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心理的距離について
Edward Bullough が心理的距離 なかで彼は”美しい(Beauty)”と ”同意 (Agreeable)”について違いを述べていますが良くわかりません。わかりやすい説明を探しています。お願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
美学についてはまったく詳しくないし、Edward Bulloughを読んだこともなかったので、回答するつもりはなかったのですが、検索してみると"'Psychical Distance' as a Factor in Art and as an Aesthic Principal"のテキスト全文が出てきました。読んでみると、なかなかおもしろい。 http://www.csulb.edu/~jvancamp/361_r9.html この程度の自分の回答ですので、理解が足りない部分が間違いなくあると思います。それでも、質問者さんの何らかのヒントになれば、と思い、回答させていただきます。 まず、質問者さんがおっしゃる >心理的距離 なかで彼は”美しい(Beauty)”と ”同意 (Agreeable)”について違いを述べていますが というのは、 テキスト本文の #11.Distance further provides the much needed criterion of the beautiful as distinct from the merely agreeable. (距離は、単なる一致とは異なる、極めて重要な美の規準を作りだす) という部分と理解してよろしいでしょうか。 本文中に"agreeable"が出てくるのは、ここ一箇所しかありません。 そのうえで、ここの"agreeable"は、同意というより、一致と解釈した方が良いように思われます。 とにかく、テキストを見ていきましょう。 まず、Bulloughは #1、#2で、芸術作品に表れた、空間的、時間的距離を明らかにしたうえで、自分が述べようとするのが、それとは異なる心理的な距離である、と言います。 そして、#3~#4で、海にかかる霧の例を引いて説明しています。 多くの人にとって、霧は、視界の悪さゆえに不安感を醸し出すものである。さらに、船乗りにとっては、海の恐怖と結びついたものである。一方で、海にかかるミルク色の霧は美しいものであり、それを鑑賞し楽しむこともできる。 つまり、霧という対象を鑑賞するためには、霧が出たことで船が遅れるのではないか、あるいは船が遭難するのではないか、という個人の目的や欲求の外に立つことが必要、言い換えれば、対象との間に(心理的)距離が必要である、としたわけです。 続く#5、#6で、心理的な距離がどのように生まれるかを説明したあと、#7でこうした距離が高度に複雑な作用のものであることが述べられていきます。そして#8で、距離を置いた見方というのは、経験からではなく、芸術作品によってもたらされるものである、それゆえに、心理的距離(を生じさせること)が、芸術の一要素である、と結論づけられます。 さて、#9では、若干違う見地からの考察です。 たとえば、「客観的」と評せられる芸術家にシェイクスピアやヴェラスケスがおり、その一方に、叙情的な詩人、たとえばシェリーなどは「主観的」な芸術家とされている。けれども、芸術作品にあっては、科学論文のような客観性はないし、主観といっても、個人的な感情の発露ではない。 このように客観的-主観的という語を、互いに相容れないものとして美学に導入しようとすると、混乱が生じる、ということが述べられます。 さらに#10では、、理想主義的-現実的、官能的-精神的、個別的-典型的など正反対の用語の間で、芸術は揺れ動いてきた。それを「距離」という基本的な概念の下に統合していこう、とBulloughの目的が述べられます。 それに続くのが、上にあげた#11の文章です。 こうした文脈に沿って読んでいくと、ご質問の"agreeable"は、 主観的-客観的、理想主義的-現実的……といった、相反する用語を一致させていく、という意味であることがわかります。 さらにBulloughはそれに留まらず、重要な美の規準を作り出すのだ、と言っているわけです。 この心理的距離による美の規準は、二章以降、さらに掘り下げられていきます。 ご質問の意図を誤って理解していた場合はお許しください。また、テキストの読み込みの不十分な部分、誤っている部分がありましたら、ご指摘ください。
その他の回答 (1)
近代の美学以来(バウムガルテン、カントなど)言われていることですが、何かを「美」であると判断できるのは主観の問題であります。つまり、鑑賞者によっては、その同じ対象を見て、美しいと感じない人もいるということです。しかし、そう感じることができない人でも、それが「美」であると「納得することはできる」ものであります。 たとえば、ある街並みを見て、美しいと感じない私でも、あのベンヤミンがその街並みの素晴らしさを述べていたとします。そうすると、美を感じることがない私でも、「そういえば、あそこが良かったな」などと、同調できるものです。それは、絵画であれ、映画であれ、芸術作品一般の享受の際に言えることであります。 バルーさんの論文は、ケンブリッジ心理学派から出ているということですが、基本的には芸術享受という美学の問題であるようですので、ご質問の「美」と「同意」という点で、美学の方面から可能な答えを書かせていただきました。 余談ですが、人が面白いという映画ほど期待はずれな映画であることが多々あるのは残念なことです。
お礼
カントの考えを読んでみるにあったてarspoeticaさんの回答がとても役にたちました。彼の美と納得することができるとの違いにも大変うなずけるものを感じました。バルーさんはそこに距離が存在するといっており、その距離がどのように隔てているかわからなかったのですがカントの考え方も踏まえて考えてみようと思います。回答ありがとうございました。
お礼
大変わかりやすい解説をありがとうございます。私もはじめから読んでいたのですが、それぞれの段落同士がつながらず距離が持つ役割が良くわかっていませんでした。霧の例についても恐怖を引き出す霧と美しいという霧の例はわかっていたのですがそこにどのように距離(空間)が作用するということまでは理解が及びませんでした。 この第一章での距離の定義につまずいていたので第二章からの本題になかなかなじめず困っていたので助かりました。ありがとうございました。