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ポストモダンの終焉またはアンチポストモダンのはじまり
ポストモダンの終焉またはアンチポストモダンのはじまり について何かわかりましたら、教えてください。 とりあえず連続テレビ小説(全部見てるわけじゃないけど)から 1999年のあすか ----ジャム入り大福という斬新なアイデアは老舗の店の顔を 潰してしまった。 2005年の風のハルカ----お祭りの町おこし事業としてのアイデアは住人に迷惑を かけてしまった。 この辺の作品にアンチポストモダンの思想性が出ている気がします。 個人的にはアンチポストモダンは経済低迷の要因だと思っていますので、 知っていたら教えてください。
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- ousamatokojiki
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noname#131234
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- eiji-shige
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お礼
ありがとうございます。 物理化学の発達という側面からのご回答いただきましたが私自身あかるくないので 少々困惑してしまいましたが、しかしどの分野でもいえることなのだろうと、少し 考えの広がりが期待できそうです。 社会的側面からの先進国のデフレギャップ状況からも鑑みるとそこからの考察にも 大いにその価値はあると思います。 なので湯浅さんの様な活動は単なる弱者救済ではにとどまらず、文化、芸術の閉塞感 を打破し、より未来的に推し進める役割にもなる気がするのです。 近代化には人間の自由や人権の獲得は必須であることはやはり間違いないわけですか ら、その為のテクノロジーや文化の発達であったはずなんですね。 過去の土木分野への再分配は、やはり土木のテクノロジーの飛躍につながり、 医療分野への再分配も同じ結果を見せました。 人間の欲求をのぞまない分野は淘汰されるべきで、欲求する分野に再分配がされれば 必ず人間欲求から、活動がされて、それは外貨を稼ぐほどのテクノロジーの発展につ ながると思います。 人間の欲求や活動を原点から見直すポストモダンというエッセンスには何か現状の 問題を解決する糸口がある気がしてしまいます。
補足
補足です。 マーケットは資本を監視する役割をはたすはずですが、天下りの支配する 国営企業はしょうがないとしても、それ以外は本来ならば健全な経済活動 の推進力になるはずです。(つまり、しょうもないプランにより、労働価値 がさがるということをマーケットはゆるさないはず。) マーケットにかける規制は人権的配慮からくるべきものであるはずが、 国粋主義的規制になってしまったところから、この国のマーケットがおかしく なってしまったきがします。 デフレギャップはマーケットの把握を怠ったことも原因の一つのような気が します。 市場が活気が無いのは飽和状態だからと短絡的な分析になってしまったのは、 企業がみるあまりにもの世界市場の大きさに視界がぼやけてしまったからかも しれません。 一回、踏み絵政策みたいな、何らかのきめ細やかな視点の企業の為の税制対策 なり、規制緩和なり、規制なりで、健全な実質的暖簾分けや横連携だけで、 それなりに持ち直す気がします。 変な形の国粋主義になったらそれこそしぼんじゃいます。