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「過去分詞」に関しましての酷く拙い愚問です。
何故に受動態の際に「過去分詞」が適用されるのでしょうか? 「『時制の一致』の起源」を考える場合に必要になるのではないか、と思われましたので、此の質問を提出させて頂きましたから、諒察を御願い申し上げます。
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これは academism 偏向の向きには顰蹙ものかもしれないが、分詞構文といわれるもの自体がおっしゃるようにこの【形容詞性】に根ざしているように思える。受動態にしても然り。いずれも主語の状態をそれが従える動詞をさまざまに(つまりいわゆる過去分詞・現在分詞)【派生】させて描写・形容する機能がある。 私は【先ず文法ありき】の立場はとらない姿勢でこの言葉と長年つき合っていることから、こと syntax に関しては機能性があってなんもだと思っています。あなたの【拙い愚問】が新鮮に見えます。 ご参考まで。
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- wyeatearp
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【受動態の場合には、過去完了形が適用】とおっしゃるときの「過去完了形」つまり過去に完了しているという時制的意味はなくて、対象の置かれている状況を規定するのにたまたま動詞活用の【過去完了形】という形を援用したのじゃないのかなというのが私見なのです。半世紀ほど英語とつき合っての実感と捕らえていただけるとありがたい。あくまでその実感と拙い経験則からの私見です。どうぞお聞き流しください。ちなみに【誤謬】云々はご謙遜、このような言葉の有機性への挑戦は宝にも等しい。お励みください。
補足
有り難う御座います。 更に精進を重ねさせて頂きます。
- wyeatearp
- ベストアンサー率43% (110/254)
訂正: なんもだ → なんぼだ
- wyeatearp
- ベストアンサー率43% (110/254)
分詞という概念は現在、過去という時制的なものではなく syntax の範疇で動詞の【形容詞性】を前面に出そうという、この言葉の先哲たちが営々として拵え上げてきたように思える。完了形でも受動態でもこの【形容詞性】が機能してますから。だから時制の一致の起源という切り口から分詞を考えるのは、さて、という感じがします。話は動詞の活用から発展して分詞という超時制的な機能が育ったと思えてなりません。 ご参考まで。
補足
有り難う御座います。 完了時制の表現の場合にも、【形容詞性】が機能している、 という考え方には気付いていませんでした。 そこで、もし支障が御座いませんでしたら、 教えて頂けると有り難いものですから、伺わせて下さい。 【形容詞性】が「分詞構文」の構成を叶えているのでしょうか?
- wind-sky-wind
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受動態で be +過去分詞 現在完了で have +過去分詞 同じ過去分詞である点は謎です。 一つに,「過去分詞」という名前はあまり関係ない。 「現在分詞」「過去分詞」というのは「A 分詞」「B 分詞」でも差支えない。 とにかく,受動態は be + B 分詞ともいうべき過去分詞となる。 あるいは,過去分詞は現在完了で用いられるように, 「~した」という完了的,過去的な要素がある。 先に能動という事象が存在し,その事象をもとに「~される」という受動がとらえられる ようになった。 この後からとらえる,という感覚が過去分詞となっている。 使役動詞・知覚動詞で受身になると be made/seen to 原形と to が必要になります。 能動が直接的なのに対し,受動は後から考えたような感覚が to に表れている。 日本語で「れる・られる」が受身・尊敬・可能・自発になるように 英語でも過去分詞でいろいろ用いられるということなのかもしれません。 日本語では受身は未然形+「れる・られる」となる。 逆に日本語では受身は能動的行為の前というイメージなのか。
補足
有り難う御座います。 「未然形」の仕組みとの比較を見落としていました。
補足
能動態の時に行為が及ぼされた目的対象の側では、 其の行為が動作完了後に認識されますので、 其の時間差を反映させる為に、受動態の場合には、 過去完了形が適用されてきたのではなかろうか、 と私は予想して参りました。 従いまして、其の視点の誤謬性の有無の確認の為に、此の質問を提出させて頂いていますが、此の試みは勇み足なのでしょうか?