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信仰の存在価値を訝る私見
信仰の価値が【建て前】に留まっている故に、 諸宗教団体の派閥が乱立し得るのでしょうか? 「他の宗教を邪教だ」と見做す杜撰な主張さえもが、自己弁護の為の【ルサンチマン】的な発想に起因しているのではないか、と思われましたので、此の認識が私の偏見に過ぎないのかが気になりましたから、畏れ入りますが、教えて下さいませ。
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日本は縁起担ぎってのがありますよね。 日本だけじゃない。 例えば、コンスタンティヌス1世はキリスト教を公認したわけですが、彼はキリスト教ばかりではなく、他の宗教も公認した。 理由は「どの神様にもいいかをしていたら、悪いようにされないだろう」って考えがあったから。 御利益目的の公認。 2000年ほど前はキリスト今日は今とは比べ物にならないくらい、ものすごい派閥があったそうなんですね。 それがなぜひとつになったのかというと、自分こそ正しい認識力を持つ者であらせられる ってことにしたかったからだと思える。 で、聖書を作って、「この辞書以外の派閥はみんな嘘」ってしちゃったんです。 辞書を作ってそれに乗ってないものは偽物ってして、他の派閥を迫害していった。 そうやって、自分たちだけが正しいって帝国を作ったわけです。 嘘まみれの教理を真実だと言って2000年近くたち、人々を奴隷化して 寄付金で悠々自適な暮らしをする マイ帝国 なるものを設立した。 信者は農奴。 死なないよう 生きないよう 搾取していって支配していったわけです。 逆に負けてしまったら、迫害されて暮らしにくくなる。 要するに政権を取ることと同じ。 動物のオスの世界に見られる行動。 猿山はボスがいて、そのボスがたくさんのメス(信者)をはびこらせて セックスし放題ですよね? メスたちはボスの欲望を満たしてさえいえれば、平和に暮らせるので、セックスを受け入れる。(信仰を受け入れる) ボスの子を生むわけです。(布教して信者を増やす) そしてあるとき メスを独占されてイラだった別の猿がボスに挑む。 勝てば今度は新しボスがメス(信者)を独占する。 宗教の教祖やリーダに女性がものすごく少ないですよね? 殺人犯も男が9割。 どうしてか その理由はわかりますよね? 人間のオスも猿のオスも基本は変わらないわけです。 人間も動物ですから、動物行動として自分の子孫を増やすという本能に支配されているわけです。 メス(信者)はといえば、「どーでもいい とにかく安全に自分の子供を育てられる環境なら 誰でもいい」ってなるわけです。 ボス同士の争いを横目でみながら「どっちでもいい」って思うわけです。 選挙もそう。 わーわー戦ってりうオス猿たちをみて「どっちでも同じ」って思うわけです。
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- hekiyu
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派閥ができるのは商売のためです。 独立した方が儲かるからです。 でも信者や世間にはそうは言えないので 色々と宗教上の理屈をつけるだけです。
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有り難う御座います。 自爆テロさえもが繰り返されている某地域では、法律的に信仰が強要されているそうですが、其処でも、商売絡みの問題が横たわっているのでしょうか?
- xNekoNyanx
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信仰の価値を建て前に留めているのは、所謂「鰯の頭も信心から」で本質を知ろうともしない『信者側』の「怠慢」と、そしてそれによる待遇に甘んじて自堕落した『えせ宗教家』の「自覚の無さ」が原因でしょう。 諸宗教団体の成立と分派の歴史を見れば、それが必ずしも根拠のない完全なる「無」から生じたものでないことはご理解頂けるはずです。 同様に「他の宗教を邪教だ」と見做すことにも各宗教による教理的な裏付けがあるわけですが、世の人はそこを見ようとはしないわけですね。 結局、宗教には枢要にして確固たる根本依拠と、一往の指針とすべき研鑽された教義があるにも関わらず、本質を見誤って或いは曲解し、或いはその一部を取出して自己弁護の為に用いてしまうのは、後学の人間のほうなのではないでしょうか。 信仰とは徒に信じることではなく、信じるが故にそれが本当に正しいのか疑うことである…。 「鰯の頭も信心から」でも、疑いを持って突き詰めた結果『鰯の頭』が真に尊いのであれば、何の問題もない。思い込みではなく、真に尊いのであれば、ね。
補足
有り難う御座います。 西洋近代科学やら鍼灸理論やらと違いまして、宗教の教義は『小集団内部での正義』に留まっている、と考えられます。 従いまして、その共同主観的な事情を踏まえまして、【建て前】という表現を私は此処で用いました。
すみません、教えるほど教養がないので、学ばせていただけないでしょうか。 質問者様の主張にはとても興味があります。 御質問を要約すると 自己弁護の為の【ルサンチマン】的な発想が、諸宗教団体の派閥が乱立し得る主たる原因であり、「他の宗教を邪教だ」と見做す杜撰な主張もそのことに起因する。という主張である。 という理解でよいでしょうか。 ルサンチマンの意味をニーチェの用語である、 「弱者が強者に対する憎悪や復讐心を鬱屈させていること。」広辞苑 として理解を進めます。 質問者様は、 ニーチェの提唱した君主道徳的な発想を、派閥の乱立を説明する際に援用している。というふうに考えていらっしゃると解釈します。 つまり、質問を以上から整理すると 派閥同士でそれぞれ、「あいつらは正しいものに対する劣等感を埋め合わせるために、派閥なり、宗教を作っている。」という風に感じている。また、他の宗教を邪教だ」と見做す杜撰な宗教者も他教についてそのような理解をしている。 ということでしょうか。 (「信仰の価値が【建て前】に留まっている故に」という文章がよく理解できませんでした。 その点から正確に質問者様の意図をくむことができませんでした。) あいつは劣等感の裏返しで偶像を信じているのだ。正義は私にある。という傲慢な発想から派閥の乱立がなされているということはわかりませんが、そのような発想をする方もいるように思います。 そして、そのような排他主義的な宗派は世の中によく迷惑をかけているように思います。宗教が抱える病気のようなものだと思っています。そのような宗派がもてはやされるような国は危ないという風に感じます。 すみません、正確に質問者様のご質問を理解できていないかもしれません。 お許し下さい。大変勉強になりました。
お礼
もう少しの御教授を賜りたくなりましたので、 別のページ(http://okwave.jp/qa/q6868243.html)に 続きの質問をスピンオフさせて頂きましたから、 もし支障が御座いませんでしたら、御覧になって下さいませ。
補足
有り難う御座います。 宗教の教義は他の団体の教義と一致しているとは限らず、各団体の代表者達が利己的に【相対的な正義】を信者達へ押し付けているのではないか、と私は考えております。 そして、たとえ特定の団体への入信の後に、其の団体の教義の問題点の存在に信者の方々が気付いたとしましても、其処の代表者達の思想の全体像を受け入れませんと、信仰心の維持が難しくなっていくかも知れませんね。 従いまして、自覚の有無に関わらず、信者の方々が自己暗示を掛けているのでしょうから、其の意味を託しまして、此処では【建て前】という表現を盛り込んでみました。 つまり、自分達の教義への依存の価値を正当化する為には、多数の比較対象群を祀り上げる発想の採用が適しているのでしょうから、世間の諸問題の一因もが他の団体の存在に由来している、と見做しているのではないか、と判断したのですが、私の謬見なのでしょうか?
- ROKABAURA
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宗教の本質は「何を尊いとするか」という価値観の固定化にあります。 金や物や人はどんどん変化してなくなったり増えたり変わったりするので これに振り回されて人は 「何が良いのかもうわからん・・」 となるので宗教があります。 この質問にある「建前」の意味は 「これをやれば救われる」 という事だと思います。 本質とは違う主張の差が生まれるのも この「救われたい」があるからで 本質に目を向けていないので 多分に我慾や思いこみが入りやすくなります。 で自己弁護的になるわけです。 仏教もキリスト教もイスラム教も諸々も 原初をたどれば宗派なんてものはありえないはずなのがよく分かります。 おそらく教祖は思いもいなかったことでしょう。 宗派はわからん凡人が後から勝手に作る物なのです。
お礼
http://okwave.jp/qa/q6895578.html 此方でも御教授を賜れますと幸いです。
補足
有り難う御座います。 信者達の他力本願的な期待が過剰に膨らみ過ぎているせいで、教祖達の思惑と食い違ってくる可能性は大いに有り得るのでしょうけれども、自分達の団体の運営の継続の為に、自分達の教義の【無謬性】を偽装すべく、教祖達は他団体の教義のネガティブキャンペーンを繰り返したがるのでしょうか?
お礼
別のページ(http://okwave.jp/qa/q6883208.html)にも 話題を発展させて頂きました。
補足
有り難う御座います。 いきなりに単一の宗教が登場した筈が無いですので、気になっていたものですから、非常に勉強になりました。 権力が外部からの侵略によって出来上がってきた訳ではないのですね?