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客観的に見て悪い行為と被害者にとって悪い行為
相手に「バカ」と言うのと、相手の顔を殴るのとでは 客観的に見て後者の行為の方が悪いですが、 もし、顔を殴られのは平気だが「バカ」と言われるのはものすごく苦痛 という人がいた場合、哲学的にはどちらの行為が悪になりますか?
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こんにちは。 哲学的には 当事者たちが置かれている文脈(情況)と 当事者たちそれぞれの人となり さらにあるいは互いの関係――信頼関係とかです――によって 答えは違って来ます。 文脈を無視して考えることは 哲学的ではありません。 文脈におけるひとつあるいはいくつかの条件がよければ よい結果が得られることでしょう。 ★ 客観的に見る ☆ ことすら 当事者それぞれの主観の中に まづ おさまると見るのが 哲学的です。 そうしてその双方のあいだのマ(間合い)についても考え合わせます。 というより 当事者どうしがすでにそういうことは互いに努力して折り合いをつける方向にすすめ合うことでしょう。 これが 人間であり この人間であることに基づこうとするのが 哲学です。善悪の物指しを当てはめることが 哲学なのではありません。どうでしょう?
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- shift-2007
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善悪は人の心の属性ですから、 言葉や行為という結果で善悪を判断することはできません。 私がお金を寄付したからといって私が善人であることにはならないのです。
- 雪中庵(@psytex)
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相手に「バカ」というのは、『私はあなたを無能と評価します』 という社会的行為であり、もし相手がバカなら適切な評価で あり、バカでなければ“私は評価能力がない(=私がバカ)” という表明となるので、感情的(相手に良い評価を(短絡的に) してもらいたい)になりさえしなければ、何の苦痛もない。 「バカにバカと言われるのも苦痛」なら、それこそバカの証し。 殴るのが悪かどうかは、その動機による。 (ただし、悪であれ善であれ、殴られて痛いのは当然) つまり、「どちらが~」という問いは、成り立ちません。
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