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「教皇のバビロン捕囚」と言い出したのは
フランス王フィリップ4世によってボニファティウス8世が死んで以降、アヴィニョン教皇庁時代が1377年まで続きます。このことを「教皇のバビロン捕囚」と呼ぶ、と高校の世界史では学習します。 質問したいのは、そうした表現でこの時代を呼ぶようにしたのは誰でしょうか、ということです。 ペトラルカがアヴィニョン教皇庁で仕事をした、ということが岩波文庫『ルネサンス書簡集』にあります。また、解説のどこかで、ペトラルカがアヴィニョンのことを「西方のバビロン」と呼ぶようにした、とあります。 この記事から、アヴィニョン教皇庁時代を「教皇のバビロン捕囚」と呼ぶようになった起源は、ペトラルカにあると考えていいものでしょうか。? いかがなものでしょう?
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http://en.wikipedia.org/wiki/Pope_Clement_V the 'Babylonian captivity' (1309–77), in Petrarch's phrase, ということのようです。
お礼
狸さん、ありがとうございます。英文斜め読みしましたが、大体そういうことでよろしい、ということですね。