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常時浮かぶ黙読のような考えや思いは、人間本来のありようか?それとも悪癖か?
いつもなにやら本を黙読するときのように考えておりますが、これは健全な状態でしょうか? ところで、思春期の頃、肉体的な劣等感から内気になり、そのころ読んだノイローゼの本に雑念恐怖症という用語が載っていて、自己診断でこれに該当すると思い詰めていました。しかしその時期、そういった疑問を解消するだけの答えもなく、人間は本来こういった者だと考え、以降はなるべくこの問題は忘れるようにしました。 ところが今になって、心の片隅に変な習慣がついたものだなと考える節があり、明確な答えがあればと願う気持ちがあります。 それはそうとして、私はある人から次のようなアドバイスを受けたことがあります。 心はサイダーのようなものでいろいろな思いや考えが浮かんでくる。したがって、それらを無くすことはできない。むしろ清らかな考えを持つように努力すべきだ。 それから、ある本では、思考を無するという行為は東洋的な考え方で非常に危険だ、というような内容が記述されていました。 ときに、テレビを観ていてもいろいろなことを考えているため、掻い摘むような覚え方しかできません。また、心ここにあらずといった状態でいることもしばしばあります。 この分野にお詳しい方がいらしたら、何かアドバイスいただければ幸甚に存じます。
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>いつもなにやら本を黙読するときのように考えておりますが.... >ところで、思春期の頃、肉体的な劣等感から内気になり..... >それはそうとして、私はある人から..... >ときに、テレビを観ていてもいろいろなことを..... 何を質問の主旨として回答なりアドバイスすれば宜しいのでしょうか?
- jinseiwalk
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東洋思想が危険だとしたら、心理学の殆どが危険となるのでそれは何も知らない方の意見でしょう。むしろ有益で心強化法=ことだま療法や森田療法、内観をやるところは多く外国でもやっているほどです。 エンカウンターなどはまさに禅ですので実践する人は多いです。 雑念を浮かべるのは普通誰でもあることで、仕事中もそうであれば問題です。そうでもないなら気にすることはありません。 以下「無」の説明ですので理解できなくても気にしないでください。 ちょっと難しい話しになりますが、無は危険と言うのは誤解と言うか何も知らないかいい加減な知識の人がいったのでしょう。何故いい加減かと言うと「無」が「有」と言うところまで勉強していないからです。 無 即 有 で、有 即 無 です。禅の悟りで、無が全然全く何もないと言う発想は西洋思想です。全く何も無いとしか理解できないから危険と言うのでしょう。イエスがノーでノーがイエスとは理解で来ませんね。 無が有だとは修行しないと理解できないでしょう。それは「有」を知らないからで、結局「無」も言い様がないのが根本にあります。 大学教授になってもこれらは理解できない人が多いですから気にしないでください。
お礼
早々とご回答くださり、ありがとうございます。 PCのようにリセットスイッチがあって、このような難題を抱え込む以前の幼少期のような清々しい時代に戻りたい気持ちもなきにしもあらずです!? こういった疑問をどうゆうふうに考えればいいのでしょうかネ…。
補足
事情により、質問の取り下げを検討しております。 万が一、ご回答が削除される場合もありますが、ご容赦ください。
補足
昨日は、一人のご回答者が、宗教的側面からご所見を投稿くださいました。 このような悩みをなかなかうち明けられる人も周りにいないのですが、専門家の論考、それに一般の方からのご高見など、良きアドバイスお待ちしております。