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ひどくない?
質問者に自由があるなら、 回答者にも自由がある。 回答者に誠実なとか相手を思いやってとかを求めるなら、質問者にも同じ事を求めよ! いよさんさんまるさん(さんが3つ!)、回答をありがとうございます。(最初はあいかな?) >質問者に自由があるなら、回答者にも自由がある。 これまた教条的な! >回答者に誠実なとか相手を思いやってとかを求めるなら、質問者にも同じ事を求めよ! はて?質問者が回答者を思いやる?どうやってですか?丁寧な言葉遣いででしょうか。だって「程度の低い質問」をする質問者はそうとは思わずに質問しているんですよ。その方は「自分基準」ではこれで必要十分だと思うから「質問文」を作成しているんですよね。 で、どうやって「質問者に同じことを求め」るんですか? ああ、回答者に応えやすいように質問せよということですか。 再び、問います。 どうやってするんです? >で、どうやって「質問者に同じことを求め」るんですか? 出来ないでしょ。 だったら回答にケチを付けるな。 世の中は雑多なんです。 おお、再度回答をありがとうございます。 当方の「どうやってやるんですか?」は修辞的疑問文つまり反語でした。回答を求めてはいなかったのです。 >出来ないでしょ。 というのが反語の後半部分でした。 >だったら回答にケチを付けるな。 「意味のない回答」もありがたく頂戴せよというご命令ですね。その理由が >世の中は雑多なんです。 というもの。 私は実生活でもこういうやりとりのときには次のように聞くようにしています。 あなたはいついかなるときでもこのように回答するのですか。見ず知らずの人や、自分の子ども、目上の人にも。人間は悲しいかなそのときどきで態度を豹変させます。よくいえば「臨機応変」、悪く言えば「節操がない」。 いよさんさんまるさんは尋ねた人によって回答内容を変えますか? もちろんイエスですよね。そういったご回答の様子ですからね。 でも、これって立派なん「ディスコミュニケーション」の事例ですね。だって、あなたは自分の思いを「分かるように」伝えようとしていませんからね。 よろしければ >出来ないでしょ。 から >だったら回答にケチを付けるな。 が導かれる経緯を敷衍してください。(あ、もっとも回答しない自由もあります。わたしもナイーヴなふりはいつまでもできません) ひどくない?
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- mmky
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ひどくない? ○ ひどいですね。 回答者の取るべき態度でないことは確かですね。こういうカテでの質問者と回答者の関係は、互いに真摯であるべきとは思いますが、少なくとも回答者は真摯で答えるべきものです。 私は、質問は自由であって良いと思っています。それは回答者に回答しない自由があるからですね。 これは対等な関係ではありません。回答者優位の自由ですから、それを踏まえると質問は自由であって良いという立場です。質問と回答は論議ではないということでもあります。 一旦、質問に答えるとした回答者は真摯に回答すべきものと考えています。 その回答に対する質問者の反応には特段の回答の追加などがない限り再回答はしないことも心がけています。それは質問と回答という範囲を逸脱しないためです。 そういう立場からいえば「ひどい」と思いますよ。 まず、質問と回答を通じて互いの知識が高まるような方向でこのカテを利用することが双方にとって良いことだと思いますね。そういう意味で質問・回答形式から逸脱する議論になることは極力避けるべきですね。 ・・参考に
- Pochi67
- ベストアンサー率34% (582/1706)
これはnev-nesさんが「いよさんさんまる」さん(?)に宛てた、個人的なやり取りですか? それとも、このやりとりを第三者がどう思うかの質問ですか? 前者であれば、以下は読まなくても構いません。 A:思いやりのない回答が気に入らないと思っている。 回答は常に質問者を思いやったものであるべきだ。 ・・・最初の質問 ↓ B:回答者ばかりに誠実さを求めるのは間違い。 質問にも、その質問を読む人をバカにしたようなものはたくさんある。 回答に思いやりや誠実さを求めるなら、質問にもそれを求めるべき。 ↓ A:質問に対して、どうやってそれを求めるのか? (できるわけがないと思っている) ↓ B:できないだろう? 世の中にはいろいろな考えの人がいる。 だから回答にケチをつけるな。 ↓ A:上にあるBの意見の流れこそ、Aの最初の質問の本質。 相手に理解してもらおうという気持ちがなく、己の言い分を言葉足らずのまま自己完結してしまっている。 ・・・という流れに見えますが、合っていますか? 詳しいやり取りはわかりませんが、少し冷静になってください。 あなたの今回の質問も、少々思いやりや誠実さに欠けているものになっていますよ? -私個人の意見- ・人にはそれぞれ文章力や表現力、思考力に差があり、多少の無礼な質問には目をつぶる。 ・我慢できないような質問であれば、答えられる内容でも回答しないという選択肢は読んだ人間が持っている。 ・気になるならば、回答のついでに指摘することも出来る。 ・逆に、質問者は回答者の無礼をお礼や補足で指摘出来る。 ・でも結局一番強いのは、無視や言い逃げ(お礼や補足に言いたいことを書いて、言い返しを避けるためにすぐ質問を締め切る)を出来る質問者? ・相容れない人間はどんな指摘をしても換わらないので、許容か無視を。 私は質問を読んで、質問者が理解出来そうな言葉を選んで答えるようにしています。 質問と回答は双方が理解して、理解してもらう必要がありますが、誠実さの程度は個人個人違いますからね。 自分にレベルに合わせて欲しいとは思っていません。 私の回答に不満を持っている方もいらっしゃるでしょうし。 ある程度人間の器を大きくしないと、投稿サイトはムカついたり傷ついたり、いやなことばかりですからね。 (^^; 的外れなことを書いていたなら、ゴメンナサイ。
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- cyototu
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だからこの欄の遣り取りは役に立つのですね。人々はここの欄の遣り取りを読んで驚いている。貴方が怒っているのは、貴方にとって予想外のことが起こって驚いているからでしょう。私の尊敬する先生の墓碑には、「驚きは創造性の源である」と刻まれております。人々は皆自分の見てきた世界や自分で想像のつく世界の中から世界を見ている。そしてしばしば誤解してしまうのは、その自分の世界を理解していると思い込んでいる。そこで、自分の経験を敷衍して世界を捉えようとしてしまいます。ところがどっこい、世界はもっと大きいのですね。だから、予想外のことが起こる。その時の心の動顛や混乱で取り乱す人もいる。中には、その驚きを契機として「あっはぁ」と何か新しいことを教わって、感激して喜んでしまう人もいる。貴方はどうも驚きで喜ぶよりも、それで気が動顛してしまう方のようですね。 私は驚いたら喜べるような人間になりたいと常々考えております。私は若い者に向かって「滅多に無いような驚きの機会に巡り会えたら、たとえそれがお前にとって不愉快なことや不幸な出来事でもそれを味わい楽しめるような人間になれ」と、自分でも出来そうも無い無責任がことを言って檄を飛ばしております。まっ、年寄りのやって来たことを批判するのではなく、年寄りの言っていることの中に何か役に立ちそうなことを探せ、と言うことです。
お礼
釈迦に説法 乙。
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