百人一首の疑問
みなさんこんにちは。
私は20歳の大学生です。
私は文学部ではありませんが、今百人一首について興味があり調べています。
そこでみなさんにお尋ねしたいことがあります。
百人一首は本人が詠んでいないってことはありますか?
例えば、43番の権中納言敦忠の和歌。
逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり
(逢瀬の後のこの恋しい心に比べれば、お逢いする前の物思いなど、なんとも思っていないのと同じでしたよ)
とありますが、私がよんだこの和歌の訳は上記のようになっていました。
もしかしたら、色々な訳が考えられるのかも…
そして、私が一番に疑問に思ったことは、この歌に限らず他の和歌を詠んでてもそうなんてすが、あれ?これ本人がよんだのかな?
上の敦忠の例でいくと、これは敦忠がよんだのではなくて、妻の藤原玄上の娘が読んだのではないかなと思いました。
これはあくまで私が勝手に解釈したことなんですけど、実際本人がよんだのではなく、 その妻やまた想いを寄せあう女がよんだとかあるんでしょうか?
百人一首について、全く知識がありません。
分かりにくい質問で申し訳ないです。
時間があるかたお願いします。
補足
それはどういった思惑なのでしょうか?