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バタイユの「エロティシズム」に関して
文学カテと迷いましたが、こちらに投稿させていただきます。 初めてバタイユ(澁澤龍彦訳)を読んでいます。 情けないのですが、私にとっては難解でなかなか理解できず困っています。 そこで、以下の二点に関して何かご存知の方がいらっしゃいましたら、 どちらか一点でも構いませんので、ご回答よろしくお願いいたします。 ・バタイユにおいて「娼婦」とはどのように定義されているのか ・「娼婦」の「快楽、快感」について
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- SakuraiTomoka
- ベストアンサー率24% (11/45)
死は客観的な生命の消滅なので、 第三者的な視座からの認識によりますと、 それは「相対無」に留まるのでしょうが、 当事者にとりましての「死」は『「絶対無」への還元』に繋がります。 従いまして、次の世代へ遺伝子を託せる行為は、暫時的にも、 『「死」への当事者意識』から本人を解放させ得ます。
- amaguappa
- ベストアンサー率36% (140/385)
バタイユは娼館に通いつめた人です。 一晩に何件もはしごや拾い歩きをして娼婦を絶倫にむさぼっていました。 優等生だし国立図書館の司書だし熱心なカトリツク信者なのですが、 何が彼の脳髄をしてそれほど性欲に駆り立てていたのかは謎です、というかいくぶんか神経病理学的な問題のためだろうと思います。 アカデミックな場所ではきっとバタイユの娼婦に「贈与」「蕩尽」「至高」「過剰」の具現を見るのだろうと推察しますが、 資本主義の消費社会で、金の汚辱と快楽の汚辱のダブルパンチで身を汚すと、逆に、汚れものは汚れものでとことん清算するみたいな転化があるのかもしれませんね。 まあ、「必要不可欠」「消費物」「習慣」の側面がそれに絡んでいなければならないと思いますが、 論文は星の数ほどあると思いますので、神学部の先生などで書いている方がいらっしゃば、機会があれば特にそういう方のを選んで読んでみたいなと思います。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
人間って普段生きていることすら意識せず過ごすのですが、余命3ヶ月と宣告されると死を身近に感じることで、はじめて自分は生きていると実感できるようになるじゃないですか。 いつか死ぬとはぼんやり知っているが、永遠に近い思いを抱いている。 ところが期限をつきつけられると、死を感じることでみずみずしい生を感じれるようになる。 バタイユのなんだったか忘れましたが、主人公と娼婦が死体の前で性交渉をする場面があったと思います。 死と擬似的に引き寄せることで、生殖を開始する。 それがバタイユのエロチズムだったと思う。 だから死体を見ながらセックスをする変態カップルというわけじゃあない。 IQ84もそんなカテゴリーだと思える。 エロ描写がとにかく多いそうだが(まだ読んでないがぼんやり粗筋は知っている)、それは死を遠ざける行為として性行為をしているのだと思う。 もしくは死を感じ取り子孫を残す本能が活発に活動することになったのだと思える。 トマトもそうらしいです。厳しい環境にしてやると、トマトはおいしくなるのだそうです。 娼婦ってのは性を売る商売ですが、快楽を与える以外、子孫を残す行為もするわけです。 しかし娼婦ですから子孫を残すために性交渉をしているのではなく、死を忘れさせるサービスとしてやっているのだと思う。 ただ、快楽を感じるほどに死が身近に感じられるようになるわけですから、ある意味死神でもあると思えます。 このグロテスク・醜悪さが生を呼び覚ますということじゃないかと、粗筋を読んで彼の作風をそのように想像しました。 崩壊する直前、それは電球が切れる直前 神々しく輝くそうですから、まさに死ぬ直前の電球状態みたいなものかも。
お礼
ご回答ありがとうございます!例えが分かりやすくとても参考になりました。 kigurumiさんの文章を読んで、なんとなくではありますがバタイユの主張がつかめたように思います。