大政奉還についてお尋ねします。
大政奉還についてお尋ねします。
大政奉還で徳川幕府の将軍徳川慶喜は明治政府に江戸城を明け渡します。
しかし、現在の皇居を見ると、明け渡したと言うより、むしろ迎え入れたような感がします。
革命的に敵を倒して入場した勢力が、旧勢力の敷地で心休まるとは思えません。場所を占領しても大規模な破壊や改修はあるのが普通の歴史ではないでしょうか。
質問1. 江戸城明け渡しの時、徳川幕府の官僚たち(旗本・与力・同心たち)は、そのまま居残って天皇に仕えたのでしょうか。それとも、京都から天皇が公家を率いて江戸城に入場して、幕府の役人たちは追い出されたのでしょうか。
質問2.もし、100%の居残りとか追い出しがなかったとすれば、大政奉還の直後の皇居には、どれくらい徳川幕府の侍が残っていたのでしょうか。パーセントで示していただけませんか。個人的見解でかまいません。
質問3.明治初期、宮内庁に相当する政府の部門はありましたか。あったとすれば、その規模(予算・人員)はどのくらいだったのでしょうか。はっきりしない場合は、今日との比較でもかまいません(例えば、今日の宮内庁よりも政府内での相対的規模は大きかった。など。)
よろしくお願いします。
お礼
有難うございました。 二条城だったんですね。 間違えていました。 すいません。