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中国の胡漢二重体制について
はじめまして。 中国、五胡十六国時代の胡漢二重体制について教えてください。 国によっての違いなどはあるのでしょうか? また天王と皇帝の違いはなんですか? よろしくお願いします。
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- zep19
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皇帝と天王について 位の序列からいうと皇帝→天王→王→公となりますが 天王と王の格差は極めて大きいものの 天王は皇帝より一段下がった地位にあるが、極めて皇帝に近い位置にあったと思われ 皇帝と同等の礼をもって遇されました 十六国の僭称も様々で 代、西秦、南涼、北涼・・王 後涼・・王→天王 前趙、成漢、前燕、南燕、北魏、後秦、西燕・・王→皇帝 後趙・・王→天王→皇帝 北燕・・天王 前秦、夏・・天王→皇帝 後燕・・王→皇帝→天王 前涼、西涼→公 例えば後趙の石虎は天王を称していましたが、群臣に勧められ皇帝を称しました 【参考文献・引用:魏晋南北朝官僚制研究 窪添慶文著より】
- zep19
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すみません 二重支配体制については北魏ならある程度知っているのですが 他の諸国はあまり知りませんので悪しからず 北魏において 鮮卑族をはじめ北族(胡族)は各部落大人(部族長)により統率され その頂点に立つのが皇帝でした 鮮卑族を除く北族は護軍と呼ばれる官職により統治されその配下に各北族の部族大人が配属されました この官職は北魏以外の十六国でも採用されたようです (例(前涼):護羌校尉→羌族部族大人) 北魏においては道武帝が鮮卑族の部族大人から統率権を剥奪し部落を解散し 代わりに八部大夫を設置し鮮卑族を統治させました 鮮卑族以外の北族には部落大人の制を存続させましたが 中央軍の虎林(親衛隊)に選抜された例えば高車族の高車虎林は部隊大人から離脱されました 鮮卑族も他の北族も兵戸(世襲される終身軍人)に登録され 中央軍や鎮城(北部国境に配置)に主に配属されました 漢族に対する統治は従来の郡県制を踏襲し戸籍に登録 漢族の兵戸は若干の例外を除き存在せず、兵は農民を徴集され地方軍に配属されました 洛陽遷都後はしだいに漢族の兵戸も現れるようになります 軍種も高車の軽装騎乗弓兵、鮮卑族の鉄騎(直接攻撃兵器を持つ重騎兵)の違いはあるものの 北族は騎兵 漢族は使い捨て同様の歩兵だったようです 長文失礼致しました