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湯桶読みというネーミングについて
- 湯桶読みのネーミングに対する違和感や疑問がある30男の質問。
- 湯桶読みが訓読みと音読みの組み合わせであることや、重箱読みとの関連についての説明。
- 湯桶読みの選択理由や、ゆおけという読み方の存在についての疑問。
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(1) 私は「湯桶」というものを、「湯桶読み」という言葉を通じて知りました。現代の人間にはあまりなじみのないものなので、最初は何のことか分からず、どういう物の名前であるのか、辞書を引いて初めて分かりました。 (2)(3)について。 これは、どこで読んだのか失念しましたので、確かなことではないのですが、昔、「重箱」と「湯桶」はセット物だったようです。 現在の我々にとっての「弁当箱」と「水筒」と同じニュアンスで、昔の人には、「重箱」ときたら「湯桶」と連想できるような、日常生活に馴染みのある道具だったようです。 「重箱読み」とくれば「湯桶読み」となっても、昔の人にとってはごく普通の発想だったのだと思われます。 昔の人にとって馴染みの深い道具の名前から取ってできあがった言葉で、時代の変化とともに「湯桶」の方だけが使われなくなってしまったということなのでしょう。 確かに、四十代の私でさえ、子供の頃には知らなかったのですから、今の子供には全く分からないでしょうけれど、この「湯桶読み」という言葉が存在することで、「湯桶って何?」という疑問がわき、辞書で調べ、昔の人はこういう道具を使っていたんだなーと思いを馳せることができるので、それはそれでよいのではないかと思いますが如何でしょうか。
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- cyototu
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ま、全く違った物を同じ発音で呼ぶのが紛らわしいので「ゆおけ」と「ゆとう」とわざと呼び変えて混乱しないようにしてたんだね。この紛らわしさには、昔の人も困っていたようだから、ひと際「湯桶読み」という言葉に印象が深かったんじゃないかな。この例と全く同じゃないが、似たように混乱する例は「科学」と「化学」だ。だからこれを区別するためにわざわざ「ばけがく」と湯桶読みをして区別する人が今でも幾らでもいる。他には「市立」と「私立」を区別するために、わざわざ「いちりつ」とか「わたくしりつ」と言ってここでも湯桶読みをして区別している。 と言うことは、この湯桶読みは単に、訓+音という組み合わせのことを言っている以上の情報を持っていると言うことだ。要するに、「混乱を避けるために」わざわざ変則的に読んで他の物と区別するという意味まで含まれていることになる。だから、雨具も手帳も野宿も見本も皆、そんなので代表してたんじゃ駄目なんだね。こう考えてみると、湯桶読みってのは、教養の極致、人を唸らせような命名法だね。 今の人と比べると、どういうわけか昔の人の方が教養が高かったように思えてしまうが、それは単に思い込みばかりでも無さそうだね。きっと、こう言うことに文句を言い出すのは、命名法や印象と言う立派な言葉があることも知らずに、ネーミングだイメージだって字の形を見てもちっともその語源が判らない言葉を、何も考えずに使うようになっちゃたのも原因の一つになっているんじゃないかな。 貴方はもう30代らしいから未だ良いが、これからはゆとりがドンドン大人になる。きっと、日本語も凄く乱れるんだろうね。そう言えば最近、「主賓」という言葉を何度言っても通じなかったので、「メインゲスト」と言ったらやっと通じたゆとりがいて、こちとらは度肝を抜かれた。あたしから言わせれば、ネーミングもメインゲストも同程度と思えるんだが、こんなのは、まあ年寄りの僻事なんじゃろうね。
お礼
ふむふむと唸らされる部分と、なかなか手厳しい物言いをなさるなぁという部分を併せ持ったご回答ありがとうございます。 まず最初に、決して湯桶読みという言葉に対して文句を言っているのではありません。 ただ、「ゆとう」という訓音と「ゆおけ」という訓訓という2通りの読みが可能な熟語を代表にしてしまうと、そういう2通りの読みを持つ単語"しか”湯桶読みというグループ分けに当てはまらないような誤解さえ与えかねないのではないか、 そういった点で適切ではない気がするが、にもかかわらず選ばれたのには由来があるのであれば果たしてどんなものなのか、それが知りたいと言う趣旨の質問です。 例えば、相撲等で聞く”勝利”の事を「きんぼし」と言ったり、或いは太陽系惑星の一つとして英語名Venus=「きんせい」があり、共に漢字では「金星」と書きますが、前者が音訓の重箱読みで、後者は音音となっています。 しかし、重箱読みではこういう2通りの読みが可能な単語が代表になっていないのに不思議だなぁ、という思いからの質問のつもりです。 言葉足らずでそういう意図が伝わっていなかったのは残念ですが、「言葉を知らない」だのと質問者を小馬鹿にしているとも受け取れる物言いをなさるのはどうかと思いますよ? そもそも、今の日本語での会話においてカタカナ語を全く入れずして会話する事なんて不可能とまでは言いませんが、限りなく苦痛にも似た感覚ではないでしょうか? 大和言葉由来の単語じゃない漢語由来の言葉だって元を辿れば"外来語"なわけですし、そういったものを柔軟に受け入れられるのが日本語の良さだとも言えると思うのですが?? とは言え、貴方様から見れば言葉を知らない30男の僕でさえも、同僚や年下の者のファミレス言葉や「さ入れ言葉」や誤った敬語表現などで軽くイラッとくる事はあるのですが…。 それもいつか巡り巡って「年寄りの僻事」になっていくのかも知れませんね。
湯桶(ゆとう)と湯桶(ゆおけ)は全く異なるものです。 「30男」が「ゆとう」をご存じないのは無理からぬことです。 [参考URL]示した記事が参考になろうかと。
お礼
質問文において言葉が足りなかったようですが、「ゆとう」と「ゆおけ」が異なるものである事は存じております。 最初にその言葉を習った際に国語教師から軽く説明を受けましたし、自身でも辞書を引いてみました。 ともあれ、参考URLのご提示共々ご回答ありがとうございました。
お礼
(1)に関して、僕と全く同じですね。 (2)(3)に関しての興味深い情報ありがとうございます。 確かに、一方の代表が生活用具とも言える重箱なのに、もう一方の代表が見本や野宿だと言われてみると妙な感じかも知れませんね。 鶴と言えば亀じゃないですけど、極々自然な「セットになるもの」だったのかも知れませんね。 と言いつつ、もしかしたらこの「鶴と亀」も今の子供たちには理解しづらいものになりつつあるのかも、なんて。。 知らない言葉に出会って辞書で調べたりして昔に思いをはせる…、素敵ですねぇ。 時々、テレ東系でしょうか「和風総本家」と言う番組を見るのですが、知らない道具名や文化風習に関する事が出てきて、 つくずく自分は「あぁ、日本の事、知らない事が多いなぁ」と再認識させられます。 ご回答ありがとうございました