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科学的とは?

可能性のあること全てに手を打つのではなく、 確率としての可能性と、そのことに対する費用、問題が生じた場合の損害を ならべて、対策するかどうかを決めるのが科学的ということだと思いますが。 最近の原発に関する報道では、可能性のあることについては、 如何に計算上の確率が小さかろうと、全て対策しなければならない! という論調になっています。 日本の教育は、いつからこんなに非科学的になったのでしょうか? 日教組の推進したゆとり教育の弊害でしょうか?

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回答No.2

日本のマスメディアは、スポーツ専門家、政治専門家、お笑い専門家の三種類で構成されておりますので、科学的な報道をしなくちゃいけない時も、政治やスポーツの実況中継の様な報道しかできないんです。 日本の教育全体がどこまで非科学的なのかは、科学方面のノーベル賞受賞を毎年輩出していることを考えると、予断を許しませんが、マスメディアが非科学的なことだけは断言しても良いでしょう。

osaka-girl
質問者

お礼

そーですね。 コメントありがとうございます

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  • TANUHACHI
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回答No.6

 ANo.3です。早速のコメントありがとうございました。 問題に関して何かしらの齟齬があると感じました。「科学」という言葉の意味に関して、少なくとも「論証可能」かつ「反証可能」であることが最低の要件であると、私は考えます。質問者様にも「科学」を定義した内容は当然の如くにあると存じます。「可能性のあること全てに手を打つのではなく、確率としての可能性と、そのことに対する費用、問題が生じた場合の損害をならべて、対策するかどうかを決める」のが科学の意味であると仰る根拠を示してはいただけないでしょうか?。  仮に「確率から見た優先順位によって決定する」ことが科学であるとするならば、ではなぜ「最悪の事態を想定すること」を科学的ではないと言いうるのでしょうか?。私はあなた様の補足回答からこの様な疑問を感じてしまいました。「最悪の事態を想定すること」に果たして「科学」の意味はないのでしょうか?。  少なくとも今回の原発事故に関して、ノーベル賞を受賞した日本の科学者の殆どが「科学は無力だ」として「想定の意識」への疑念を示している事実をどの様に理解するのでしょうか?。もしあなた様の考え方に対する私の理解が本意ではないと仰るのであれば、お詫びさせていただきますが。  また「コイズミ・タケナカ」と私が呼んだことの意味は「他で成功した事例をそのまま手を加えずに導入し適用する」ことの場当たり的な発想のことを表現した言辞です。これはアメリカに於けるレーガノミックス、イギリスに於けるサッチャリズムの負の遺産として今でもその「敗戦処理的作業」は継続中です。  そして最後に「日本の教育は、いつからこんなに非科学的になったのでしょうか?日教組の推進したゆとり教育の弊害でしょうか? 」とされるのは如何なる根拠に基づくモノでしょうか。

回答No.5

確かに、何から何までが浮ついている感が否めません。 ですが今の時代、この日本では仕方の無い事ではないでしょうか? 科学の土台である学術が腐っている近年ですので当然の事ではないかと思います。科学には、そもそも致命的な弱点がございますれば、科学的・・・であるかどうかだけの指標をもってして何かを論じるのは危険ではなかろうかと思います。 科学の土台・・・学術の退廃。 それ故に、科学的・・・という信憑性も揺らぎえるものかと思います。 如何でございましょうか?

  • konata508
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回答No.4

質問の上げ足を取るかもしれませんが、 「科学的」 物事を調査し、結果を整理し、新たな知見を導き出し、知見の正しさを立証するまでの手続きであり、かつそれがある一定の基準を満たしているもののこと 参考資料http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E5%AD%A6%E7%9A%84%E6%96%B9%E6%B3%95 こちらですとせいぜい調査データから現実的に起こりうる問題か、または対策技術が実現可能技術かどうかを検証するぐらいで経済面はあまり考慮しないと思います。そもそも調査段階のデータが間違っていたり古いと意味をなしません。だから、最近は建物でも耐震強化を施すなど後付けで施工することがあるのだと思います。 「合理的」とかではないかと思います。 参考資料http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%88%E7%90%86%E7%9A%84%E9%81%B8%E6%8A%9E%E7%90%86%E8%AB%96 マスコミもあおりたてるのもどうかとは思いますが個人的に「調査」内容などにも疑問があります。理由はよく天下り企業などの調査した内容はつじつま合わせのでたらめな資料を用いていたことが分かり批判を受けます。建物や設備に関しても企業との癒着は業界でよく聞き、施工が不十分などもあるからです。今後の調査次第だと思いますが、このような人為的な甘えがないと断言もできないので何とも言えません。

osaka-girl
質問者

お礼

コメントありがとうございます

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.3

 先ず質問者様の「科学的」という言葉の内容に関して吟味させていただきます。 ここで「科学的」と称されている意味ですが、そこには「確率」と「それに見合う対費用効果」の問題が混在されているのでは?と私は考えます。  「如何に計算上の確率が小さかろうと、全て対策しなければならない!という論調」の認識は妥当性を欠く、との見解に基づくモノと推察されます。確かに「20メートルの高さの防潮堤を作ってもそれを越える高さの津波が起きた場合にはそれで全てを防ぐことが可能か否か」はシミュレーションの結果に依存することも確かです。  しかしながら今回の自然災害と人災、殊に人災をどうとらえるかとの問いに対しては「事業者の認識とそれを国策として推進した歴代政府」の責任が第一義に問われることは確かです。彼らが犯した最大の誤りは「そんなことは絶対に起こり得ない」として「自らの発想や設計が絶対的なモノである」との過信に基づくものであることも様々な報道からは明らかです。そこにあるのは「自分達にとって都合の悪いデータや試算は無視する」との傲慢な姿勢を垣間見ることもできます。  そしてその当事者の年齢層を見るならば「彼らはゆとり教育を受けた世代」とは全く無関係な年代層の方々ばかりであることも明らかです。彼らに欠落していた最大の問題点は「目先の効率」を最優先するあまり、その背後に問題が潜んでいることを想像できない“学校秀才タイプ”に見られる「紋切り型」「金太郎飴」と呼ばれる貧困な発想だと僕は感じています。この意味で「責任は寧ろ年寄り世代にある」というのが僕の印象であり、全てを戦後教育の問題である、とする論調には憤りをおぼえます。  自分達の世代の責任を他に転嫁することは無責任以外の何物でもありません。何時からこうした“コイズミ・タケナカ的自己責任論”が日本には蔓延してしまったのでしょうか?。逆に質問させていただきます!。 

osaka-girl
質問者

お礼

小泉竹中が出てきた背景には、2003年だったかな? かんたんに言えば、USAに押し切られたんだと思う。 でも、それは、小泉さんの構造改革って言葉に 魅力を感じた国民がいたからです。 内容そのままに、アメリカ迎合・全てはUSAのため っていえば歯止めもかかったのにね? 今から出来ることは、 「優秀な学生諸君!君たちが海外で成功して、セレブな 暮らしをすることは全くかまわない、もし日本の同胞が 君が海外に出てしまったために、苦しい生活をすることに 何も感じないのであれば!」 って、総理大臣が宣言することだと思います わたしは、自分だけが良い暮らしをすればいいんだ って言うひとは、日本に不要だと思います。

noname#132987
noname#132987
回答No.1

各報道の方向性を決めるのは組織の伝統と上部の人間。つまりゆとり世代はどちらかというとそれに惑わされる側。 ゆとり教育なるものを掲げゆとり世代を生み出したのは他ならぬ従来の大人です。先入観のように何かあればゆとりとレッテルを張るのはおかしいですよ。

osaka-girl
質問者

お礼

そーかもしれないですな。 文系に科学報道さすな!