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人はなぜ無垢なおもいにイラッと来るのでしょうか?
・あまりに純粋無垢なおもい(悪意ではないもの) ・下手くそなロマンチックな言動 ・無垢な喜怒哀楽(特に簡単に泣く様) などに「イラッ」とする事が有るのですが、 これは何故なのでしょうか? 覚えてないだけで、自身が過去にそういう無垢なおもいを 他者に踏みにじられたり傷つけられた過去を持っているからこそ 「イラッ」としたりするのでしょうか? もしそうだとするならば、なぜ「イラッ」という結果になるのでしょうか。 少し曖昧な質問ですみません。 何かご助言を頂けますと幸いです。
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「甘えるんじゃない!!」っていう感情が一番大きいかも知れませんね。 ご質問の冒頭に挙げられたものには、幼さが付きまといますよね。 他には、わざとらしさや見返り、媚びや計算など、「裏」を感じ取るからじゃないでしょうか。 ・あまりに純粋無垢なおもい(悪意ではないもの) ・下手くそなロマンチックな言動 ・無垢な喜怒哀楽(特に簡単に泣く様) これらを「素で、さらりと遣って退ける人など何処にもいない」そう思っているからじゃないですか? いい年をして そんなことをする人は、自己陶酔しているだけの世間知らずの愚か者か、はたまた、か弱い子供のように振る舞って、当然のごとく愛情や庇護を求めては止まない貪欲さや狡さ、醜さを隠し持っている――と思ってしまうからじゃないでしょうか。 無垢な魂も涙も存在するはずはなく、その涙は他者を思いやってのことではなく、泣いている本人が己の心が美しいと錯覚して酔いしれている(魂が醜いが故に浄化しようとして泣いている)、心優しい人だと賞賛されようとして泣いている ―― その様な嘘くささ芝居じみた行為を感じ、作り物に思えてしまうからなのでは。 質問者さんは、ご質問に挙げたような感情表現を三つ四つの幼い子供が見せても、あまり「イラッ」とはしないのではありませんか? 大人が子供のまねをしている、その様な状態を感じて嫌悪してしまうのでは? 「私は可愛いでしょう? 素敵でしょう? 清らかで守ってあげたい存在でしょう?」 そうアピールされているように感じて憎悪してしまうのではないでしょうか。 無垢な想いに嘘くささや作為的なものを感じなくても、「イラッ」としてしまうのだとしたら、それは、質問者さんが「無垢な存在に憧れているから」だと思います。 容姿が整った兄妹や友人にいつも比べられてばかりいると、自分の容姿にコンプレックスを持つ人がいますよね。それと同じことだと思います。 無垢な魂を持つ人に出会ったとき、自分の心が卑しく醜いものの様に思えて傷ついてしまう。 そうやってプライドが傷つくと、今度は、その傷を癒すために思いが怒りとなって表れるんだと思います。 >覚えてないだけで、自身が過去にそういう無垢なおもいを 他者に踏みにじられたり傷つけられた過去を持っているからこそ 「イラッ」としたりするのでしょうか? 可能性はあると思います。 人間の心理はそう単純なものではなく、原因は複合的にあるものでしょう。 例えば、質問者さんに弟さんか妹さんがいたとしましょう。 貴方自身がまだ幼くて、ご両親から庇護や愛情を沢山受け取りたい存在であった頃、ただ自分よりも幼いと言うだけで、弟さんや妹さんが溢れんばかりの愛情をご両親から注がれていた、その様に幼い貴方が感じていたとしたら…。 沢山の感動も悲しみも語りたいときには語れず、飲み込まなければいけなかったという寂しさ、満たされない想いを今も抱えていたら、「純粋無垢な想いは人に見せてはいけないもの、恥ずかしいもの」その様な後ろめたさや罪悪感を持ってしまうものではありませんか。 子供の頃に、思いっきり親に甘えることが出来ないまま、または、無垢な想いを受け止めてくれる大きな存在を見つけられないまま成長してしまった人ほど、「無垢とは、罪悪、打算、人を操ろうとする行為である」と心の底で感じてしまうのでは。 だから、それらの障害を何も感じずに、さらりとやる人が憎くなって、「イラッ」としてしまうのだと思います。
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- noname002
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ご質問の設定は、「無垢な思い」を持つ、その人自身のではなく、そういう人を、はたで見ている人の心理についてですね。 「自身が過去にそういう~過去を持っているからこそ」と、すでに、ご質問のなかで挙げておられますように、これも、一種の「自己投影」作用が働いている面を指摘できるでしょう。 「あまりに」とか「下手くそ」であるとか「簡単に」とかいった、「無垢な」当人を めぐる内外の落差について見えてしまっているからとも言えるわけです。したがって、 一言で言ってしまえば、その人が隙だらけであること、つまり、「無防備」であるのが分かるからでしょう。 たとえば、自分の子どもとか、自分にとって大切に守るべき存在の者を思ってみてください。 その者が、あまりに無防備であると分かっていたなら、他の者から容易に蹂躙されてしまう危うさを感じてハラハラさせられそうですよね。 このときに、自分自身を投影しているのかもしれません。 もう一つは、 そのように無防備なままで おれる者、つまり、なんら防御せずに平気で居られる者に対する、潜在的な嫉妬感情が刺激されているとも考えられます。 こうした場合は、逆に、攻撃の欲求を掻き立てられるという心理を持つ人も、けっこう多く見受けられるところです。嫉妬感情ゆえと考えれば、べつに、ふしぎな現象ではないのでしょう。
お礼
なるほど。自分が傷付いた事があるゆえに攻撃の欲求が出る。 連鎖と近しいのかもしれませんね。 その内側には嫉妬や、そうした自己投影した結果のハラハラなど 複数の感情が混じって、自分で自分を冷静に把握できない 常態になる なども有るのかもしれません。 ご回答、感謝致します
- strbegger-po
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こんにちわ。 >・あまりに純粋無垢なおもい(悪意ではないもの) (1)(分かり易く番号を付けさせてもらいました。) ・下手くそなロマンチックな言動 (2) ・無垢な喜怒哀楽(特に簡単に泣く様) (3) これをみたときに思ったことは、“不愉快”さや“偽善者”そして“[自分]というものを持っている様でそうではない様な人たち” ・・・余り快くは感じませんでしたね。(子供は別として。) 前もって言いたいことはすべてに置いて限度もバランスも伴うものだと言うこと。 (1)はいい大人の男性がそうだったら、“ドン引き”するかも・・・。 (2)何を以ってしてそれが語れるかと・・・自己陶酔型(妄想癖)? (3)これはとても感じ悪い。偽善者の臭い“プンプン”良い人を演じているように思えてしまう。 大人ともなれば“泣く”とした行為は容易な事で、何時でも、何処でもソレは出来る。 そしてそうした者は振り返れば、今度は直ぐに笑うことも出来る。 百歩譲って良く取っても“とにかくこうやっておけば当たり障りはないだろう”としているとしか思えな い。(他人の目ばかりを気にする。) >覚えてないだけで、自身が過去にそういう無垢なおもいを 他者に踏みにじられたり傷つけられた過去を持っているからこそ 「イラッ」としたりするのでしょうか? 完全否定は出来ないと思いますね。 >もしそうだとするならば、なぜ「イラッ」という結果になるのでしょうか。 潜在意識からのトラウマの表れとも言えるかもしれないですね。 それと、(1)(2)(3)に対して、『「イラッ」とする事が有るのですが、これは何故なのでしょうか?』って言われていますが、[イラッ]とまではしなくても、だからといって“賛美”できるものでもない。(世の中いろんな人が居るから中には肯定もありかもと思うが。) 大人ならもっと『う~ん』なるほど、とした頷けるものであってほしいものだと。
お礼
なるほど。自分を持っていない。芯が無い。 そんな風に私は見ている、その拒否感も有るのかもしれませんね。 ご回答、ありがとうございました。
「純真無垢」は子供の特性であり、武器でもあります。 もちろん子供はそれを武器だと自覚しているわけではないですが。 子供は純真無垢であるゆえに親や大人たちに愛され、守ってもらえます。 大人になってなお、その「武器」を振りかざしている人を見ると、 とうの昔にそれを手放した人からみれば、そういう人は「ずるい人間」に見えるのです。 普通に育てば純真無垢な人間などあり得ないからです。
お礼
そうですね、傷付いた過去と、嫉妬心が イラだたせる原因なのかもしれません。 人の心の成長とはなんなのだろう と少し考えさせられました。 ご回答ありがとうございます。
- kigurumi
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子供が「僕は将来ママをお嫁さんにするんだ」ってのか、かわいいと思う。 だけど、「僕は歌手○○をお嫁さんにするんだ。お金持ちになれば彼女と知り合いになれ、彼女に贅沢をさせられると証明してあげれば、彼女は僕を選んでくれる そのためにがんばって偉くなるんだ」とか、仕事もしないで夢を語っている人をみると イラってしますよね。 これは責任が関係しているんじゃないかと思います。 子供は責任が無いので、どんだけで妄想話をしても、「まだ世の中のことわかっていないので、いろいろ妄想を現実可能だと思えて、夢があっていいよなぁ」って思えるのですが、これを現実を生きた人が現実をまだ少ししか生きていない幼児の喋る内容と同じことを喋られると、「現実を生きろと、子供ならいいが、いい加減 責任を取る立場だろ、酒の席で妄想を語るのはいいが、少しは仕事しろよ。理想を言うのはいいが、じゃあ 具体的にそれをどうすれば現実可能になるか プランを示せよ」って思いますよね。 計画の中身を聞くとずさん。 「募金を募って、資金を得て、恵まれない人に寄付してあげるんだ」というのなら、具体的に何をやるにあたって、どれだけ資金が必要か計算した表を示し、どのようにして資金を調達するのか 具体的な実行可能なプランを提示しろよ」って言っても、「困っている人を人は助けたいはずだから、困っている人がいるって訴えれば、お金はたまるものだ」とか言う。 だぁ。。。。 夢想家のたわごと。 人は投資するだけじゃなくて 見返りを欲しがるもの。 投資する人に利益を与えないと、金を出してもらえない。 十分利益がでることを試算表で示し、今までどういう実績をして成功したかを示さないと、投資してもらえない。 そういうのがまるで無い、子供のたわごとと同じレベルのことを言われると、イラっとしてしまいますね。 24時間テレビも、愛は地球を救うと まるで無償の愛が地球を救うかのように表向きはしていますが、実際はバンバンスポンサーのCMが流れたり、スポンサーの広告を映像で写したりして、スポンサーの広告をするための番組。 オリンピックだって、多くの企業が参入するのは、大規模に世界的に自社を宣伝できるからでしょ? どの位置に自社の社名の看板を置くかで、場所によって価格が違うでしょ? 企業は損をすることはしない。 必ず見返りがあるから投資する。 ボランティア活動にかかった電気代は電気会社が無料にしてくれるわけじゃあない。 わざわざそういう企画をたてたことで、その日一日はものすごい電気を使うわけです。 その代金を電気会社に支払うわけです。 電気会社は企画をしてもらうほどに消費されて請求できる。 マスコットキャラもそれを製造する人がいて、大量に発注がかかり、代金を請求しているわけです。 人々はそのマスコットキャラクターのついた絵柄のシャツを買う つまり 消費するわけです。 販売する人の人件費を無料にすれば、差益が大きくなるとして、差益分を寄付金としてまわせる。 イベントがあるつど、消費は拡大されて、企業はもうかる。 だからオリンピックを招致しようと必死なわけです。 オリンピックもイベントも大量消費ビジネスが本当の姿。 そんなのがわかっていなくて、愛が地球を救うだ? 「利益があるイベントをやることで、儲けを狙う人が参入し、通常1000円のシャツに寄付金代1000円をつけて2000円で買わせている ビジネスだろう! なにが慈善事業だ 正直に金を儲けたいから参加しだください、金を落として自分の儲けさせてくさだいと言え」と思う私は ひねくれているのでしょうか。 それとも冷静に物事を見れて、詐欺商法に騙されて夢をお金を払って買う夢想家にはなれない冷めた人でしょうか? ドリーマーが一番騙しやすいですよね。 そして騙されたと後で気づいて、消費者苦情センターに被害者だと名乗る。 「こんな簡単な詐欺に騙される頭の悪いお前も悪い 自業自得」と消費者センターは本音は言いたいんじゃないかと。 「市民よ騙されるな こんなことで騙されて税金を使って対応させる職員を使うなよ、何度も騙される人は、騙され保険に加入してもらい、それぞれで補いあって欲しい。騙されない人が収めた税金を騙されるたびに使わないで欲しい」って思います。 大人気ないので言いませんが、「またコイツ騙されて周り迷惑かけるつもりか」と思うとイラってしますね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >夢想的で杜撰な大人 ACの方とかは特にそうですね。 育ち方と過去がかかわるのでしょうか。 私もあまり人の事は言えませんが、 口だけで現実的な提案を全くせず 日ごろから現実を深く知り自身の知を深める努力を していない人は・・結構いますね。 >愛は地球を救う から後のお話について そうですね。 でも建前だけでも愛や利益を度外視した一面が有ると それが働く労働者の誇りになりモチベーションになり 結果労働の成果や技能習得意識の向上に繋がるとか 服産的な効果も有るのかもしれません。 >騙されて税金を使って対応 確かに、これは超迷惑ですね。 でも現実を見て何かを合理的に構築できるか否かは 遺伝の能力と過程で育つ精神面次第ですし、 かならず弱者は生まれる・・見捨てて良いものでも ないのかもしれません。 色々考えさせられました。 ご回答、ありがとうございました。
自分の考えですけど、幼児や小学生ぐらいまで「サンタクロース」を信じている子と、親の好意であると知ってしまった子の違いのような気がします。 事実は違うと教えたい。 しかも子供心に「夢」のような純粋に信じていたものが、とても現実的で身近な大人のしていた事だと知るのは、かなり絶望するだろうし最初からサンタクロースがいるなんて言って欲しくなかったと思うぐらいのショックだと思うんです。 大人になるまでには、学校や友人・社会の矛盾など、良いことばかりじゃないことを体験して、心底現実とい言うものに期待をいだけずに大人になる人が多い中で、質問の例にあるような、純粋な面を表に出す人を見ると、同じ現実の中にいるのに、なぜそんな気持ちで居られるのか?と疑問に思うのではないでしょうか。 それこそ、「今の年齢になるまで現実を見てこなかったの?」と私なら感じると思うんです。 所謂「かまとと」かと。それが苛立ちの原因じゃないかと思いました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほど、だからこそ私は 純粋さを乗越えてもなお人を愛せる人に 惹かれる傾向が有るのかもしれません。 多くの人はやはり傷付いてそのまま生きていき 年齢が上がるとある程度解消されつつも 荒んだ心で生きて行く人が多いですし。 勉強になります。 ご回答ありがとうございました。
- try50
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それが自己満足、自己完結であることを経験的に知覚しており そんなことにつき合わされるほど暇ではないという意識が働くからだと思います。
お礼
なるほど・・。自己満足で自己完結である・・ なんとなくわかるような上手く理解できないような。 ご回答ありがとうございました。
お礼
>当然のごとく愛情や庇護を求めては止まない >貪欲さや狡さ、醜さを隠し持っている 確かにそうかもしれません。 愛して欲しい人に愛してもらえなかった反動で 他の誰かに愛してもらおうとして そういう行動に至るのかもしれませんね。 >「無垢な存在に憧れているから」 >自分の心が卑しく醜いものの様に思えて傷ついてしまう。 確かに。私の心の中にもゼロとは言えないものが有ります。 憧れつつも自分はそうあれない苛立ちなのでしょうか。 その自己否定の苦痛が怒りとして現れる と。 苛立つ気持ち 憧れる気持ち 許されなかった過去 この事は多くの人の怒りの感情の根底に関わるのかもしれません。 とても勉強になるご回答、ありがとうございます。 今まで自分が見えていなかったものに 少し気付き理解させて頂けました。
補足
この場を借りて。多くのお返事が送れてすみません。 皆さんのご回答、それぞれ色々と参考になりました。 ベストアンサーはお2人方悩みましたが こちらをベストアンサーにさせて頂こうと思います。 ご回答の数々、ありがとうございました。感謝っ