古代ローマの皇帝=エンペラーと中国皇帝はその成り立ちがまったく違います。
古代ローマのエンペラーは共和制時代の非常指揮権・護民官特権・祭司長特権を一人の人間に与える、という民主主義的な制度を活用(援用)した制度であり、エンペラーが実質世襲になった後も市民投票などの民主的な制度は一応機能していました。ですので「誰がいま統治者か」とうのはとても重要で、世襲といえども一応市民の了承を得る手続きが為されており、現代のアメリカ大統領のように、市民の代表としての統治者の意味合いが強かったのです。
また、共和制時代もコインが作られており、そのコインは神々(この時代のローマは多神教)が彫られていたのですが、ユリウス・カエサルの登場する時代になると、スッラやポンペイウスなど実質的に権力を掌握した個人のコインが登場し、その後エンペラーのコインにつながっていきます。ローマ帝国(その頃はエンペラーが監督する帝国)のコインは近隣諸国でも流通していましたので、今誰が統治者か、ということを知らせる意味もありました。そして帝国内で起こったすべてはエンペラーの責任に帰せられたのです。
それに対して中国皇帝は、冊封体制で近隣諸国の王よりも一段高い地位にいるといっても、制度上は王族であり、世襲で交代するものでした。また皇帝の下にある政府・役人も貴族と科挙で登用された役人が切りもりした、巨大な官僚組織が国の運営実態でした。そのため、責任は役人のところで処理され、世襲の皇帝には及ばなかったのです。
このため、古代ローマと違い「個人」が出てくることが無かったといえます。
また東洋には、忌み名の風習があるように、個人が特定されると、呪術で呪うことが出来る、という考え方もありましたので、皇帝の顔を描くのはむしろタブーだったのではないでしょうか。
ローマは民主的な制度の積み重ね(と飛躍)で個人に責を帰す制度をつくり、中国は個人の責に帰さないように官僚制度を作り上げたのが一番の違いだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうだ!思い出しました。 私が読んだ本にも、たしかこのようなことが書いてありました。 「ローマ帝国のコインは近隣諸国でも流通していましたので、今誰が統治者か、ということを知らせる意味もありました。」 これがなかなか思い出せなかったのです。 こういう理由なのですね。 詳しいご説明のお陰でよく分かりました。