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教育とは何か(概念)
子育てと教育の違いを教えてください。 子育て、家庭教育、育児、教育、この違いがわからないでいます。 専門の方、本の紹介でもいいのでお教えください。
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>私がわからないのは、教育とは意図的なものだけを指すのか。ということです。 >広田照幸さんの「日本のしつけは衰退したか」という本を読んでいて、「無意図 >的」なものは「しつけ」と呼ばないと書いてありました。私は無意図的なしつけ >はしつけと呼ばないのか、そこから分からなくなっていきました。すみません。 >もっと勉強したいのですが、無意図的なものは育児や子育て、家庭教育とは言わ >ないのか、すごく疑問を持ったのです。 広田氏の「日本のしつけは衰退したか」を読んでいないので意図はわかりませんが、 以前教職課程で言葉による教育と無言による教育があります。 言葉による教育がここで言う意図的で無言の教育が無意図ではないかと思います。 要は、学校で先生が授業しすることが言葉の教育で師匠が黙々と仕事している横で弟子が 目怒らして技術を盗もうとしている風景です。 家庭でも、言葉に出さなくても雰囲気を感じ取って学ぶことがあると思います。 もう少し言うと他人から教わることと、自分で学んでいく教育があるのです。 しつけは、下記のURLをご紹介しますが、私としては親,祖父,親戚或は近所のおばさん など私生活圏内にある人から教わることはしつけではないかと思います。 学校は、私生活ではないため(会社は私生活ではないと同じです)しつけではなくなると思います。 後は、難しく考えないことです。 教育は人にするもので、常に変動,変化しているので一概に当てはめることはできないと思います。 現代は何でも何かに当てはめたがりますが、未知な部分を当てはめることは到底無理なことです。 医学で言うと教育は脳と同じです。働きは分かっていますが、どこでどのようになるとどうなるかが全く分かりません。 ですから、教師も常に手探り状態です。
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- ゆのじ(@u-jk49)
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なるべく単刀直入に申し上げます。 まず、所謂、学校現場での教育は、理想論、理想モデルを提示します。一つの答えを用意して、その方向に導きます。つまり、一つの見方のみを認め、他の一切は斥けるという原理主義なのです。多様性の時代にあって、誠に前近代的な事を続けているわけです。更に悪いことに、学問上の建前と実生活上でのギャップを、先生方の社会現場における経験不足によって無視されてしまうわけです。ですから、子供達は、そういう一貫性を欠く先生を信用しないのです。学校では、この時はこうだけれど、またある時はこうなのだということが往々にして起こります。 今日の子育ては、そういうものを補完するものでなくてはなりません。そういう知識は、子育て論の本などでは得られません。お子さんに母親としての上から目線で付き合うのではなく、人と人として付き合うには、貴方の哲学、思想が必要になります。常に揺るがない哲学的な一貫性が子供に信頼感を与えます。日々、言うことが違うというのが一番いけません。親だから子に対してこう言うのだというのもいけません。親とは別の立場で、一貫性ある立ち位置を保持しつつ、一定の理論に基づく言動を示し続けなければなりません。それには、貴方自身の人間的深みを高めることです。子育て論とは全く別物の真の読書などして教養も高めなければなりません。そうすることで、自然に一定のものの見方、考え方が定まって、それが貴方の哲学になるわけです。 もし、貴方が、専業主婦であるなら、そういうことに対して、甚だ有利なのです。他者からの賃金収入を念頭に置かなくて良い分、そういうしがらみから逃れて、一貫性のある言動を容易にします。一方、ご主人は、賃金を得るために、ややもすると一貫性を欠くことになり易いわけです。例えば、常に毅然たる態度をご主人が、お子さんに要求していても、お客さんや上司からの電話に必要以上に諂ってしまえば、どうなりましょうか。一貫性のない人として、お子さんは父親を信頼しなくなります。また、明日になれば別のことを言うに違いないと、言うことをいちいち聞かなくなります。 周囲に頼るのではなく、自身を高めることに専心していただきたいと切に願う次第です。
お礼
ご意見、ありがとうございました。 どのように育てるかという方法論に走るのではなく、子育てで今最も欠けているのは、自分自身がいかに生きるかですね。大変納得いたしました。子育ての問題を考える上で、一番大切なところを教えていただきました。 私自身は共稼ぎで、子どもは働いて独立しました。 人よりとても遅れて今勉強しているところです。 単純に、知りたくてご質問しました。 「意図的なしつけしか、しつけに入らないのか。無意図的なものはしつけに入らない。」それがなぞで頭から離れません。 教育が意図的なものなら、育児は教育に入らないのでしょうか…。苦しくてご質問しました。 この疑問は別としても、最も大切なところを教えていただいたように思います。 感謝申し上げます。 ありがとうございました。
- hey_hey_11
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教育とは、子育て教育,家庭教育,育児教育,学校教育などの総評ですので、先人が後人に教えることは 全て教育となります。 難しく言うとURLを参照ください。
お礼
教育が最も広い概念なのですね。ありがとうございました。参考URLも参考になりました。最も関心を持ったのは、教育の定義がいくつもあったことです。 語源・語義からの定義 (例 「教育とは、能力を引き出すことを意味する」) 目標・目的からの定義 (例 「教育とは、よりよく生きるためのものである」) 方法・手段からの定義 (例 「教育とは、強制の一種である」) 機能・効果からの定義 (例 「教育とは、社会の再生産である」) 私がわからないのは、教育とは意図的なものだけを指すのか。ということです。 広田照幸さんの「日本のしつけは衰退したか」という本を読んでいて、「無意図的」なものは「しつけ」と呼ばないと書いてありました。私は無意図的なしつけはしつけと呼ばないのか、そこから分からなくなっていきました。すみません。もっと勉強したいのですが、無意図的なものは育児や子育て、家庭教育とは言わないのか、すごく疑問を持ったのです。 ご回答によって、また考え方がいろいろあるのだということがわかりました。 本当にありがとうございます。
- HANANOKEIJ
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同じことでも、学校や幼稚園でやれば、教育の一環になり、家庭でやれば、 子育て、家庭教育になるのでは? 保育園で、育児と教育もやるのですが、厚生労働省と文部科学省の 管轄が違うということでしょうか? 「教育」というと、文字を使って何かを伝えるという感じがします。 子育て、育児は、文字を使わずに、体で教える、体で覚える、という感じでしょうか? 「教育とは何か」というタイトルの本が、新書などででていると思います。 岩波新書「教育とはなにか」太田尭著を読んでみてください。 「日本国憲法」「教育基本法」「子どもの権利条約」も読んでみてください。 できなかったことが、できるようになる、発達。教育とは、こどもの発達を保障すること。 「教えるとは、希望を語ること、学ぶとは、誠実(まこと)を胸に刻むこと」ルイ・アラゴン。
お礼
ご丁寧なご回答ありがとうございました。 概念の枠組みを示してくださり感謝します。 早速「教育とは何か」(太田尭著)を読んでみます。 できなかったことができるようになるのが発達。教育とはこどもの発達を保障することなんですね。 すっきりしました。 どこでやるのか、その場所や、管轄によって名称が変わるという理解も深まりました。 また先ほどの(1)の回答者様も社会が教育しなくなったから、家庭でするようになったという歴史も踏まえて、勉強する意欲がわいてきました。
- yuukiyuuki
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別に違いはありません。 机、こたつ、ちゃぶ台の違いのようですね。 今は昔と違い社会は教育してくれないようです。 親が教育するようです。 が、親だけで教育は出来ません。 完全無欠の家庭教育や育児なんて教育学にはありません。 変な本は読まずに、物がわかっている友人のアドバイスに頼るのが無難だと思います。
お礼
例を最初に示してくださっているのでわかりやすいです。 ありがとうございます。 教育学と育児は重なっているのかいないのか、そこを知りたかったのです。 ありがとうございました。
お礼
広田氏の「日本のしつけは衰退したか」を読んでいないので意図はわかりませんが、 以前教職課程で言葉による教育と無言による教育があります。 言葉による教育がここで言う意図的で無言の教育が無意図ではないかと思います。 要は、学校で先生が授業しすることが言葉の教育で師匠が黙々と仕事している横で弟子が 目怒らして技術を盗もうとしている風景です。 ご回答ありがとうございました。 >家庭でも、言葉に出さなくても雰囲気を感じ取って学ぶことがあると思います。 >もう少し言うと他人から教わることと、自分で学んでいく教育があるのです。 お話をお窺いして腑に落ちました。 教育を脳に例えられてあるのがとても印象に残りました。 とても分かりやすいですね。でも、教育というものの招待がとてもよく伝わりました。 未知な部分を何かに当てはめようとしていくから、余計分からなくなるということが分かりました。 大きな示唆を得ました。 分かりやすく教えていただき、ありがとうございました。