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老人と若者の命の重さは同じか?
年寄りはよく交通事故にあう。 判断力や動作がにぶいためであろう。 交通事故は、加害者が被害者になるケースが多い。 刑事、民事で多大な責任を負わされるからだ。 つまり、被害者がかなり高齢な老人であろうと、 加害者はこれからの人生が真っ暗になる。 加害者が前途ある若者であればかわいそうだ。 もしかしたら多くの国民は、老人と若者の命が同じだと 考えているのではないだろうか? さもすれば、それは間違いではないのだろうか? 命は人によって当然重さが違うだろう。 おいさき短い老人と、これからの人生がある若者とを 一緒にしてはいけないのではないか? 老人を車ではねても、それほど罪に問われないような、 法律、風潮が必要ではなかろうか? みなさんどーおもいます?
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年寄りはよく交通事故にあう。 判断力や動作がにぶいためであろう。 交通事故での被害者は、悲惨な運命にさらされるケースが多い。 人生の辛酸を嘗め尽くし、これから楽をしようという老人の そんなさなかの事故は更にむごたらしい。 つまり、加害者がわかものであろうとなかろうと、 れからの人生が真っ暗になる被害者老人を考えれば、 彼らを厳罰に処していいと考えられる。 彼らは町内引き回しの上斬首獄門がふさわしい。 そんな法律の整備、社会の風潮が必要ではなかろうか!
西暦2012年、老人を車ではねても、それほど罪に問われないような、法律、風潮になりました。 その後何十年か経って、そういう法律風潮を作った人が車にはねられ「しまった!」と嘆きました。 後悔先に立たずの例
- cyototu
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もしかしたら多くの国民は、老人と若者の命が同じだと考えているのではないだろうか?さもすれば、それは間違いではないのだろうか? 命は人によって当然重さが違うだろう。多くの経験を重ね、これからの人生がある若者を幸せへと導ける多くの老人と、未経験で見当違いの屁理屈ばかり言うそこらの若者を一緒にしてはいけないのではないか?若者を車ではねても、それほど罪に問われないような、法律、風潮が必要ではなかろうか? 質問者さんどーおもいます?
違う違う(笑 それは「老人と若者の命」を例にする事にはならない(笑 たかが、生き方の問題だろう? お年寄りをはねた若者が、その命まで取られる訳じゃない。 >命は人によって当然重さが違うだろう。 おいさき短い老人と、これからの人生がある若者とを 一緒にしてはいけないのではないか? 何を持って「当然」としている意味が、まるで分からないのだが(笑 「一緒にしてはいけない」と言いながら、年寄りと若者をそれぞれ一色単にしているのは誰なのだ? このような場合は、個人的価値観の命の重みよりも「状況」だろう? 例えば、普段から無謀運転していた若者が、ちゃんと信号を優先して横断していたお年寄りをはねるケースもある。 そう言う場合には、多大な責任を負わせる事に、何のためらいがあると言うのだ? その若者、ひいては周りの人の為にもなると言えるだろう。 万が一、その若者が自分より若い子供を引く可能性もあるのだから。 「責任」を勘違いしてもらっては困る。 責任を軽く見る事を、命の重さに繋げてはいけない、と言う事だ。 確かに、お年寄りは、判断力や動作がにぶい事もある。 でも、ドライバーに取って、「お年寄り」以上に「子供」も同じぐらい危険なのだ。 「車を運転する」以上、それなりの「責任もある」と言う事を忘れてはならない。 人生真っ暗になるのが嫌なら、運転の際には十分気を付けるか、もしくは車を運転しなければ良いのだ。 ドライバー自身のそう言う選択肢もある中で、周りが命を軽んじて刑罰を決めるのは、個人の価値観以外の何物でもないと思うのだが、どうだろう? ま、当然の事ながら「返事」はないと思うので、単なる独り言ではあるのだが。。。
- ROKABAURA
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命の値段ではなく命の重さである 例えばコソボなどの紛争地では人の命は軽い あっという間に奪われ消える では日本人の命は重いのか だが日本人がコソボで暮らせば軽くなるだろう 命の大切さは変わらない 犬だろうと猫だろうと人だろうと でもそれを判断する環境が変える まわりが必要としているかどうかだ 必要とされる者は重く 必要とされない者は軽いのだろう 故に命の重さとはその本人(人間でなくても良いが)には全く無関係だ 本人にとっては例外なく最も重いものであり 全てに勝るだろう 老人は人の行き着く先だ いわば未来の自分達だ 社会がその命を軽く あまりいらないと判断するような社会の場合 そこでは人は使い捨ての存在となることを意味する それでは少なくとも人間として真っ当な社会とは言えまい ただしそういう現実は世界にある 金を持っていないもの 血筋の悪い者 地位が低い人種が違う民族が違う それで命が軽くなる者のなんと多いことか 私はそういう社会を否定する 嫌い嫌悪する 少なくともそうならないよう阻止することに力を注ぐ
- mindangler
- ベストアンサー率32% (34/104)
あなたの命が、最も軽いものでしょう! あなたの場合、命の重さ云々ではなく、自分の価値観と命の重さをはき違えているだけです。 価値観は、人それぞれです。何をどう考えるのも自由です。 >加害者はこれからの人生が真っ暗になる。 あなたはここだけしか見ていない。 加害者同様被害者(遺族)も存在します。 それが見えていないようでは、あなたの理屈に照らしても 最低のランクでは?
- askaaska
- ベストアンサー率35% (1455/4149)
お年寄りと若者 どっちの方が重要化なんて 誰にも定義できないわね。 お年寄りの持つ知識・経験は 若者にとって有用なものよ。 そしてそのお年寄りを活かす(生かすじゃないわよ)のは 若者だわ。 自ら車に飛び込んでくる相手はともかく お年寄りや子どもがそこにいるかもしれない という危機感を持たずに運転している人がいるのも事実だし 必ずしも加害者が悪くないのかとは言いがたいものもあるわね。 常に危機感を持って運転するのは運転手の義務だし もちろん歩行者だって車に対し警戒するのは必要よ。 お年寄りを「判断力が鈍っている」「動作が鈍い」とて意義付けてしまうのであれば 「判断力のある」「動作の機敏な」若者がお年寄りの分 注意するべきなのは社会に生きるうえで当然の役割だわ。 それが嫌なら住み分けるしかないわね。
- yasuto07
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それは、やばいのでは。ただ、命の値段は一律です。 強制保険の1等級は、死亡で、3000万円と決まっています。年令条件はないと思います。 あと、年令に応じて、慰謝料は一失利益が、変わってきます。 ですから、十分、命の値段には反映されていると思います。 ただ、交通事故の相手に、差をつけるのは良くないでしょう。双方同じ人間なんだし、 年令は関係ありません。命の重さに違いはないと思います。
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