どこの社会でも、最初に生まれるのは王権です。
たとえば、小さな集落であっても農村なら飢餓であっても来年の種籾を残し、狩猟ならリーダーシップと分け前の分配、放牧民族なら放牧地の分配など、権力を必要とすることはいくらでもあるからです。そして、となりの部族との諍いには軍事的な指揮も取ることになります。
このあたりまではサル山のボスと同じで実力勝負なのですが、集落が部族単位(数千人から万の単位)まで拡大してくると、リーダーが何らかの形(年齢による死亡や戦争での落命)でいなくなりそのたびに簿図争いをしていると、周辺の部族につけこまれて部族の存続自体が危うくなってしまいます。
そのため、ある一定の決まりを作ってスムーズな権力移譲をするようになったのが王権の始まりとなります。
ところが人間というのはなかなか納得しないもので「何でお前の言うことを聞かなきゃならんのだ!」という人が必ず出てきます。実力だけでは「俺のほうが実力が上」と思っている人たちまで言うことを聞かせることはできませんので、常に暴力で実力を見せることになりかねません。そうなると、王権で外部に向かっては備えが出来ても、内部抗争ばかり発生することになります。
これに対処するために権力のほかに「権威」が必要になってくるのです。
権威とは「なんらかの理由で、権力が与えられているとみんなが納得する理由」だともいえます。
この権威のつけかたは、古代の各国の物語に乗っていることが多く、大体「神と人間である母が交わって最初の王が生まれ、神の祝福を受けていたから周辺の部族をすべて平定して、この島全体が王とその祖先である神の祝福を受けることになった。今の王は初代王から数えて10代目である」というようなことになっています。
つまり権威を神という超自然的な力から借りているのです。
これは普通のことで、まだ王権が確定してない集落ぐらいの規模であっても、雨乞いの儀式とか洪水防止のいけにえの儀式とか、史実以前の太古から超自然の力を利用してきた痕跡をみることができます。
そのうえで、たとえばとなりの力の強い部族と戦争になったときに、指導者が「俺は実は神の子だ。昨日枕元に私の祖先と神が現れて、この戦争に勝てるとお告げを出した。私のいうとおりにすれば、この戦争は勝てる。相手に目に物見せてくれようぞ!!」とでも言って、兵士を鼓舞し、その上で実際に勝ってとなりの部族まで平定すれば、その指導者はとなりの部族まで含めたクニの王として「神の子だから、この王国は偉大だ」という宣伝ができるでしょうし、実際に指導者の下で戦った兵士たちは子供にも「うちの王様は神の子だから、このクニは平和なんだよ」と伝えるでしょうし、それはすなわち「このクニを平和で豊かな国として維持したいなら、王に忠誠をつくせ」という教えにも変化していくわけです。
こうして、権威と権力が一体化した上で、周囲が同じような規模の部族同士になると、あまり戦争をしたくなくなるわけです。
ではどうするかというと、王族同士の結婚が行われることになります。つまり神の子である王と、別の神である王の娘が結婚することで「二つの部族はともに二人の神様から祝福を受けられることになる」という考え方です。
こういう方式で近隣の部族は調和を保ったり、さらにその向こうに強大な部族(たとえば元のようにものすごい遠いところから侵略やってくるような連中)がいれば、先ほどの結婚後の息子が二つの部族を統一して、さらにとなりから娘をもらって三つの部族が合同して、侵略者に対抗し排除した後には、統一王国が出来上がるということもあったのです。
そうなると、その息子は「Aの神とBの神とCの神の力を借りて、侵略者を排除した偉大なる王」であり、それ以降の子孫である王は「神々に祝福された偉大な王(統一王)の子孫」というのが権威になって行きます。
もちろん、いままでの各王国の王族は貴族として残りますし、各国の占い師は整理はされるでしょうが、教会(教団)を作って、王の権威を高めることで生き残りを図ろうとするわけです。
そうなると、教会は普段から「この国は○○神の祝福を受けた偉大な国、みなさん神にお祈りしましょう」ということと「この国の王は○○神の子孫ですから、王の血統が続いていれば皆さんも平和に暮らせます」という宣伝が一緒にできることになり、不満分子を減らす役にもたちます。
そのうえで、王が交代したときに「先王も偉大だったが、新しい王にも変わらず祝福を授けることを我々の神は約束した」と教会の司祭が宣言して王冠を王にかぶせることをすれば、王は権威を分かりやすい形で民衆に知らせることが出来ますし(正統性の主張)、教会は王に権威を授けたという権威で生き残ることができますし、民衆は先王が亡くなってもこの国は大丈夫だ、と安心できるわけです。
これが大体どこでも通用する一般的な「権力」と「権威」の発生過程です。
さらに、民主的な投票による支配者層の形成には、最初のほうで書いた「指導者の死去による権力争い」が深く関わっています。特にオリエントからギリシャあたりの城壁国家(都市国家:ポリス)では、激しい権力争いをするところが多く、一部の都市では権力争いを投票という形に変えて速やかに体制を収拾するようになったのが民主主義の始まりです。
その代り「神から祝福された」という権威はなくなり「民衆の支持で選ばれた」というのが「権威」の源になるため、宗教的な儀式は廃れていくことが多くあります。
現在でも君主国をみると、この古代の権威付けの名残を見ることが出来ます。
日本であれば新天皇の即位後に行われる「大嘗祭」がそれにあたり、内容は一般的に公開されていませんが「沐浴斎戒して、神々と交わる」という儀式がおこなれます。これができるのは即位した天皇でしかも一回限りですから、この儀式をもって権威が付与されるということができます。
イギリス王室などはもっと分かりやすくて、イギリス国教会から「神と子と精霊」の祝福が授かった王冠をかぶる戴冠式がそれにあたりますが、実は王冠そのものが「神と子と精霊」の三位一体を表しており、これの意味するところは「王の頭上には常に神と子と精霊がおり、王を守っている」=だからこの王が君臨するイギリス国は神に祝福された土地、ということなのです。
これらの権威に浴することができれば、覇権も得やすいのですが、それに対立すると戦争などの実力行使で平定し、むりやり権威の服させるという状態になるのです。
補足
有り難う御座います。 世襲の仕組みが良く分かりました。