- ベストアンサー
すぐに人体に危険が及ぶわけではない
という表現をテレビで良く聞きます。 放射線量が微量であることの説明として盛んに使われている表現です。 これを「だから安全である」という意味で使っているようですが、これはおかしくはないでしょうか。 また、聞くほうも「あ、そうか。だから安全なんだ」と思うものでしょうか。 「後で危険な状態になる」 あるいは、少なくとも 「後で危険が状態になる可能性がある」 という意味ですから、決して安全性を担保するものではないはずです。 原子力安全保安院や官房長官あたりも平気で使っているようですが、この感覚は不思議な気がします。 みなさんは、どのようにお感じになるでしょうか。
- みんなの回答 (10)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
その他の回答 (9)
- phobos
- ベストアンサー率49% (515/1032)
回答No.10
noname#194996
回答No.9
- bari_saku
- ベストアンサー率17% (1828/10269)
回答No.8
- mi-e007
- ベストアンサー率20% (18/90)
回答No.7
- cxe28284
- ベストアンサー率21% (932/4336)
回答No.6
noname#252332
回答No.5
- bari_saku
- ベストアンサー率17% (1828/10269)
回答No.4
- trajaa
- ベストアンサー率22% (2662/11921)
回答No.2
- sitappa40
- ベストアンサー率19% (202/1054)
回答No.1
お礼
ご回答ありがとうございます。 >安全か危険かは主観的な基準により個々に異なりますから、安全かどうかは自己判断してください、ということでしょう。 : んな馬鹿な。^^; 自己判断できるわけないでしょう。 なんのために税金を払っているのでしょうか。 >微量でも危険と思う人にとっては危険な状態、それくらいならいいやと思う人にとっては安全な状態になるってことだろうと思います。 : まあ、これはおっしゃっている意味はわかりますけどね。 しかし、微量かどうかというのは、素人にはわからないですよ。 放射能の影響というのは累積で判断されますからね。 一瞬、ある程度の強い線を浴びるのよりも、いくら弱くても継続的に浴びるほうが影響は大きいはずです。 どの程度の期間浴びることになるのか、どの程度の量を浴びるのか、について明確ではないにしろ目安も示さずに「すぐに人体に危険が及ぶわけではない」などと言える人間の気がしれません。 いや、あなたに文句を言っているわけでは無論ないのですが。 >逆から言えば、安全とは言ってないから、自己判断で何が起きても責任は持てないよ、という意味も言外には含まれているのがこの表現だろうとは思います(笑) : そういった意図を知られないように表現しよう、という姑息さが、この表現にはあると思いませんか? >もっとも安全だという判断を前提として原発が建設されているわけですから、この期に及んで責任転嫁もできないだろうと思いますけどね。 : いや、これはですね、別の問題になると思っています。 原発の恩恵を(否応無く、という場合も含めてですが)甘受しているのは全国民ですからね。 >つまり、誰にも安全か危険かは判断できない、と言えるかもしれません。 : そうですね。 繰り返しになりますが、そうであるのに、判断できるかのような印象を与えるための姑息な手段として国語表現が不当に利用されているのではないか、と思うわけです。 >安全と危険の分岐点だからこそ判断を個人に委ねているのだとすれば、安全じゃないんだろうなあ、とくらいには覚悟しておいた方がいい表現じゃないかと個人的には感じています。 : 自己防衛手段としては、そういう心構えが必要ですね。 しかし、我々の税金で食っている連中が、我々を誤魔化しで納得させようとする言動には、異論を唱えていく必要はあるような気がします。