世界史の用語集とかには、ちゃんと有償廃止と無償廃止と分けて書いてあるはずです。
チェックしてますか?
1789年8月4日は、封建的特権の有償廃止では、
農村部で広範囲に起こった大恐怖に対応するもので
反乱を鎮めるために立憲議会で早急に決議されたのですが、
封建制度を廃止するに当たって、
例えば身分制(貴族制や農奴制など)の廃止や、領主裁判権の廃止(司法の統一)、
その他の権利、狩猟権(ほか放兎場権、鳩小屋権など・・)の廃止、売官制度の廃止などは
問題なかったわけですが、教会の10分の1税を除く、
個人の経済的特権(利権)、(領民の所有地に対する)貢租などについては、フランス人権宣言に関係して、
保護されるべき私有財産権であったために、
これらは権利者(貴族/領主)から権利をむげに没収することができずに、
権利を国が買い取るという形にしたわけです。これが有償廃止。
しかしそもそもフランス革命は、王室財政の破綻を機にして起こったわけであって、
国家にはすぐに地権者から権利を買い取ることができずに、現状が変わらなかったわけです。
つまり貢租を、地代として払い続けることになりました。
また土地所有自体も、大土地所有が残り、耕作者と土地所有者が違うことが多く、
貢租以外にも、個別の貸与契約をしている農家がほとんどで、自営の富農や大小作農を除いて、
農村は貧しく、フランスには土地を持たない農民が多くいたわけですが、
1793年頃になると革命は極左化していったために、左翼的な貧富の格差の是正、
平等主義た台頭して、小土地所有の自営農を増やそうという動きがでてくるわけです。
1793年7月17日の封建的特権の無償廃止もその流れで、
国家による買い取りを止めて、没収に切り替えたわけです。
この背景としてはアッシニアの暴落があって、地権を紙幣に換えてもすぐに値崩れする紙幣であるため、
事実上、紙幣による買い取りが自体が無意味になってきていたということがあり、
さらに、反革命社容疑者法による検挙などにより、地権者の多くがすでに亡命するか
逮捕されており、買い取り(または支払い)に応じる相手が不在になって、
多くの地域ではすでに払っていなかったいたということがあります。
つまりは現状の追認に近いわけで、特に大きな変化が起こったわけではないのです。
昔(1990年代)の教科書あたりだと、ここで小土地所有の農民が誕生したかのような誤解が書いてあったわけで、
農村の保守化とか書いてテルミドールの背景とかしているものがありますが、
それは間違いで、この政策によっても、農民には土地は渡りませんでした。
それで公安委員会政府は、ヴァンドーズ法で、没収した土地の貧農への均等分配を目指すわけですが、
クーデタで挫折してこれはついぞ実現されず、
土地に関する権利は(土地債券などの形で)国有化教会財産などと同様、競売にかけられて、
ブルジョワジーによる買い占めが行われました。
お礼
詳しく教えていただきありがとうございました!