するのはほぼヒトのみであるといえると思います。レミングが集団自殺するなんていわれていますが、あれはウソ(というか誤解)らしいです。クジラやイルカが浜に打ち上げられることがありますが、あれは寄生虫のせいだとか諸説あって、いわゆるヒトの自殺とはまた違うようです。 なぜヒトが自殺をするのかは謎でしょうね。ヒトだけが異常に知能が発達しているのが原因であることは間違いないでしょうけどね。

回答No.8

本能。

  • ks5518
  • ベストアンサー率27% (469/1678)
回答No.7

>なぜ人間はいずれ死ぬとわかっていても生きようとするのか 人間というよりも、生き物として生まれてきた以上、 死に向かって生きようとする事は、理(ことわり)だから です。

  • Tori_30
  • ベストアンサー率27% (653/2415)
回答No.5

僕個人の場合。 生きようと思って生きてるわけじゃない。そんなに常々必死なわけではない。 一般的な日本人だからね。生きる為の努力?するわけないじゃない、そんなの。 今生きているから、”現状維持で”生きているだけ。普段は全くそんな感じ。 まあただ、こんな僕にも死にそうな時期は人並みにあったわけで。 確かに「生きよう」と思って生きていた時も、あるにはあった。 その時は、なんだろうね。どうしてなんだろうね。 「死にたくなかったから」という馬鹿げた答しか浮かばない。理由らしい理由が見つからない。 死ぬのは痛そうだもんね。わざわざ死ぬ事もないよね。 そう、「わざわざ死ぬ事もない」要はこれなんだろう。 死ぬのが面倒臭いから、消去法で「じゃあ、今のまんま生きていよう」そう思うだけなのかもしれない。 これが、例えば難病とかで常に生きる努力をしなければならない人だったら、答えはまた違いそうだよね。 「わざわざ死ぬ必要はない」「わざわざ生きる必要はない」生きる事と死ぬ事、どちらが自然な事なのか、それによって立場も答えも変わってくるのだろう。 非常に興味が出てきたよ。

noname#152554
noname#152554
回答No.4

>「なぜ人間はいずれ死ぬとわかっていても生きようとするのか」 ↑ 全くの「私見」ですが。 『死後の世界が、全く解らないし・・・。 どう頑張っても必ず死ぬ時が来るなら、諦めの逆。 精一杯生きないと「損」だと思うから』 ですね。 少し付け足すなら、この世で「幸せだと実感してるから」。 この世が「嫌な世界」なら自殺も考えるし、実行もするでしょう。 しかし、「あの世で幸せに成れる保障は無い」。 それなら、少しくらい努力してでも、この世で幸せに成らないと「損」する。 そんな、現実的な考えです。 解りもしない「あの世」のコトなんか、あれこれ考えても仕方有りませんよ。

回答No.3

以前、似たような質問に似たような回答をしたことがありますが、 改めて自分の考えを書き込んでみます。 すべての生き物の最大の目標は、種族の存続です。 ですので、同属の個体数が減るのを必死で防ごうとします。 自分が死ぬのも防ごうとしますし、死が怖いのも、息を止めておくときつくなるのも、すべてはそのためでしょう。 自分よりも繁殖能力が高いと思われる、若い固体の命を優先しようとするのも同じ理由だと思います。 つまり子供を守るのも同じ理由です。 人間だけではありません。すべての生き物が同じ目標を持っています。 首を絞められて亡くなる場合、男性なら射精をするケースが多いそうです。 これも同じ理由からではないでしょうか? つまりそのような固体が淘汰で生き残ったのではないでしょうか? この世に生まれた瞬間から、1日でも永く生き残ること、種族を存続させることが最終目標なのです。

noname#215107
noname#215107
回答No.2

未来を予測することができる(死ぬと分かっている)のは、ほぼ人間だけだと思います。 他の動物は一生懸命生きているだけです。 進化の過程に比べると極端に短い数千年の知識の発達と、DNAに刻まれた古い脳の働きがうまくかみ合ってないのだと思います。だから自殺などが起こるのです。

回答No.1

いつか死ぬと漠然とわかっていても、今死ねるわけじゃないから生きる。 結局は、自分が老いるという事や死ぬというのが、若くて健康なうちは実感としてわいてこない。 そうして生きているうちに、色んなしがらみや、欲が出てくる。 子供が生まれ、この子の成長を見届けたいと思う。 もっと知りたいこと勉強したいことが出てくる。 楽しみなことが出てくる。(趣味とか、仕事とか) やり遂げたいことが出てくる。 行きたい場所やあってみたい人が出てくる。 離れたくない人が出来る。 建てたばかりの家のローンも残ってる。 「ガラスの仮面」の最終回がどんななのか気になる。 そんな小さなかけらで人間は出来ていると思う。 いつ死んでもいい、とか、俺は60まで生きたくないね、なんてうそぶく人もいますが 今日を生きれば、明日も生きたいと思うのが人情。 日々その積み重ね。 病の床に臥せっているじいさんが、 「俺はもういつ死んでもいいよ。・・・でも今日はイヤだ」 というのは笑い話ですが、 でもなかなか人間の生というものがわかる奥深い言葉だと思います。