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「わかる方」

「わかる方」 質問文の最後に「わかる方回答お願いします」のような一行をよく見かけます。 この「わかる方」というのは、余計ではないでしょうか。 どうしてこの「わかる方」を入れるのでしょうか。 (わかる方(^^))教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • hakobulu
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回答No.3

>どうしてこの「わかる方」を入れるのでしょうか。 : まあ、余計って言えば余計なんでしょうが、私も似たようなことをよくやります。 で、自分に引き当てて考えてみたのですが、 「自分はわからなくて困っているので・・・」いうことを強調したいニュアンスが込められているような気がします。 「いや~わからなくてホント困ってるんですよね。だから、こんなわからない私に対して、わかる方、ぜひ回答をお願いします」という感じ。 一種の勢いかもしれません。 あと、「わかる」という言葉によって、回答者に対する敬意を前倒しして表現しているような気もします。 さて、「わかる方」になれたでしょうか。^^:

noname#121595
質問者

お礼

「わかる」に敬意ですか。 よくわかっていらっしゃる方のご回答をいただきました。 ありがとうございました。

その他の回答 (9)

回答No.10

#6 「ケーススタディ」でお騒がせしております。 いえね、常日頃日本語の英語汚染が問題だ、片仮名語の反乱を阻止しようなどと言っている癖して、ついつい片仮名語を使ってしまう自分が情けないです。つまり、自分自身がこの英語汚染の巨大な波を避けて通れないということなんです。 質問文に「わかる方」を指定するのは、言わずもがな、不要、冗長、余計だとお考えなので、愚拙もまったくもって同感なんです。が、回答としてただ「同感」の二文字を投稿するのも面白くねぇと考えちまったもんで、、、。 しかし片仮名語ってのは、片仮名語の影響ってのは、やっぱし軽視できないですなぁ。 ケーススタディを事例研究と言い換えてしまっては、この研究という日本語の重たさと、Studyっちゅう英語の軽さが全然一致しない。だから先ほどの#2さんの挙げた例はケーススタディではあるけど、事例研究とまでは言えんのじゃな。これは個人の言語感覚で有って、個人ごとに言語感覚が違うので、ケーススタディという言葉が事例研究と同じ位置、同じ体積を占めている方もおいでなさる事を改めて認識しております。 Cyototu先生(あえて今日は我田先生とは呼びません)いつもお世話になります。 いつぞやのボランティアだかボランタリーだかの勘違い質問者に対しても、またマニフェストを知り政権公約を知らない重度汚染患者に際しても、大陸生活30年の先生と、じいっと島に齧りついている愚拙が同じ言語感覚を共有しておって吃驚やら、嬉しいやら。もうひとつ白状するとね、例のドメイン変更の術はね、愚拙も夫婦げんかする時によく使って、益々怒られとるんだ。

noname#121595
質問者

お礼

回答者様の文体に慣れていず失礼しました。 冗談めかしてお書きになっているんでしょうな。 愚拙なんて明治生まれのお爺さんでももう使わないような言葉をお使いになったりする割には、意外とお若いんじゃないかと思わせるようなところがあったりして、真意をつかむのに戸惑いました。 ケーススタディーという外来語はこんな奴だと思います。 http://www.bousai.go.jp/oshirase/h15/030218kisya-shiryo1.pdf NO.2さんのはスタディと言うほどのものじゃないと思いますね。 冗談っぽく持ち上げたんでしょうな。 ではCyototu先生様とお話になってください。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.9

ここは肩の凝らない場所だと心得ていますので、もう一寸会話を続けてみます。 質問者さんの反応を見ていて、なぜこのような質問が出て来たか、その「心」が見えて来たように思えます。質問者さんは、どうやら省略された部分を復活させるのが苦手なようで、字面の論理に拘ってしまっているように思えるのですが、どうでしょうか。 確かに、「ケーススタディ」というカタカナ語は、それが漢字ではなくてカタカナ語である故の曖昧さ、あるいは、不透明さが露骨に出ている典型的な言葉であるので、混乱させる言葉であることは認めます。カタカナを見てそれを大層なことと考える人もいれば、それを一旦「具体例」と日本語に直してからその意味を考えて、何も特別に大層なことを言っていないと考える人もいるわけです。このように、言葉とは、必ずしもそこの字面だけで相手に理解されている訳ではなく、その言葉で表されている「心」を探り、その心が適切に表現されていれば、私はそれで善しと考えています。 ただし、その場合には、その言葉を使う人同士の間で文化を共有していることが暗黙の前提になっております。だからこそ、これだけ複雑な人間の「心」の動きを簡潔に分かり易く表現出来るのです。前に紹介した火事の文章も、もし私たちがコンピューターと会話しなくてはならないとしたら、あれはあれで適切な表現と言うことになると思えます。しかし、同じ文化に埋め込まれている者同士では、逆に敢えて省略して簡潔な文書にすることによって、その裏に在る巨大な論理や経験を呼び起こし、こちらの伝えたい心がより適切に伝わって行くことだってあり得るのです。

noname#121595
質問者

お礼

何回ものご回答すみませんですね。 >質問者さんは、どうやら省略された部分を復活させるのが苦手なようで、字面の論理に拘ってしまっているように思えるのですが、どうでしょうか。 そんなように取られてしまいましたか。 わたしはそんなことないと思っているんですがねえ。 質問文の「わかるかた」は余計だと思いました。意味のない言葉もしくは不遜な言葉だと思いました。 省略されている部分はないと思います。 理屈好きの人は、隙間に、つじつまの合う限りの理屈を詰め込んで、ムリヤリ長文を構成するかもしれませんがね。 あれから「ケーススタディ」という言葉を辞書で見ましたが、一般に使われているのと差があるように思います。 ケーススタディはカタカナ語として日本語化していますので、辞書の解釈は実際と合わないように思いました。 日本語をの使い方として、カタカナ語で表すときは、そのカタカナ語でなければちゃんと表現できないようなものに限定すべきだと思います。 普通の日本語で言えるところは普通の日本語で、ということです。 火事の文章は面白かったですね。 コンピューター相手のプログラミングはあのようなものだと思います。 そして、あのような文章はその精緻さゆえに、ミスや抜け落ちが起こりやすいものです。 論理的破綻が起きやすいですね。 >同じ文化に埋め込まれている者同士では、逆に敢えて省略して簡潔な文書にすることによって、その裏に在る巨大な論理や経験を呼び起こし、こちらの伝えたい心がより適切に伝わって行くことだってあり得るのです。 回答者様のおっしゃる通りだと存じます。 その省略化の代表が俳句や短歌だろうと思います。 それらの短い文芸は、少しの言葉で奥深く広い世界を表現しています。 多分一つ一つの言葉の使い方に最高に神経を使っているのだと思います。 いずれにしても、話し手と聞き手のレベルが合っていれば、ツーとカーで済むものですがね。 相手様を過小或いは過大に評価しているとギクシャクいたします(苦笑)。

noname#121595
質問者

補足

ついでにすみませんが、「銀シャリ」の銀ですが、私は下記の質問に「銀は白の美称」だと回答しました。 回転鮨屋の説明「戦時中の金属不足」は無関係だと思いますがいかがでしょうか。 (おわかりだと存じますので)教えてください。 http://okwave.jp/qa/q6294110.html

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.8

>「ケーススタディ」や「わからずや」の意味、間違えていませんか。 いえいえ、正しく使っていますよ。「ケーススタディ」は定義通りの正しい使い方。「わからずや」の方は、遊びとしての正しい使い方です。 文章は心でもあるんですね。だから、心も読まなくちゃ。

noname#121595
質問者

お礼

そうですかねえ。 「ケーススタディ」はもうちょっと大層なものかと。複数ケースあるのが普通かと。そこから真理を見つけるのがケーススタディかと思いました。 「わからずや」というのは、どうにも頑固で頭が固いのが「わからずや」だと思いましたが。 「わかる人」という質問者は言葉をあまり知らない若い人でしょ。 ピンときませんでした。 すいません。

回答No.7

 こんにちは。  ★ 「わかる方」  ☆ をわざわざ入れると  《わたし(=質問者)は すでに趣旨説明として述べたとおり分からないのです。でも分かりたいと思っています。ぜひおしえてください》  の意味を強めたかたちで表わします。

noname#121595
質問者

お礼

ありがとうございます。

回答No.6

#2さんの場内アナウンスのケーススタディに一票! あ、人気投票じゃなかったですね。 少数意見として穿った見方をしますと、 「わからずやは黙っててください」ということかな? 分かっている人だけに回答をもとめるというのは、学校の先生が生徒に質問して回答を求める場合など、授業の新工場有効な「縛り」だと思うのですが、OKWaveの様な不特定参加型でなおかつ正解じゃなくても読んで面白い回答を求めている人たちも居るとすれば、不要だとおもうな。 もうひとつの穿った見方は、 「(私の質問の真意が)わかる方、回答を試みてください。」ということかな? 回答が正解かどうかは問題では無くて、「あなたの質問は良く分からない」というような反応に対して事前にけん制しておこうということか。 わからずやでごめんなさい。

noname#121595
質問者

お礼

ありがとうございます。 「ケーススタディ」や「わからずや」の意味、間違えていませんか。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.5

言葉とは何のためにあるかを考えると言うことで、この質問は国語の質問としては大変良い質問ですね。質問者さんもご存知のように、言葉とはこちらの考えや情報や感情を相手に伝えるためにありますね。それに対して、如何に正確か、とか、如何に文法的に適切かと言うのは二義的なことです。場合によっては正確に表現したためにくどくなり過ぎて、相手に言いたいことが伝わらないことだって起こり得るのです。そんな場合には、少々理屈が合っていないことを承知の上ででも、言葉を省略してこちらの言いたいことを相手に伝えるのが、言葉の正しい使い方です。 具体的な例を挙げましょう。私の子供達はアメリカで育ち上がりました。彼等が未だ子供だった頃、家族でイタリアレストランに行きました。メニューを見ながら、  「お父さんはスパゲッティだ」 と言ったら、  「じゃあ、お母さんはラザーニャ」 と言いました。そしたら子供達が笑いながら、  「お父さんはスパゲッティじゃないよ」 と言いました。勿論子供達は意味が分かっているのですが、その表現の面白さに気が付いて、こんな「理屈」を言ったのです。会話では、  「お父さんはスパゲッティを食べることにしう」 なんてくどいことを言わないで、上の表現で相手に100%通じますね。 さて、次の文を比べて下さい。   (1)分かる方お答えをお願いします。 (2)この読者の中に、分かる方がいると思えますので、その方は是非その答えを教えて下さることをお願いします。 お分かりのように、(1)は(2)の省略形ですね。(1)の省略形は上のレストランの例のように、論理的には幾らでもケチがつけられますね。しかし、やはり上の例のように、この省略形で、こちらの言いたいことを誤解する人は居りません。それどころか、(2)のくどくどした表現より遥かに切迫感の漂った、適切な文章になっています。 用法が正しく、かつ論理が正確ではあるが、くどくどした長い文章よりも、少々理屈に合わないような文章でも、相手にこちらの言いたいことが正確に伝わり、更にそれが簡潔な文章の方が優れた文章であることもあるのです。 以下に、論理的に正確な文章を紹介しましょう。論理的に正確であると言うことが文章ではどう言うことになるかを考えさせてくれる芸術の域にまで押し込んで見せた文章です。この文は、西洋の戦争論の古典中の古典、クラウゼウィツの『戦争論』の序文に引用されているもので、彼はこれをヒンデンベルグの『火災対策論』から採った文だと紹介しています。クラウゼウィツはこの引用文のようなことを自分の本では書きませんよ、と言っております。ご鑑賞ください。 「ある家庭が火事をおこした場合には、何よりもまず、その左側の家屋の右側の壁と右側の家屋の左側の壁を保護することに努力しなくければならぬ。何故ならば、例えば、左側の家屋の左側の壁を保護しようとしたとしよう。その家屋の右側の壁は左側の壁の右側にあり、ところが火事はこの両方の壁のさらに右側にあるだから(というのは、われわれは、家屋は火事の左側にあると仮定しておいたからである)右側の壁の方が左側の壁よりもいっそう火に近いわけだからである。したがって、家屋の右側の壁は、もしそれが保護されていないと、保護されている左側の壁に火が燃え移るより先に、燃える恐れがある。左側の壁もまた保護されていないとしても、それでもやはり、保護されていない右側の壁の燃える方が早い。だから前者を放置して、後者を保護することが必要である。このことをはっきり頭に刻みこむためには、次のように記憶していればいい。家屋が火災の右側にあるときには左壁を、家屋の火災が左側にあるときは、右壁を保護せよ」 この文を書き写しているあいだ中、私は笑いが止まりませんでした。この文を書き終えたあとで、書き間違いがないかを添削するのも大変でした。でも、論理的には間違っていませんでした。論理的であることと分かり易いことは両立しないこともあるのですね。

noname#121595
質問者

お礼

ありがとうございます。 >この文を書き写しているあいだ中、私は笑いが止まりませんでした。 私もそうです。

noname#123390
noname#123390
回答No.4

ここは国語のスレなので、国語の問題として回答したいとおお思います。 やはり言葉と文章の持つ形式に関係していると思います。 通信文などで 拝啓 敬具 とか書きますが、これが形式というもののひとつです。 形式というものは大方の場合空疎なものだと決まっています。 さいぞー質問箱でもそろそろそういった形式というものができてきたのではないでしょうか。 形式というのは、長くひとつのものをやっていると何でも必ず形成されるものでして、それは更に時間を経て洗練され、形式美となって抜き差しならないものになっていきます。 ですから、質問者様が、これはやばいぞとお考えなら、『質問文の最後に「分かる方--云々」という書き方はこれからは絶対しないでおきましょうね!』というキャンペーンを大々的に始められればいいのです。 ご参考まで。(これも形式に近づいています)

noname#121595
質問者

お礼

ありがとうございます。 形式は美しさがあって初めて形式だと思います。 わかる方⇒汚い

  • jess8255
  • ベストアンサー率45% (1084/2359)
回答No.2

確かに仰るとおりです。分かる人(ま、時々分かっているつもりだけの人もいます:笑)しかレスしませんものね。 よく似た例に、呼び出しの場内アナウンスがあります。「●●様、いらっしゃいましたら案内所にご連絡下さい」ってヤツです。場内にいれば連絡するだろうし、いなけりゃ連絡もしない。ですから、この場合も「いらっしゃいましたら」は全く不要なわけです。 かと言って文法上完全な誤りとも言えない。無用の長物だが何となくまかり通っている、誰もおかしいと言い出さない、って辺りが実情ですね。

noname#121595
質問者

お礼

よくわかっていらっしゃる方のご回答をいただきました。 ありがとうございました。

  • cxe28284
  • ベストアンサー率21% (932/4336)
回答No.1

多分ボタンを押せば答えが出るような、即効力を求めていらっしゃるのでしょう。 私はよく参考までという言葉を使いますが、これも失格かもしれません。 でも大抵は分かる方が懇切丁寧に入れていらっしゃるので、余計だとは思います。

noname#121595
質問者

お礼

よくわかっていらっしゃる方のご回答をいただきました。 ありがとうございました。

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