- ベストアンサー
日本の昔の地名についての質問です。
日本の昔の地名について調べています。 東北で「みちのく」という呼び方があると思うのですが、 その区分でいったら日本列島はどのようにして分けることが出来るのでしょうか? なるべく細かくではなく大きな区分で知りたいので どなたかご存知の方いらっしゃいましたら教えていただければと思います。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
古代の行政区分は律令制で、街道にあわせて区分けされ、五畿七道(ごきしちどう)に分けられていました。 五畿は都に近い区域で、大和・山城・摂津・河内・和泉の五ヶ国です。 今の、奈良県・京都府南部・大阪府・兵庫県東部です。 七道は五畿(畿内とも言う)から各方面に出ている街道にあわせて、東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道に分けられていました。 みちのくはその内の、東山道の北部に当たる、陸奥国と出羽国の地方名です。 当時は、陸奥国・出羽国は開発途上でまだ完全な支配には至っていず、大まかなくくりになっています。 その北の北海道(蝦夷地)が支配されるようになるのは、江戸時代後期になるので、まだ名前すら付いていません。 今の地方区分と根本的に考え方が違うので、現在の地方に当てはめることはできません。 原則として、この道という考え方は都が京都にあった時代、つまり江戸から明治に変わるまで続きましたから、ずっと同じだったと考えてよいと思います。 http://www.asahi-net.or.jp/~ab9t-ymh/touzando-m/kodaimichi2.html
その他の回答 (3)
- windwald
- ベストアンサー率29% (610/2083)
「陸奥(みちのく)」は普通に考えて「みちのおく」が由来だと思いますが……
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
8世紀の昔、日本は当時の世界で最も先進国であった中国(唐)から「律令」と呼ばれる法体系とそれに基づく政治システムを移入しました。その時に導入されたのが広域的地方行政区画としての「道(どう)」でした。 律令制下の中国では天子の住む都を「京師」その周辺地域を「畿内」と称します。日本でも同様のシステムを導入したことから平城京周辺に大和・山城・摂津・河内・和泉に行政区分としての五カ国を設け政治・経済及び軍事の観点から最重要地域として位置付けました。 そして全国を一つの行政組織の下で管理する目的から、全国を7つのブロックに分けることとなります。具体的には以下の地域となります。 東海道:伊賀・伊勢・志摩・尾張・三河・遠江・駿河・甲斐・伊豆・相模・安房・上総・下総・常陸ややおくれて編入された武蔵の計15ヶ国。 東山道:近江・美濃・飛騨・信濃・武蔵・上野・下野と後に加えられた陸奥・出羽を加え、また771年武蔵を除く8ヶ国。 北陸道:越前・越中・越後・若狭・佐渡を加えての5ヶ国。後に越前から能登・加賀を分けて7か国。 山陰道:丹波・丹後・但馬・因幡・伯耆(ほうき)・出雲・石見(いわみ)・隠岐(おき)の計8ヶ国 山陽道:播磨・美作(みまさか)・備前・備中・備後・安芸・周防(すおう)・長門(ながと)の計8ヶ国 南海道:紀伊・淡路・阿波・讃岐・伊予・土佐の計6ヶ国。 西海道:筑前・筑後・豊前・豊後・肥前・肥後・薩摩・大隅・日向・壱岐(いき)・対馬と多褹ヶ島(種子島)を加えた計10ヶ国と1島。 そして陸塊としての「北海道」が五畿七道に加えられ五畿八道となるのは幕末の戊辰戦争後の事でした。 「みちのく」はこの七道のうちの「東山道」の奥にある地域のことを指すと言われています。 僕の個人的な印象ですが、当時の都に住む人達からすれば東北地方や奥羽地方を「都から遠くにある地域」として余り情報も入ってこなかったことから「未知の国」として理解していた言葉が「みちのく」として言葉に表されたのではの?と思います。 平安の昔9世紀に記された菅原孝標の女(すがわらたかすえのむすめ)の手になるとされる『更級日記』の冒頭は作者の父菅原孝標が上総の介として赴任していた当時の上総の国から都に戻る光景から始まる作品ですが、この様な書き出しで始まります。「東路(あづまぢ)の道の果てよりも、なほ奥つ方に生ひ出でたる人」現在の千葉県市原市あたりの場所ですが、当時の感覚としては恐らく「トンデモナイ片田舎」だったのでしょうね。 脱線してしまって申し訳ありません。
- 691128
- ベストアンサー率34% (58/169)
まぁ、これが一番大きな区分かな? http://www.otomiya.com/shop/faq/map.html みちのく http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BF%E3%81%A1%E3%81%AE%E3%81%8F
お礼
回答有難う御座います!大変参考になりました! やはり結構たくさんの区分になってしまうのですね…。 この中で、北海道、東北、関東、中部、近畿、中国、四国、九州に当てて区分するとすれば、どのような形になるのか、ご存知でしたら教えていただけたら幸いです。
お礼
やはり、今の地方区分に当てはめるには無理があるようですね…。 当時は大和・山城・摂津・河内・和泉の五ヶ国が大まかなくくりなのですね。 とても参考になりました。ご丁寧に有難う御座います。