真理の探究とは近代の命題であり、仏教にはない
真理の探究とは近代の命題であり、仏教にはない
溶け出す活火山。
男のマグマ攻撃。
実在する仮面ライダー。
ドリル番長だ。
さ~て、宗教や哲学の研究目的を真理の探究に据えている人は多い。
仏教研究科さえ同じだ。
それ、勘違いだよ。
西洋から渡来した考えであり、仏教の目標には含まれない。
無の境地とは現代語で臨死体験であり、禅宗の座禅は仏教の経典が編纂されたシャカ入滅後500年を経過した時期の命題である「空」を「無」より重視している。
座禅で到達する瞑想状態とは、過去のそうして座禅を組んだ僧侶たちとの、自我を超越した一体感であり、交霊術だ。
自己以外の記憶に触れる「追想」と言っていいだろう。
西洋からの神学が渡来する前は、それで十分だったのさ。
ところでその、「追想」で獲得する「悟り」は、要するに真理の概念が適用しないなら、書き換えてもいいということになる。
過去記憶を霊的手法で追想する交霊術だからね。
僧侶の免許とはそうして継承されていくことで「絶対」の概念も当てはまらない。
真理に関して言っておこうか、木々のざわめきに触れ「万物流転」「森羅万象」これを感じるとき、日本人はすべて受け入れた。
西洋人は疑い抜き納得しなかった。
そこで発展したのが自然科学だが、科学万能教の神官たちは、自然に疑いでなく真摯な好奇心を向ける人々によって切り開かれたのだろう。
思考において、疑うという構えでは成果が出ないことを心得たまえ。
科学神官は西洋でもごく一部の優れた人々であっただろう。
そうして、新たに神となる役職が誕生した。
こういうやつだ↓
http://y-watch.info/book/uso.html
このポストは、人類の退化を未然に予防するために、応急処置で、かなりいい加減に、大幅な手抜きで、神に昇華した。
信奉者は宇宙人の存在を祈るほどに信じる人々だ。
この神様とも、西洋人は交霊術を行っているらしい。
アメリカ人の神は現代では宇宙人だ。
さて何が質問かというと、宗教的儀式は大体こんなもんだと、了解できたことを書き出してくれ。
ここは学問カテゴリーで、研究の助けになる回答募集だが、同時にこの場所は、男磨きの闘技場 オカマバー クラブヴァルハラという哲学を面白くするための涙ぐましい努力の一環としてショープレイする場所だ。
イロモノ回答大歓迎。
アニキなツンデレでお迎えしよう。
通常は危険を冒さなければ楽しめないオカマ相手の痴話げんかが気軽に楽しめる自由特区だ。
お礼
完全なる真理には決して到達できんかもしれん。 しかし真理を探究するうちに徐々にその輪郭が浮かび上がってくる、これは間違いではあるまい。 しかし漬かっていては真理はますます遠のいて行く、このように言うておこう。