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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:同情と「思いやり」の違い)
同情と思いやりの違いとは?
このQ&Aのポイント
- 同情と思いやりは、相手の感情に寄り添う行為ですが、その違いは曖昧であり、日本語における独自の風俗様式と言われています。
- 同情は相手の自尊心を傷つけると言われますが、思いやりは相手を助けたり支えたりする意味合いがあります。
- 具体的な違いは難しいが、同情がなければ思いやりは成立しないと考えられます。相手の感情を理解し、共感することが大切です。
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お礼
>仏語のメルシは 報いがありますようにと言っていましょうか? (サイコロさん おぎないをよろしく)。 えーと、ご存じなのじゃありませんか。元々は何かの労働の対価に「塩を送る」という意味の言葉がありましたが、塩を送るという行為がなくなっても言葉だけが残って、感謝を示す語になったのでした。これがmerciの語源だと言われています。Graciasなど神の恩寵を元とする語と比べると、Merciは契約を前提とした世俗的な感謝の語だと言えますね。東京外大の教授の説ですから、ブラジュロンヌさんの方がご存じでしょう。 それでここから考えると、merciは契約である以上、相手の行為が最初から予想がついているわけです。実際、merci beaucoupという強め方は「やりすぎです」という皮肉の意味が入りますが、これはmerciが元々契約上の礼であるからだと説明もつけられるでしょう。 こうした契約に基づく発想は、「ありがたい=在り得ない」などという日本語の発想とは根本からして違います。日本語では予想もしないことをしてもらえると、嬉しいようですね。他に「かたじけない=(そこまでしていただくのが)恥ずかしい」も相手の行動を予測していないという前提があります。 >英語のサンキューや独語のダンケは どうも英語の 思う( think )と同じ語根から出ているようで 言ってみればお礼を言うほうが 《思いやります》というふうに表わしていましょうか? ご恩を忘れませんという意味でしょうか? 英語に関しては、それでいいと思いますよ。OEDには異説はあるものの、thinkと同じという説が紹介されており、言語分布からしても、merciとは別物だと考えてよいようです。 こういうのは、ワルツブルクあたりが権威なのですよね。ブラジュロンヌさんもお好きなのですか。ところで語源学による言語の分布の話はついて行けますが、何の話なのでしょう。つながりがあまり見えていないのですが。
補足
【ベストアンサー選出にあたって】 投稿も一区切りついたように思ったので、ここで設問を締めることにしました。皆さま、どうもありがとうございます。 この投稿をBAに選んだことについて、首をかしげる方もいらっしゃるかと思います。当初、この投稿の趣旨はよくわかりませんでした。しかし、おそらく投稿者の趣旨と外れる形でしょうが、再解釈する中で、自分なりにわかってきたこともあります。なぜ、日本語の「思いやり」は難しいのかという理由がです。 No12で別の回答者の方から指摘があったように「思いやり」という語は「思いあげる」という用例と比べることができます。「やる」にせよ「あげる」にせよ、贈与に関連する語であるといえそうです。しかしそうであるのなら、果たして、相手の期待値をどのように我々は考えているのでしょうか。 個別の話なので、一般化して議論することが難しい問題です。しかし私がお礼欄で書いたように、日本語の「ありがとう」は語源的に「ありえない」と同じであって(異説があることも承知はしています)、相手の好意を当初から期待していないのです。翻ってみれば、感謝に足る行為とは、予想を裏切る行為でなければならないのです。 これは大変なことです。というのも、好意に基づく行動が失敗すれば「ありがた迷惑」になるからです。これは予想可能な、場合によっては契約に基づくことを感謝とするフランス人の感覚とは、大きく異なるでしょう。こうした「ありがとう」の文化は、日本が島国であり、閉鎖的な村社会の中で、相手の期待値が十分に予測できるという背景をもったうえでのことであったと言えるかもしれません。 ともあれ「ありがとう」という言葉を持つ日本人にとって、相手のために何かするということは、常に拒否されるかも知れないという危険と隣り合わせなのです。ここから「思いやり」に与えられる意味がフランス語などに比べて、多義的で繊細である理由を理解することができないでしょうか。「思いやり」という微妙な言葉が存在するのは、他方で好意が容易にありがた迷惑やお節介になりやすいという背景を持っているからだと考えられるのです。 これはまだまだ議論の入り口の段階ではあります。「思いやり」の多義性を分類して深く考察するには及んでいません。実際、設問の「同情」と「思いやり」の差ですが、感情vs理性、思念vs行動という図式も出てきたものの、決定打に及ぶまでには考察が進められませんでした。ただ一つ言えるのは、「思いやり」の方が同情よりも幅広いニュアンスで使用できる便利な語であるということです。 しかし、これ以上の議論をどう進めたものか、私にはあまり見通しがつきませんでした。実際、設問欄の性質上、回答者がのってくれないと、議論も進めようがないのです。かくして目算がつかない時点で潔く、議論が半ばのうちに私が強引にまとめる形ではありますが、一度、設問を締めようと考えます。どうもありがとうございました。 末尾ながら、東北の復興を祈りつつ。