こんにちは。
わたしの弟がThe Sugarcubesが好きで、よくビョークと(変な声で)デュエットしていたのが懐かしくなったので回答します。
ただ、あくまでもわたしの想像ですので、こんな考え方もできるよ、ぐらいに受けとってください。
詳しく書いていってもいいのですが、かなりおおざっぱにいって、1920年代からだいたい第二次世界大戦後くらいまでに現れた芸術の運動をモダニズム、そうして1950年代以降に現れた、モダニズムを批判するかたちで現れたのがポスト・モダニズムといえるでしょう。
まず、モダニズム運動の特徴を乱暴に言ってしまうと、
・形式において実験的であること
・思想的であること
です。
相当雑な言い方になってしまうのですが、文学に即していうと、この様式にあっては自分の感情をストレートに表現することはありません。
たとえば「朝日が窓から差しこんでくる」という描写を通して、主人公が孤独のうちにあって夜の間、一睡もせず苦しんだこと、そうして差しこむ朝日に、その苦悩の解決が暗示される。そうして「涙を流した」という描写や「苦しんだ」という心理描写はできるだけ回避されます。
一方、ポストモダニズムというのは、これまたおおざっぱに言ってしまえば、複雑な現代社会にあっては、意味や価値は一元化されない、という思想です。
文学では、実に多様な現れ方をしていますが、
・つねにひとつの価値をひっくり返そうとしていること
・さまざまなものを意識的に、非体系的に引用しながら、一元的ではない構造の寄せ集めをつくるものであること
ここでは「悲しかった」という感情表現は出てくるかもしれません。けれど、それがだれのものなのか、いったいどういう脈絡で、いつ語られたのか、それを言うことで何を隠しているのか……、といったことが問題になってくる。
> 「感情が何より大切と信じるのは、あまりモダンな考え方ではなく・・・絶対にポストモダンではありませんが
というのは、確かにその通りなんです。
この発言でわかるのは、ビョークは少なくともある程度は文学を読み、モダニズム、ポストモダニズムがどういうものか、というのは理解している。
そのうえで、そういうものではなく、もっとそれ以前の、感情を表に出した表現を自分は志向していきたい、と言おうとしているのではないか。
> ごめんなさい つまらないジョークでした。
というのは、これがジョークだった、というよりも、モダンとか、ポストモダンとかいった、言ってみればあまりポップ・ミュージックにはふさわしくない言葉遣い、別の面から見れば、一種のおおげさな物言いをしてしまったことに対する恥じらいの表現ではないか、というふうにわたしには受け取れます。
あくまでもこれはご質問を読んでの個人的な感想です。
お礼
とても丁寧な回答をありがとうございました。モダンとポストモダンについては私もよく知りませんでしたので、勉強になりました。自分でももう少し詳しく調べてみたいと思います。