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アウグストゥスの政治の仕方を決定づけたのは誰?
- アウグストゥスの政治の仕方を決定づけたのは誰なのか?彼がカエサルの死後、ローマ王とはいわずアウグストゥス(尊厳者)とし、プリンケプスと唱えながらも実際は帝政であったことは周知の事実。
- アウグストゥスの政治の仕方についての認識が広まったのはいつ頃からなのか?16世紀にはフランス王シャルル9世をアウグストゥスと重ね合わせて褒め称えている叙事詩『フランシアード』がロンサールという詩人によって書かれています。
- アウグストゥスの政治の仕方について最初に記された書物は何か?アウグストゥスの政治の仕方について今のような見解が広まったのは16世紀頃のフランシアードの作者ロンサールによって初めて説かれたとされています。
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質問者が言うように、「周知の事実」なんですから、のちにかかれた(ギボンらの)ローマ史には、あたりまえのように書かれていたのではありませんか。 ローマ史はもともと、中世の欧州安定期(停滞期ともいう)に貴族の有閑マダムたちの下ねた話として語り継がれてきたので(ここから、ローマ風=ロマンスという言葉が生まれた。)、おっしゃるような分析的な視点はごく最近のものです。 言い切ってしまえば、あまり常識すぎて、だれか個人を特定するのは難しいんじゃないでしょうか。
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- 畑山 隆志(@deltalon)
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No1のdeltalonです。突然思いついたので、もう一つ仮説を。 われわれ自身、前後関係は知らないのになぜか、個別のエピソードだけは知られているというものがあります。例えば「曽我兄弟」とか「弁慶の仁王立」とか。おそらく演劇で取り上げられたからではないかと思います。山鹿流なんて流派の名前も、おそらく忠臣蔵が舞台化されなければ歴史に埋もれたのではなかろうかと、思います。 ローマの皇帝の場合、英語圏ならシェークスピアは欠かせませんでしょう。本当に「ブルータスよお前もか」と言ったかどうか…。では、その演劇のルーツは何かと考えると、一種の神託の儀式の可能性が考えられます。日本でも、豊作を祝う、あるいは豊作を祈って、お供えと同時に神楽で、祝ったり祈ったりする儀式は各地に残っています。 人類最古の職業と言われた娼婦は、ギリシャ時代あたりでは神殿の巫女あたりではなかったかとも言われています。つまり、神との対話の舞台装置として演劇が始まり、同時に統治のための仕組みとして発達したと考えると、始めは琵琶法師や吟遊詩人たちによって声で伝えられ、物語として人々の口から口へと伝わったものがやがて動きを伴い、人々に見せることによる演劇が体系化された可能性を感じます。もしかすると、アウグストゥス(尊厳者)の称号もまた、神に捧げられたのかもしれません。 ですから資料的に非常に難しいですが、演劇のルーツあたりにヒントがあるかもしれません。
お礼
回答くださり、ありがとうございます。 >おっしゃるような分析的な視点はごく最近のものです。 やはりそうですよね。特定するのは困難だとは調べている際に思ってはいたのですが・・・・ 最初に書かれた人とはいかないまでも 今のような「周知の事実」がどれくらい前から言われてきたのか、が分かればよいのですが。 しかし、 >ローマ史はもともと、中世の欧州安定期(停滞期ともいう)に貴族の有閑マダムたちの下ねた話として語り継がれてきたので 有閑マダムの下ねた話として語り継がれてきた、というのは大変貴重な話でした。 教えて下さりありがとうございます。 欧州安定期を中心に調べていこうと思います。