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ウィリアム・ギブソンの日本についての言及
- バンクーバーでは、日本人観光客と寡黙な日本人の居住者両方に対して無味乾燥な対応をしています。
- 日本人の居住者は、ただここにいるために船を降りるようです。
- 彼らは市内で日常的に見ることができますが、それはポエンタバルタの住民から私たちが見られるであろうのと同じような感じです。 'また彼らだ。一体何を考えているのだろう?'
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バンクーバ市内で日本人に出会っても、別にどうという感じは抱かなかった。首からカメラをぶら下げて典型的なツアー観光をしている連中やら、表情はうれしそうだが押し黙ったままの若者などを見た。後者は、ドロップアウトしてバンクーバーに来たんじゃあるまいかと見えたし、町の中のあちこちで毎日のように見た。彼らは少人数で、ひょっとしたら我々がプエルト・バラルタ(メキシコのリゾート都市)の住人にはそう見られるかもしれないような、そんな感じだった。「おや、またいたぞ。連中は何を考えてるんだろう」
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- bakansky
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ANo. の回答を投稿した者です。追加のご質問の点は、「ひょっとしたら改めて質問されるかもしれないな」 という予感がありました (笑)。 cater blandly を直訳すると 「そっけなく迎合する」 とでもなるかもしれませんが、それだとちょっとなぁ~と感じたので、「別にどうという感じは抱かない」 としたのかもしれないと思います (あまりよく覚えていないのです)。 cater という語は、「相手の必要に応じて対応する」 といった感じの動詞だと思いますから (The Free Dictionary には To attend to the wants or needs of というのがありました *)、もっと原文に忠実に訳せば 「日本人に対してほどほどの態度で対応した」 とでもなるのかもしれません。 * http://www.thefreedictionary.com/cater 筆者である W. Gibson がお客相手の商売をしていたという状況は想像しにくいし、そのような事実について触れている箇所もないようなので、バンクーバー市民の日本人観光客に対する態度がどういうものであったかということを、we という代名詞で一般論を述べたのではないかと思います。私の訳し方では、主語が I のように見えるなぁと今は思います。 「熱烈歓迎」 というものではなかった、というつもりで 「別にどうという感じは抱かなかった」 としたのでしょう。 「バンクーバーの市民は日本人に対して特別な意識はなかった」 などという訳し方も出来るのかもしれません。 W・ギブソンといえば、otaku という日本語を世界に広めた作家ですね。
お礼
ありがとうございます! ご指示くださったようにweがバンクーバー市民であると考えたら、なんとなくわかりました! お礼が遅くなってすみません! W・ギブソンについては、「あのギブソンも初音ミクをよくわかっていないようだ」というツィートを見て、最近知りました。(*^o^*)
お礼
ありがとうございました! すっきりしました。 お礼が遅くなってすみません。 辞書を見てもcaterの意味が今ひとつよくわからないのですが、この場合、なぜ「別にどうという感じは抱かなかった」になるのかお教えいただけませんでしょうか? よろしくお願いします。