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蘇我氏と物部氏との間にあった仏教について。

蘇我氏と物部氏は、共に実力者であったにも関わらず、両者は仏教肯定派と否定派に別れていたために仲違いをしたと伺いました。 蘇我氏は、なぜ仏教を肯定したのですか? また、物部氏はなぜ仏教を否定したのですか? もし分かる方がいらっしゃればご回答願います。

みんなの回答

  • misawajp
  • ベストアンサー率24% (918/3743)
回答No.3

拮抗対立していますから 相手が白と言ったら こちらは黒を主張 現在まで 全く変わらない権力闘争の構図です ここ10年(余裕があれば徳川幕府~明治へ)の国内の動きを良く見てください 人間の発想行動は、千年経っても変わらないことが判りますよ 質問の仏教は内容ではなく 口実です

noname#177363
noname#177363
回答No.2

「両者は仏教肯定派と否定派に別れていたために仲違いをした」というのは、この問題をかいつまみ過ぎです。 元々両者は、さまざまな面で逆の立場で、対立しやすい状況にありました。「共に実力者」だったからこそ、対立したと言えます。 物部氏は「連」の氏族で、蘇我氏は「臣」の氏族でした。「連」とは大王(天皇)家の臣下のような家柄で、「臣」とは在地豪族の家柄です。この頃の大王家と畿内の豪族は、家柄や立場にその後の時代に比べると格差が大きくなく、一歩違えば畿内の豪族は大王家と肩を並べかねない時代もあったようです。となると、「連」の氏族としては大王家を守ることが使命のように感じ、「臣」の氏族を敵視するようになるのは自然の流れだと思います。 また物部氏は守旧派で、蘇我氏は進歩派だったと言われています。 両氏はこうした対極にある氏族の、それぞれがトップに立つような立場にあったという前提を、まずはご理解下さい。 蘇我氏は渡来系だったのではないかという説も一部にはあり、そうでないとしても渡来系の人材を登用するなど、新しいものをどんどん取り入れようとしていたと言われています。大陸や朝鮮半島からの先進の技術や文化を取り入れる中で、仏教を最初に日本に持ち込もうとしたようです。 対する物部氏は良くも悪くも古い考え方で、それらを守ろうとしたようです。その中には日本古来の宗教を奉じるという一面もありました。 さらに大王家を挟んで勢力争いがあったため、自分の信じる物を強く肯定して、相手の信じる物を否定したり非難したりするというのは、政治の世界ではいつの時代もあることです。 これが両家の対立の概略です。 単純に質問に答えるとしたら…。 「蘇我氏は、なぜ仏教を肯定したか?」仏教を宗教としてだけでなく、大陸からの新しい文化としてとらえていたはずです。それを日本に持ち込むことで、新しい文化や技術を日本に広めることで自分たちの勢力を広げたいという目論見もあったと思います。それとともに、対立している物部氏を中心とした守旧派をけん制し、しいては相手の弱体化を狙っていたかもしれません。 「物部氏は、なぜ仏教を否定したか?」古くからあった日本の宗教を信じ、それを守ろうという人にとって、新しい宗教というのは、仏教でなくても得体が知れないものでしょう。ましてや、それが対立している蘇我氏が推し進めようとしたのですから、肯定する理由がありません。

  • amuro-rei
  • ベストアンサー率13% (151/1084)
回答No.1

軽く言えば・・・。 >蘇我氏は、なぜ仏教を肯定したのですか? →大陸との交易を担当しており、大陸の文化に触れる機会が多くあり  それと一緒にもたらされた新教にも寛容であった。 >また、物部氏はなぜ仏教を否定したのですか? →元々物部氏は日本古来の宗教に(現在の神道に当たるかはわかりかねる。)傾倒していた。  蘇我氏は、朝廷で重臣になったのが物部氏より後になるため、蘇我氏に対して対抗心があった。 程度なんだけど・・・。 小学生なのかな?中学生なのかな? この程度、先生って説明してくれなかった?

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