#5です。お礼ありがとうございます。
>存在している意味があるのかと考えるようになりました。
ある方がいい、と思えば
何でも意味として考えることはできるし
なくても心臓は動き身体は生かされています。
失ってみて初めて分かることもあるのですが
これは実際失わないとわからないので
想像しても意味がないかもしれません。
例えば私は
祖父の介護が必要になったとき
「仕事がある」「休みがあって休める」「自分のための時間がある」
ってありがたいことだ、と思いました。
でもそういう不測の事態がないと、
今もっている幸せに気付けなかったりします。
きっとそれが満たされているともっと欲しいものがあるからです。
>どうしても自分の利益を先に考えてしまいます。
これはこういう時期なんじゃないでしょうか。
人の心は変わるので、
利他の精神でいられるときもあればそうでないときもあります。
一日のうちでも波はあります。
意見を言いたければいう、いうほどでもないかなと思えば黙っている。
でいいんじゃないでしょうか。
自分が必要としていない場面で自己主張しなくてもいいのです。
>人に優しくしても
本当に心の底から思っての行動かと自分の行動を疑ってしまいます。
妊娠中、公共交通機関で席を譲っていただくことが多かったし
こどもがぐずったら
見知らぬ方が老若男女問わず手を差し伸べてくださいます。
どんな気持ちか、はしてもらう方にはあまり関係なく
ただただありがたいのです。
思うだけで行動しないより、
何を思っても行動している方がいいと私は思います。
>職場でも闇を出さないでほしいと陰口叩かれてます。
これは、陰口をたたく人の中にも葛藤や不満や不安があるから
それを他人に向けて吐き出しているのです。
何も考えてなさそうに見える人も、心はどうかわかりません。
これはお互いさまです。
精神が過活動しているときは身体がヒマになっているから
そちらで行き詰まったら身体をとりあえず動かせ
が私の考え方です。
運動でもボランティアでもいいので、考える暇ないぐらい動かして疲れると
そこでの経験で発見することもあるし
疲れるから過度に考えることもなくなったりします。
今、考える時期なのだと思います。
そういう時期も長い人生には必要で、
いつでも楽しく愉快に軽くっていうのが
最善とも限りません。
精神世界で揺れている、時に
実際必要なのは却って現実世界のことで
食べるものや食べ方、仕事のやり方、睡眠のとり方
身だしなみの整え方、例えばそういったものを意識したりすることで
心が整理されたりもします。
お礼
ご丁寧な回答有り難うございます。恥ずかしながら私は20代後半でこのような精神の状態を体験し、今まで何も考えてこなかったのか、体験してこなかったのかと自分をけなしてしまいます。色々考えるよりも何事も一生懸命がんばってみます。有り難うございます。