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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文: 遠藤周作氏のご子息 龍之介 の命名由来)

遠藤周作氏のご子息 龍之介 の命名由来

このQ&Aのポイント
  • 遠藤周作氏のご子息のお名前は「龍之介」という名前であり、その命名について疑問が生じています。
  • 遠藤周作氏と芥川龍之介は宗教観において正反対の立場であるため、龍之介という名前の選択に違和感を感じています。
  • 遠藤周作氏の長男である龍之介は、芥川賞受賞にちなんで命名されました。

質問者が選んだベストアンサー

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  • kadowaki
  • ベストアンサー率41% (854/2034)
回答No.1

pinaisa-la さん、こんにちは。 遠藤周作がご子息の名を「龍之介」とした真意については知るよすがもありませんが、彼の芥川をどのように評価していたかについて、 >カトリック信者だった遠藤氏と、死の床でキリスト教を否定する文章を書き続けていた芥川龍之介では、こと宗教に関する限り正反対の立場だったと思います。 と捉えるのは、やや表層的すぎるかもしれませんね。 もちろん、遠藤周作は正真正銘のカトリックでしたが、狭義のバチカンの教義の信者というよりも、人間の愚かさや弱さを慈愛をもって凝視することこそが、むしろカトリックのより深い教義なり、神髄なりにかなうはずと信じて疑わなかったのではないでしょうか。 だから、晩年に近づくにつれ、浄土真宗やアジア思想に接近したり、その延長線上に『深い河』を執筆することになったのではないでしょうか。 ご存じのように、芥川の切支丹物の中には、「お吟」という、棄教をテーマにした好短篇がありますが、遠藤はこの小品を絶賛しておりますし、代表作『沈黙』にしても、芥川の「お吟」に通底するテーマが認めれると言っても決して過言ではないような気がします。 その意味では、芥川がキリスト教に抱いていた、一種二律背反的、憎悪愛的な思いは、実は遠藤のキリスト教観とも微妙にかなり重なり合うところがあったのではないでしょうか。 ということで、想像を逞しうするなら、遠藤周作は芥川の人間的脆弱さを、ほかでもなく自分自身の問題として引き受けて生きていたからこそ、「龍之介」の名をご子息のために譲り受けようとしたと考えられなくもないような気がします。

noname#212854
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 質問が kadowakiさん向けではなかったのでしょうか。 あなたの解釈と言うか、あなたの土俵の上ではその通りですが、それぞれの作家の文学から、離れているような気がします。  たしかに、「深い河」も「おぎん」も、好編ですが、遠藤が「おぎん」を絶賛していたとすれば、彼の思索の浅さを示しているだけでしょう。  あなたの解釈に、反論(?、論ではありませんが)すると、僕の知っている限りにおいては、遠藤が自信の脆弱さを知っていたとしても、芥川龍之介に脆弱さを感じていたとは思えません。  芥川龍之介を脆弱とするなんて、敗北の文学の時代に戻ったのでしょうか、アナクロの感じがします。  しかし、唯一の回答、感謝申し上げます。

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