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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:平家物語と建礼門院と寂光院)
平家物語と建礼門院と寂光院
このQ&Aのポイント
- 平家物語の小原御幸の章で、建礼門院徳子が阿波の内侍らとともに過ごした庵は、現在の寂光院から少し離れた、登ったところに在ったとされています。
- 私が昭和33年に訪れたこの地には当時、粗末な朽ちた小さな稲荷(祠)があっただけでしたが、平家物語に描かれた、「古りにける岩の絶間より落ちくる水の音さえ故び‐‐」そのままに、岩を伝って水がしたたり落ち、また「いざさ小笹に風さわぎ、まさきの蔓青つずら」や、「後は山、前は野辺」の記述と寸分違わない佇まいに深く感動したものでした。
- この庵跡の祠を訪れた方はいらっしゃいますか?また現在、この祠はどうなっているのでしょう?お教え頂ければ幸いです。(一応、文学のジャンルで質問しましたが、歴史や旅行に造詣の深いかたも宜しくお願いいたします)
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- ghostbuster
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回答No.1
お礼
再度のご回答、有難う御座いました。 長年、気にかけていた事項でしたが、お蔭様でこれで解決できました! 「寂光院への交通」に示された地図(拡大できます)にある、御庵室跡の位置が、私の訪れた場所とまさに符合しています。そして「寂光院の由来について(第5回)」の中で示された、御庵室跡(ごあんじつあと)の写真が示す情景と佇まいが、古い記憶とほぼ一致します。あのとき在った、朽ち果てた祠はおそらく撤去され、替わってこの石碑が立てられたのでしょう。 これほどまでに拘ったのは、数十年前に訪れた際、この地で遭遇した本当に不思議な体験と、そのとき祈念した、「必ずもう一度、参ります」を今日まで果たせず過ごしてきたからでした。 また、お教え頂いたHPに基づき、寂光院へ問い合わせる積りです。その際には院が今求めている浄財志納に(ささやかながら)応じたいと考えています。 今回は貴重なお時間を割いてお手助け戴きまして本当に有難う御座いました。またそのお手間に深謝いたしますと共に、今後とも是非宜しくご指導いただきたいと願って止みません。国文学/歴史/思想史/哲学/論理学など、広範な分野で貴方様は必ずや注目されるお仕事をされると信じます。 では、ごきげんよう。