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幸せを定義するとするとどうしますか?

幸せの定義といってもそれぞれに違うのは重々承知の上で皆様のお考えになる幸せとはなんでしょうか? 私は、苦しまず日常を暮らせるのが幸せです。

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  • hekiyu
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回答No.6

こんな話があります。(パクリですが) 昔々あるところに若い坊さんがいました。 その若い坊さんは悩みました。 悟りとは何だろう。 ひとの幸福とは何だろう。 見かねた師匠である偉い坊さんが忠告しました。 暗い部屋に閉じこもっていないで、 旅でもしてきたらどうだ? それで若い坊さんは旅に出ました。 昔のことですから、旅は辛いのです。 雨の日も、雪の日も、風の日もありました。 悪い人にも、善い人にも沢山巡り会いました。 そうやって散々苦労すること十数年。 若い坊さんは、ぼろぼろになって寺に帰りました。 そして叫びました。 「師よ。ついに判りました。悟りとは、人の幸せとは何か。  ついに解ったのです」 師匠である偉い坊さんが尋ねました。 「そうか。ついに解ったか。でその内容は?」 「金が総てです」 「偉い。よくぞその心境にたどりついた」 そうして二人は金儲けに励み、幸せな一生を過ごしました。 メデタシメデタシ。 ま、冗談はさておいて。 不幸があるから、幸せもある。 不幸がなかったら、幸せもない。感じることが出来ない。 私はいつも嫁さんにいじめられているのですが、 それでも時々、嫁さんが優しくしてくれることがあります。 その時は、とても幸せになります。

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回答No.11

 信頼と感謝で見、経験し、御付き合いでき、生きていける自己の意識と、そういう自分世界にいること。

noname#176957
noname#176957
回答No.10

亀甲萬のCMを見て同意することです。 日本はそのうち、このCMを激しい後悔とともに見ることになるかもしれません。 ま、普段の食事の味になんて気を払ってない人たちには判らないでしょうけどね。

回答No.9

(似た質問が直前にありましたので、ほぼコピペで失礼します) 精神的充足量の大きさは、「意志(~欲求)」の強さ」、 「その達成度の大きさ」、そして「認識の深さ」から成る。 幸福とは、意志の充足である。 それは、欲求と、その達成による。 ただ、それが本能的衝動とそれによる快感から、 幸福へと移行するのは、意識の介在と、そこにおける 自律的意志による。 人は、知らないものを意志する事はできない。 認識される世界の上に、欲求のベクトルを展開する時、 それは幸福につながる。 また人は、意識しない結果で充たされる事はない。 達成された結果を認識する事で、幸福は得られる。 本能的衝動は個体の内に留まるが、幸福感は共有し得る。 即ち、他の人が幸せそうにしているのを見て幸せを感じる、 あるいは、愛する人の幸せを願う、といった形で。 その延長に、社会生命としての自覚化(他我化=愛)による、 自律的社会行動=助け合いとしての労働における、社会 全体の繁栄(物質的ではない精神的充足量の全員の総和の 最大化)の達成感を共有する、「最大の意志の最大の成果を 全員のものとする」=真の充足量の最大化は可能になる。              存在すること                  ↓ 生きること           +   認識を深めること    ↓                    ↓ 組織化(分業=助け合い)の追求:精神的充足量の追及    ↓                    ↓ 自律的社会行動(生産)×社会生命的自覚化(愛) =(エントロピー増大の反力としての反エントロピー) 1. 我等は、認識する個体である。 2. 我等の生存は、意志の結果であり、幸福の追求としての本質を持つ。 3. 幸福とは、認識に於ける意志と、その達成の認識により成る。 4. その個体的追求は、生存と認識に於いて為される。 5. その環境的対応は、生存は生産として、認識は学習として現れる。 6. より大なる学習は、より大なる社会的生産を可能にする。 7. また、より大なる生存に於いて、より大なる認識は可能になる。 8. これらの過程の認識とその意志化は、最大の生存と最大の認識に於ける、完全な充足を実現する。 9. そして、それらの統一的計量は、認識の深まり及び有効エネルギーの不可分な指向として、反エントロピーとして求められる。 10. 反エントロピーとは、宇宙の起源としての、絶対無=無限不確定性の潜在(有限)たる認識の自我仮説性(時間性~進化)の定性化である。 11. 潜在的認識性に対する相補的環境は、その認識の有限性による相補性の非自覚化により、他律的対象(=時空仮説)化する。 12. その他律的環境への反エントロピーの敷延は、自己矛盾として生じる環境を、その先入たる、仮説的時空性に於ける個体的有限性を、超越する意志化により、補償するものである。 13. 換言すれば、真理の限界は、愛により補完され得る。 14. 先述の要素との対応に於いて、真理とは認識の深化であり、愛とは社会的生産への意志に他ならない。 15. 宇宙の原理的本質は、自我成立の為の相補であり、そこに於ける完全な自覚に基づく完全な意志は、真の環境としての無限性=完全な自由を保証される。 16. この、利己と利他、あるいは唯物と唯心を包含した、完全な“自己”完結的過程には、金や地位といった外的価値、また主義・宗教他いかなる権威も介在し得ない。 17. 我等は、愛によって真理を成し、真理に於いて愛を為し、而して幸福なるべくのみ存在するものである。

回答No.8

前近代の庶民達の状況よりも遥かに豊かな暮らしを『共有』させて貰えている、 という社会状況の継続は、比較的に幸福なのではないでしょうか?

回答No.7

 こんにちは。  しあわせとは しあわせを どれだけ多くの人びととともに味わえるかになると考えます。  ということは 仕合わせですから その結果が一般にそれぞれの人にとって好いこともわるいこともあります。  ということは たとえわるい内容の結果が起きていても それをも互いに・共に言わば分かち合えるか ということに落ち着くのではないでしょうか。  もっとも人は誇り高い生き物ですから ただ単に他者にほどこしを与えるなどということには 抵抗も嫌悪感も持ちます。  おそらく  ★ 私は、苦しまず日常を暮らせるのが幸せです。  ☆ というかたちの川底のさらに下のとでも言うべき底の流れを つねに身につけてその身のこなしをとおして互いに しあわせを分かち合うということを目指すのがよいのでしょうね。  これを言いかえると  ★ 苦しまず  ☆ からさらにすすめて 苦しみや悩みの状態をも 川の底の下の流れがしかるべき場へとみちびくというような身の動態――その縁起共生――が実現して行けば 好ましいのかも分かりません。どうでしょう。

  • hgam
  • ベストアンサー率16% (3/18)
回答No.5

適度なストレス.

noname#144995
noname#144995
回答No.4

幸福感を説明するということで・・・あくまでも私の場合ですが。。 満ち足りている、充足している、悦に入っている、心配事がない、安らいでいる、などなどが浮かびました。 特に安らぎについては深いものがあり、これを私の定義する幸せの第一候補に挙げたいと思います。 何かを果たしたときに感じる幸せも、すぅっと昇天する様な安らぎをイメージが浮かびます。終わった、、みたいな。なにかの終局を迎えたときに、しあわせを感じるのかもしれません。それが人生かもしれないし、仕事かもしれないし、心配事や思いわずらいかもしれないし、他の何かかもしれない。   ご参考まで。

回答No.3

明日が今日よりも良いという期待が持てること。

noname#140643
noname#140643
回答No.2

「ジョジョの奇妙な冒険」(マンガ)では 「安心感」 だと。 悪役のセリフですが、 つい同意しました。

  • shubal
  • ベストアンサー率20% (402/1958)
回答No.1

才能もないのに五十歳くらいになるまで、ぼろぼろになるまで努力した結果、何も収穫がない。そういうとき私は幸福感に満たされます。

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