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家庭の教育力低下について
- 家庭の教育力を向上させるための社会の動きはあるのか?
- 児童福祉や企業の育児支援の拡充により、家庭の保育時間が減少
- 親の負担軽減と時間短縮により、親の育児努力と子どもへの関わりが低下
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>昔の日本社会にあった、町のおとなりさんどうし皆で見守るという雰囲気は、やっぱり復活不可能なんだな、って感じます。 私の知る限りでは40年前に比べて悪くなっているとは思えないんですけどね。^^;; 念のために申しますと、私の知る限り、「プリントを読まない。会に出ない」イコール「家庭できちんと教育できない親」では全然ないので。また、社会がつながっているからこそ、プリントを読まず、会に出なくても、井戸端で内容を伝え合えるわけですので。言ってみれば「それを忘れるな」と公的機関は発破をかけているのだと思います。でも、おっしゃっている他のことには概ね賛成で、回答もよく理解してくださったようで安心しています。
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- ucok
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>ただこれらは参加義務はなく~例えば懇談会には、意識づけの特に必要な保護者はいつも来てなくて、既に教育力の高い安心な親御さんばかりが来ている、こんなのはいつの時代も同じなんでしょうか。 お礼を拝見しましたが、おっしゃるとおりです。で、私は実は「こんなのはいつの時代も同じ」だと思っているんですよね。しかし昔は、裕福な家庭にはお手伝いさんや家庭教師が、貧しい家庭には祖父母がいて、それもないところには、おせっかいな地域がいたわけです。もちろん、そこからも漏れて夜逃げを繰り返す家庭もありましたが、一般的には上記のような、悪く言えば「監視の目」、よく言えば「助っ人」がいました。 それが昨今、ただでさえ核家族化が進んでいるのに、「余計なお世話かもしれない」とか「逆ギレされたら怖い」などの理由で他人に関わらないようにする人が増えたので、それで「社会全体が子どもへの支援を」と、とりわけ派手に言っているのだと実感します。 では、現状ではどうなっているのか。まず、おっしゃるような意味での強制は逆効果なので、なかなかできないと思うのです。それで、配布物の内容については「買い物先で保護者に会ったらPRして」と促したり、授業参観と保護者会をセットにしてみたり、PTAの委員になれば教師から、より詳細な学校情報をもらえるようにしたりと、工夫はしています。 また、子供は誰かと遊びますので、遊び相手の親が、結果的に一緒に躾けるような場面は多々あります。それから、子供たちの力もバカにできないもので、お互いの欠点を戒め合ったり、温かい環境を提供し合ったりしています。それは、ある意味、それができる子になるよう、周囲が育ててきたからでしょう(ちなみに、逆に、人の子は躾けられないとか、困ったちゃんとは遊ばせない、という保護者のご意見が、このサイトでもたまに見受けられ、気になってはいますが)。 そしていよいよ、子供が実際に大きな問題を起こしたら、ある程度の強制力は行使できるようになっていますよね。例えば、申しましたような家庭訪問や相談所への通報がそれです。実際、とある不良少年について中学の教職員から、「家庭環境については個人情報なので詳しく言えないが、少年はアルバイト先の親方に恵まれ、学校でもこれこれの指導をしている」という説明を聞いたことがありますので、踏み込んでいる人は、きちんと踏み込んでいますね。 余談ですが、今、大人が何かできるとしたら、上記の類いを続けていき、「実際にこうしたら、こんな成果が出た」ということを伝え続けていくことで、社会に諦めを充満させないようにすることではないかと感じています。というのは、悪い事例は、いくらでも目立ちますから、なんとか、いい事例をPRしていかないとダメだと思うんですよね。 一方で、地域性などもあるかもしれませんが、どんな親にもひとつくらいは立派なところがあります。そこを周囲が認めて付き合うことで、その親を教育に参加させたり、その親の子に、あるいは自分の子にも、その親の立派な点に気づかせてやるのも有効だと思います。
お礼
再度の回答ありがとうございます。昔の日本社会にあった、町のおとなりさんどうし皆で見守るという雰囲気は、やっぱり復活不可能なんだな、って感じます。だから公的なところがPRしてとりまとめるんですね。個人としてできることを提案していただきありがとうございます。いい事例だって、ひとつずつ丁寧に向き合う関係のなかに、確かにうまれるわけですよね。社会の「諦め」の感情は、よくないですね。親個人に伝染しますね。子どもにも伝染する。親個人の中にある自信の無さ、うちなんてもうだめだという諦めや、自分が育て方まちがったんだろうけどもう手遅れだし恥ずかしい、というような、他の親たちや学校に対する気後れから、逆切れするようなパターンがあるんでしょうね。大丈夫、排除しない、という根気良い声かけが、家庭の教育力全体の向上に寄与するということのようですね。
- ucok
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妊娠したのが15年前なのですが、母親学級から始まって、親として心がけるべきことは、保健所、幼稚園、学校を通じて聞かされてきましたし、公的資金で作られた小冊子も適宜配られてきました。また、家庭についての悩みを相談できる期間のリストが、親向けのと子供向けのがあり、やはり幼稚園や学校などを通して配布されました。そういうリストにも載っていますが、保健所、児童相談所など、地域のニーズや環境に合わせたアドバイスをもらえる機関もいくつかあります。 そうやって保護者の元に届く、教育に対する専門家の考え方は概ね、「家庭が躾けや栄養など、家庭としての役割をきちんと果たし、学校や幼稚園とよく連携をとること」を奨励しています。つまり、基本はあくまでも「家庭」ですね。子を預けやすくしているのも、基本的には、それによって親に精神的および金銭的な余裕が生まれ、その余裕を子に還元するため、というのが少なくとも建前です。そういう意味では、核家族化が進む今、親子の息が詰まらないよう、例えば子が中学生くらいになったら、親は親で人生の楽しみを持つよう促されることはあります。 私の妊娠中は男親の役割がまだ希薄でたが、それでも「産後はできるだけ里から早く帰って“両親と赤ちゃん”という環境を築いて。寝るときは川の字で」などのアドバイスが口頭でありました。今は母親学級も「両親学級」と呼ばれていますし、男親へのアドバイスも増えたのではないでしょうか。日曜大工で学校の修繕をする「オヤジの会」も、多くの中学で生まれています。そういう親の姿を見るだけで、生徒たちの態度が改善したという事例があるからです。 義務教育期間の公立校による家庭訪問は、こうした考えを軸に、生徒が健やかに育つのを見守る役割を果たしていると思います。同様に、地域ごとの座談会も教師主催でもうけ、誰でも参加して、子供たちの躾けや教育について語れる機会が年に一度あります。また、高校になっても、保護者が学校行事に、子の年齢に応じた参加の仕方をすることで、子供たちを精神的に支えるよう心がけています。 これらは国(行政?)の方針にゆるやかに則った上で、当事者の判断でアレンジしてやっているという感じのようです。もちろん、所詮は人間のすることなので、うまくいく例もあれば、そうでない例もあります。手放しで現状がいいと言うつもりは、さらさらありませんが、少なくとも何もしていないわけでは、まったくありません。
お礼
多くの事例をあげていただき、ありがとうございます。ご指摘のとおりですね。おっしゃるとおり、小冊子の配布、ワークショップ、講習会、子供向けと大人向けの電話相談、サークルなど、私も再度見渡してみると、主に保育所幼稚園学校または自治体発行の新聞などを通じて、情報をえることが出来るようになっていますね。回答者さんのようにお子さんの教育に十分な関心を向けていらっしゃる方が多くいらっしゃることも確かだとわかりました。ただこれらは参加義務はなく、利用も自由のものが多いと思います。学校や子どもからの情報に対しての関心が薄く、与えられた配布物に目を通すこともない保護者の方が高い割合でいるように感じているのです。本当はそんなことなくて私の思い違いなのでしょうか。例えば懇談会には、意識づけの特に必要な保護者はいつも来てなくて、既に教育力の高い安心な親御さんばかりが来ている、こんなのはいつの時代も同じなんでしょうか。
お礼
ありがとうございます。そうなんですね、ご近所同士、家族同士、みんなでつながれば、それでいいわけですね。公的機関による強制が必要ではないですね。意識付け、ということですね。私の方こそ、おっしゃっている内容がよくわかり、新たな視点を持つことができ、安心しました。