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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:穢多・非人の禄について)

穢多・非人の禄について

このQ&Aのポイント
  • 穢多や非人が得ていた禄について知りたい
  • 禄の他の例や禄を得ることに対する社会的な見方も知りたい
  • 大阪の不祥事と禄の関連性について考察している

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.4

こんにちは。 bungetsuです。 まず最初に断っておきますが、序列としては、「非人」の次に「穢多」となります。 非人は、心中のしそこない等で、人間としての権利を剥奪された者を指します。 また、非人溜りと呼ばれる所に集められ集団生活をさせられていました。 江戸で有名なのは、荒川土手の非人溜りで車善七が率いる集団がもっとも活躍し、死罪になった者の首を洗ったり、寺へ運んだりして駄賃を得たり、土手の痩せた土地を開墾して食料を得たりしていました。 また、非人は「銭」さえ出せば「庶民」になることもできました。従って、親兄弟や親戚が裕福であれば、非人から庶民に戻れたのです。ただし、一生涯庶民に戻れない人も多かったのです。 穢多は、手っ取り早く言ってしまえば、「狩猟民族」を指します。 江戸時代では、仏教や儒教の精神で、「動物の肉を食べる者」が一番「汚らわしい」とされていたためです。 従って、穢多は「マタギ」などを生業とする人たちでした。狩猟をし、動物の肉を食い、皮は革製品などにして販売をしていましたので、非人よりも裕福な家もありました。 >>「穢れた糧を得る」「汚い(または卑劣な)仕事をして収入を得ている」といった見下しはあったのでしょうか。 当然、非人であれば「人間に非ず」。また、穢多も「肉を食する穢れ者」として軽蔑されました。 >>清掃作業で拾ったものは、そのままもらえるといったことはあったのでしょうか。 (仮にそうであっても、あまり価値のあるものは、頭なり、武士?なりに取られてしまいそうですが。) これは、見つけた者の「役得」でした。 ただ、非人溜りでの序列もあり、子どもなどが見つけて拾ってきた物などは、頭に取りあられたりしました。

pokoaruki
質問者

お礼

再度の回答ありがとうございました。 昔のことが生き生きと感じられて、楽しいです。

その他の回答 (3)

  • Pinhole-09
  • ベストアンサー率46% (597/1294)
回答No.3

えた、非人の業務としては、 1.土木工事関係、2.清目(きよめ)という死者の埋葬関係と 動物死体の処理関係、ごみなどの清掃関係、3.河原者という 遊芸、遊女関係の三種に大別される。 村では、村役人が土木工事、墓掘りと埋葬などに雇い、給金を 出す。  寺では寺男として埋葬のほか雑用や警備に雇う。   橋番(橋守)をさせ通行料を取らせて収入にしたという。 江戸では町屋では自警組織があり、番屋が多く作られたが、 町民は番をするのを嫌い、非人を雇った(番太という)。 また幕府が非人を集め、前記などの仕事を与えた。 町や村を離れたところでは、ざるのような、竹や藁の細工品を 作って売ったともいう。 仕事柄役得があり、結構収入はあったようです。 室町時代以前では、ほかに罪人の処刑なども行い、警備関係 が多く僧兵なども非人がいたという。 僧でないので法師武者といわれた。 もちろん前記1、2、3、の業務をふくめ一般の人も行っていました。 同様評価が低いこともありました。

pokoaruki
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 島崎藤村の「破戒」を今最初のほうだけ読んでいるところなのですが、 主人公の知っている有力者が、金持ちのエタの娘を秘密裏に嫁にもらう場面がありました。 差別の対象なのに金持ちというのが解せなかったのですが、役得から収入があった人もあるのですね。 ご回答の最後の部分に「同様評価が低いことがありました」とありますが、 これは、エタ非人と同じ仕事に従事した者も、差別の対象となったという意味でよろしいでしょうか。

回答No.2

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>もしかして、背景にこのような「禄」という感覚があったのを、現代にまで引きずっていたのではないかと思いました。 非人や穢多は、牛や馬の死骸を貰い受けて、革製品を作ることを許されていました。 そして、革製品を売買して「かて」を得ていました。 NO1の方に対抗するわけではありませんが、 建設費80万両・・・は、非人や穢多に与えられた金額ではなく、要は、工事費の諸々が80万両かかった・・・と言うだけです。

pokoaruki
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「カムイ伝」に死んだ牛馬を運ぶところを軽蔑されるシーンがあったように思うのですが、 「穢れた糧を得る」「汚い(または卑劣な)仕事をして収入を得ている」といった見下しはあったのでしょうか。 小説や漫画で読んだイメージに引きずられてしまうので、よろしくお願いします。 清掃作業で拾ったものは、そのままもらえるといったことはあったのでしょうか。 (仮にそうであっても、あまり価値のあるものは、頭なり、武士?なりに取られてしまいそうですが。) 島崎藤村の「破戒」は少しずつ最初のほうだけ読んでいます。

回答No.1

品川台場の建設は彼らが請け負っていて、その建設費は80万両です。 横浜港も神奈川部落の者が建設しました。

pokoaruki
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 土木工事等もしていたんですね。 港湾建設に従事させられたのは、キツくて危険な作業だったからでしょうか?

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