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「真理は探究するもの、宗教は漬かるもの」
これが真理の探究と、宗教についてのわしの結論や。 皆はどー思うか聞かしてくれ。
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質問者が選んだベストアンサー
ミュンヒハウゼンのトリレンマというものがあります。 ある命題の正しさの根拠を探求する場合、 (1)無限に根拠への問いを続ける「無限遡及」 (なぜ?なぜ?と子供が問い詰めてくるアレですね) (2)どこかで問いを辞めてそこに根本規範を求める「恣意的中断」 (3)問いを進めるうちに理論が循環してしまう「循環論法」 のどれかに陥ってしまうという問題です。 真理が決して到達できない辛く険しい道のりであるのに対して、宗教は擬似的な真理を我々に示して心の安らぎを与えてくれるものなのかもしれません。 そういった意味で「真理は探究するもの、宗教は漬かるもの」とは実に的確な指摘だと思います。
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- ukiyotonbo
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傲慢だと思うよ。
お礼
そー思うのは、もー既に漬かっとるちゅーことなんや。
真理 というか 普遍的なものはないとおもうので 真理の探究 というものは 間違っていないとおもいます 宗教は漬かるもの ですか あれは一種の 集団 漬かっても 窒息するわけではなく(比喩的ですが)まぁ信者は 生きやすさを求めているのでしょうし その言葉には語弊があるかと ぼくは 神やらなんやらと 崇拝するのは 服従だとおもいますよ
お礼
普遍的なものは存在する。 真理とは永遠なるもの、万物を支配する宇宙の法則のこと。 しかしこれを見つ出すには探究が必要なんや。 漬かっていては決して見つけだせんもの、それが真理や。 一方、宗教は漬かるためにあるもの、真理に対し目を閉ざすもの、そして服従するもの。
- gonbuto49
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真理はそこにあるもの、宗教はとおりすぎていくもの
お礼
その通り真理はそこにあるもの。 目を開ければ見えるもの。 しかし漬かっていては見えんもの。 つまり、宗教の時代は終わったちゅーことや。
- 島崎 信也(@zakky74)
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なるほどと思わされるところがございます。 ただ、それは今までの時代でございまして、これからの時代はまた少し変わるだろうと思います。 真理は活用するもの。 如何でございましょうか?
お礼
もちろん思想や哲学を含め、人の考えることは時代とともに変わり行くもの。 ただし、ここで探究とは机上の空論であってはならず実践を伴うものでなければなりません。 まさにこの点が探究と漬かりの違いと考えるがどーや。
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お礼
完全なる真理には決して到達できんかもしれん。 しかし真理を探究するうちに徐々にその輪郭が浮かび上がってくる、これは間違いではあるまい。 しかし漬かっていては真理はますます遠のいて行く、このように言うておこう。