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物質って?

物質って、時間(運動)と根源的な法則、例えば相対性(対極)とかその他いくつかのそう言ったモノ(根源的な法則)が、累積される事によって、存在していると、思っているのですが間違いなのでしょうか? 個人的には、空間(宇宙)も物質であると考えているので、光より速い速度の流れの中に在る。と思うのですけど・・・・。

みんなの回答

回答No.7

zakky74でございます。 >観術、そんな便利なモノが在ることを初めて知りました。 いやもうこれは本当に便利でございます。 物理学に言う最終理論、万物の理論を理解・説明するだけでなく、全ての相対世界をいとも簡単に説明出来てしまうものです。全てをHITOTSUから説明する事ができる・・・それをなしえたものが観術です。 それをなしえただけでなくて、今ここの自分たちの認識画面にも繋がっています。物理学や科学の限界は、今ここの自分たちの認識画面には何の関係もございません。 学術的理解方式には、致命的なミス、誤り、間違いがございますので、永遠に答を得れない様になっています。重要な事は、東洋の悟りの英知を借りなければ西洋の最終理論は語れません。同様に、西洋の最終理論を借りなければ、東洋の悟りもただの個人の思い込みです。 科学を悟らせること。 悟りを科学すること。 これができるのが21世紀の悟りでございまして、観術は、21世紀悟りから誕生しているものです。全てをHITOTSUから理解できるのが今の時代であり、この国、日本です。 この発見・発明を下に、これから日本は大きな経済大陸を胎動させていくでしょう。 イギリスから産業革命。 アメリカからIT革命。 次は、日本から認識革命。 それは、これ以上進む事が出来ない学術の限界を補う観術によって起きるものです。 とても便利なものです。

maimaisus
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

noname#221368
noname#221368
回答No.6

 以下、#1さんへの補足から抜粋しています。 >まず時間から、日々の生活の中で時間とは動く事だと推測しました。・・・  鋭いなぁ~、と思いました。現在の物理基準で言っても、これ以上の応えは返ってこないと思います。自分も同意見です。 >すると、時間には多くの時間が在ることに気付きました、・・・  その通りですが、ただ単位時間の基準を設定する事はできます。これは人間が勝手に出来ます。  例えば太陽の星時間(太陽が今のようになり、崩壊するまでの時間)を単位時間と設定すれば、原子時計の原子の振動周期は、使用した原子によって一定だとなります。そういう意味で、物理時間は観測者を固定すれば一個でないのか?、が今の物理の意見と思います。「観測者固定」の制限を付けるのは、相対性理論があるからですが、固定した観測者に対して相対的に静止しているどんな観測者においても、固定された観測者と同じ時間になるが、相対性理論の結論です。 >次に何故「累積」と言う考え方をしたかと言えば、今の自分は、記憶と経験の積み重ねで、存在していると考えたほうが、今の原状を理解できる部分が多く、・・・  その通りだと思っています。同じ意見です。しかし、・・・ >・・・これを物質的なことに当てはめても色んな現象にも符合する点が多いからです。  何故これを、物質的なことに当てはめられるのか?、の根拠がわかりませんでした。自分はどちらかと言うと、素朴実在論者です。自分以外の物質(犬も石っころも)、自分とは無関係に存在してると思ってます。自分がいようと、いまいと・・・。自分と無関係な客観的存在は、自分の外部に存在すると、本気で信じています。  そうすると「これを物質的なことに当てはめても色んな現象にも符合する」のは、たんに自分の事をそう考えれば納得できるからではないのかな?、と思えてしまう訳です。この線で行くと、「色んな現象にも符合する」は、認識論と実在論を取り違えた、観念論でないか?という結論になります。 >・・・私の考えと言うより、東洋的な、いわゆる仏教や仙道的な考えを自分なりに解釈しただけなんですけどね。  自分は仏教や仙道的な考えは、むしろ好きです。しかしそれを、物理に結合させるのは今のところ反対です。今のところの標準物理は、嫌になるほど即物的で、それらを受け入れる余地がないからです。パラダイム論で有名で本職の物理学者でもある、トーマス・クーンなどは東洋思想に最近傾いているようですが、その辺りを読んでも、現状の物理では無理だろうと思いました。「即物性がない」からです。  最後に、#2さんの発言については色々言いたい事もありますが、ここでは一つだけにします。   ・少なくとも、「西洋の知の叡智である最終理論・万物の理論」は出来ておりません。これは現在の物理学の最終テーマです。  異論があるなら#2さん(名指しです)、   http://oshiete.nikkeibp.co.jp/qa6411221.html で発言してください。この前も、お誘いしましたよね?。

maimaisus
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >認識論と実在論を取り違えた、観念論でないか?という結論になります。 そうみたいですね、すみません。

maimaisus
質問者

補足

個人的な意見ですが、仏教や仙道、ヨーガなどは、固体(個人)が思考と感覚を極めることにより、理解・認識するに対して、西洋科学は、全体(人類)が理解・認識をするための学問みたいな違いが在ると思っています。

  • s_hyama
  • ベストアンサー率19% (12/61)
回答No.5

すべての存在は光速度に変化しているという考えで良いのではないでしょうか?  真空と光の関係で光速が観測されるのであって、それを真空は何もないという言葉だけでリセットし、無限大の発散をわざわざ生む必要もないでしょう。 現代理論では電磁ポテンシャルが電磁場の元という考えも参考になるのではないでしょうか? http://www2.kobe-u.ac.jp/~066s154s/files/jc07/ABeffect.pdf#search='電磁ポテンシャル' 宇宙という存在は、時間物質時間の相対関係で特性があり、今と昔ではその相関が違うので、今見える昔の光は宇宙論的赤方偏移して見えます。 波と物質の違いは、留まろうとするエネルギーを物質、拡散しようとするエネルギーを波で、光は物質のお化けって呼んでますw 光より早い速度って呼んでいいかはわかりませんが、近接作用では光速度が最高で空間の見え方は光の速度を超えてても物質相対では問題ありません。 ひゃまの時の変化力より

maimaisus
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • k_kota
  • ベストアンサー率19% (434/2186)
回答No.4

補足を読みました。 面白い意見だとは思いますが、自然科学では無い気がします。 N0.2の型の意見の方があなたのためになるでしょう。 ちなみに、物質が止まっていることがないと言うのは正しいです。 と言うか、物質は厳密には位置と速度同時に正確に知ることができないと言うのが量子論以降の物理です。 個々の時間が異なるというのは相対性理論を参照下さい。

maimaisus
質問者

お礼

科学的な事とは認識の違いを知りました。 回答ありがとうございました。

maimaisus
質問者

補足

>ちなみに、物質が止まっていることがないと言うのは正しいです。 と言うより、動いているからこそ、物質は存在していると認識出来ると考えています。 なので、物質に時間が存在しなければ、それは存在出来ないと思います。 例えば、信号で車が止まっていとします、しかし地球自体は動いているので止まっている訳ではないという様に、仮にそれが時間(地球自体の動き)に影響されなければ、存在出来ないのではないでしょうか。

  • s_hyama
  • ベストアンサー率19% (12/61)
回答No.3

当然、物質や波も含めたエネルギーを正として保存則が成り立つなら、 慣性の法則も含めたその正のエネルギーが変化し続けている現実があります。 その変化の仕組みを説明し、検証できるのが物理学と考えています。 ひゃまの時の変化力でいくと、宇宙という存在は、時間空間物質という相互関係による特性を持っています。 物質や波という正のエネルギーの変化は、真空ポテンシャルというバイアス(時の変化力)を元にして変化しています。 それは重力慣性力下において光速の二乗にあります。 c0^2=c^2+2GM/r(重力と等価な慣性力) 宇宙は物に集まり波で拡散します。

maimaisus
質問者

お礼

丁寧な回答ありがとうございました。

maimaisus
質問者

補足

この回答と話はずれてしまうのですが、No.1の方の捕捉の捕捉をさせてください。 No.1の方の捕捉では、書かなかったのですが、本当の意味で止まっている物質は存在しえないと言う意味です。 ちなみに、波みに対しての考え方ですが、物の一部、もしくは側面みたいなモノって思っています。

回答No.2

そこまでイメージがあるのでしたら、物理学にいう超対称性について追求をされてみては如何でしょうか?或いは東洋の知の叡智を使いたいのでしたら、空について追求をされてみては如何でしょうか? 空から、一体どのようにして色になったのか?というような質問と似ているかと思います。 そして、空から一体どうしてダークエネルギー・量子振動・力・光・素粒子、ができる様になったのかを細かく説明出来る事で物質とは一体何なのか?について明確に理解する事ができるかと思います。 ただ、何と言いますか。 学術を土台としたアプローチでは答には辿り着きません。 もし追求に困ったのでしたら観術に頼ると良いかと思います。 観術は、西洋の知の叡智である最終理論・万物の理論と東洋の知の叡智である悟りを、高次融合させる事に成功した世界初で歴史初の大快挙でございまして、この発見・発明の世界を覗くことで全ての疑問はキレイスッキリ解消されるかと思います。 如何でございましょうか?

maimaisus
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 観術、そんな便利なモノが在ることを初めて知りました。 勉強させていただきます。

  • k_kota
  • ベストアンサー率19% (434/2186)
回答No.1

科学としての立場から言うと、具体的に相対性とか根源的な法則と言うのが何かを具体化しないといけませんし、法則は累積するものではありません。 一般には、元素によって構成させるものを物質としているようです。 元素は電気的な性質、空間を占有する性質、質量などを持っていまして、 特殊な場合を除いて増減はしません。 一般に空間は物質ではないと思われます。 基本的に科学は客観的事実の集まりですので、 その定義と異なるものを主張する場合には、自説の方が自然現象をうまく説明できる事を示さないといけません。 また、通常の定義が自分の意見と異なり、その差分を埋めたい場合には、 もう少し的を絞って列挙しないとちょっと説明しにくいかもしれません。 間違いかは分かりませんが、あなたの考えは現代の科学とは異なるように思えます。

maimaisus
質問者

お礼

分かりやすい回答本当にありがとうございます。 そうですね。専門的な定義を理解しないで曖昧すぎる質問でした。 すいません。

maimaisus
質問者

補足

どうもまあせっかくなので、何故そう考えたのか説明させてください。 まず時間から、日々の生活の中で時間とは動く事だと推測しました。何故か、考えるにしも、認識をするにしても動きが無いと始まらないからですここは至って単純なのですが。 すると、時間には多くの時間が在ることに気付きました、動物は一個体ずつの時間が在り、星には星ごとの時間が在り、太陽系には太陽系の時間が存在すると言ったような、重複する時間の存在と、また光のように別の動きをする時間などです。 次に何故「累積」と言う考え方をしたかと言えば、今の自分は、記憶と経験の積み重ねで、存在していると考えたほうが、今の原状を理解できる部分が多く、これを物質的なことに当てはめても色んな現象にも符合する点が多いからです。 イメージ的な話で申し訳ないのですが、時間を川の流れにたとえたら法則は網で物質はそれにかかる、ゴミや魚と言った所でしょうか。 故に空間とは、ある一定の法則と時間の結びつきの塊、もしくはエネルギー体と考えた訳です。質問では大きい意味で物質という表現をさせてもらったのですが、的確でなくてすみません。 な訳で物質とはその中の密度や性質の違いで、ある一定の条件を満たしたモノだと推測したわけです。 そこを踏まえて考えると、大は物質の存在としてはより確定、小は不確定、時間の影響の仕方が違っているのである一定の大きさ、密度の下回るモノなどは認識がより困難だと言えるとおもいます。 そして、光のまたその中を移動すると言う事なので、その元時間の流れは光よりも早い速度だと思うのです。さらにそれはさらに重複しているのかも知れません。 実際人間の価値観や思考と言いた力は、存在しても、そう言う形(物質)では存在しないですからね。 って言うかこれ、私の考えと言うより、東洋的な、いわゆる仏教や仙道的な考えを自分なりに解釈しただけなんですけどね。 全然科学的でなくてすいませんでした。

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