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「聖書が信用できる理由」について述べられた文章ですが
「聖書が信用できる理由」について述べられた文章ですが http://www.watchtower.org/j/200711/article_03.htm これについて自由な感想をお聞かせいただけませんか。 同意できる、同意できない、どちらの意見でも結構です。 ※知恵袋にも同様の質問をたてていますが、たくさんの人の意見を聞いてみたく思い、こちらにも質問させていただきました。
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「聖書が信用できる理由」について述べられた文章ですが・・・・これについて自由な感想をお聞かせいただけませんか。 ○私も#1さんに同意ですね。指定の文章を見る限り、まあ納得できる項目の抜粋でしかないですね。 エホバの証人であれば、旧約聖書の「血(のついた肉)を食べてはいけない。」と言う箇所の解釈を聞いてみることですね。輸血がいけないという解釈ですよ。 イエスはユダヤ教の安息日(働いてはいけない休日)に人を救っていますから、これになぞらえば人を救うためなら輸血だってしたでしょうね。 つまり、エホバの証人はイエス教じゃないんですよね。 一方、カソリックであれば、処女生誕について聞いて御覧なさい。イエスは母親だけの宇宙人になってしまいますからね。とっても科学的ではないですよ。 聖書は読めば読むほど「霊的解釈」のいるものですから、聖書研究会で読んでもだめですよ。 真っ当なところから入ってね。それが怖い人たちの常套手段ですね。 わからないところがあれば、ここで質問すれば良いだけですね。巷の聖書系宗教よりよほど真っ当な回答がありますね。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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ANo.3 理論的って何ですかね。 真理や聖書は証明も、事実性もむようですよね。 聖典って、真理かどうかしかないですかれね。信用できるか?それは知りません。 私が読んだところはみな、がつんときていますね。事実かどうかは知りません。 真理かどうか? いえ、ただがつんときているだけでして。 それ以外に聖書に望んでいませんし。考古学的、書誌学的、文献的真理性が分ればそれはそれで良いですね。 でも私は聖典て、生きるうえでの真理を語っていればそれでいいんですが。 クリスチャンでは全くありません。クリスチャンって言う人を偉いと思います。いやな奴も居ますが。 いろんな経緯でいろんなクリスチャンになっているみたいです。でも信仰って偉いという事です。創価学会を除いて、信仰者を尊敬しています。 あれはいやな奴しか知りませんし、ほかに日蓮の教えは学べますからね。
お礼
再度の回答をありがとうございました。 がつん!ですか(笑) わかったような、わからないような。 適当に解釈せよ、ということですかね。 はい、適当に解釈させていただきます。 創価学会は私も好きにはなれません。 しかし、エホバの証人も今まで知りませんでしたがすっかりいやになってしまいました。 エホバの証人はとても正常とは思えません。 話をしているとつかれてきてしまいます。 疲れてしまったので、これで締めさせてもらうことにしました。 みなさん、回答をありがとうございました。 あ、私は無宗教です。 回答者さまに軽蔑されるかな(笑)。
- sotom
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説話も含まれますので、なかには「物は言い様」といったところですね。 寧ろ、信用させる事で利益を上げようとする側の理屈に過ぎません。 有名な下りですが、「右の頬を打たれたら~」があります。 この理屈を他人に真顔で言うような、そういう輩を信用したくはありません。
お礼
回答ありがとうございます。 >信用させる事で利益を上げようとする側の理屈に過ぎません。 そういう団体なんでしょうか。 >有名な下りですが、「右の頬を打たれたら~」があります。 この理屈を他人に真顔で言うような、そういう輩を信用したくはありません。 同意です。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
私自身としては全く同意する必要がないものですが、ある人にとっては同意しなければならない。 そして他のある人にとっては荒唐無稽でしかない。 私は同意もしてないし荒唐無稽とも思っていないが、部分部分の読みによって、全体を判断しています。 きちんと勉強する必要があると。 あぁ知的には問題以前のものですから。知的な勉強はする必要はないという意味で。 信用ですか。そんな必要はないでしょう。信用できるかどうか?信用していますが。
お礼
回答ありがとうございます。 なるほど、真理ですね。 >私自身としては全く同意する必要がないものですが、ある人にとっては同意しなければならない。 そして他のある人にとっては荒唐無稽でしかない これ以上の真理はないと思います。 ただ、理論の立て方などいかがでしょうか。 理論の立て方に問題があると私は感じました。 聖書の歴史記録の正確さに異議を唱えて誤りを実証できた人は一人もいません=聖書は正しい ではない。 聖書筆者たちは自分自身の過ちや弱さを包み隠さずに認めている=聖書は正しい ではない。 彼らはそのものずばりの問いには答えずに、上記のようなやり方で説明しようとするのです。
- tengenseki
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「聖書が信頼できる」側の人達の主張に過ぎません。 彼らにとっては都合のよいところしか載せていない でしょう。ということは反論に耐えられる個所とも 言えます。非科学的記載個所は彼らに言わせると 「字句通り読まず、真意を汲み取るべき」だそうです。 千年王国の時期も時代や立場によっていろんな解釈 があるようですし。新約ですら一般大衆の殆どが無学 文盲の時代に書かれた物、当時は通用しても現代では いささか無理筋。門外漢としては誤解を招かぬ表現での 新版を作ったらいかがと言いたい。アンチ聖書派が 著したものも多数あると思います。興味と根気があれば 両方対比してみて下さい。
お礼
さっそく回答をありがとうございます。 >彼らにとっては都合のよいところしか載せていないでしょう。 そうですね、 批判の言葉をできるだけ拾い上げて それについての反論を書くべきではなかったか、と思います。 彼らは批判を嫌っているのかもしれませんね。 知恵袋にも批判が書かれておりまして、するとエホバの証人と称する人のカキコミがあり 正当な根拠があっても、まず相手のの尊厳を尊重することが第一である。 自分にとっての正しさを主張するだけで利己的である。 というようなことでした。 またここに貼ったサイトの文章は理論がおかしいと感じるんです。 たとえば、 (1)『歴史記録の正確さに異議を唱えて誤りを実証できた人は一人もいない』≠『聖書は正しい』 (2)『聖書筆者たちは自分自身の過ちや弱さを包み隠さずに認めている』≠『聖書は正しい』 (3)『内面的調和』といいながら、調和がとれていないケースをあげ、『違いはあるが矛盾はない』 (違いがあるというのは矛盾があるということで、それは内面的不調和なのではないか。) (4)『非科学的な考えはない』というけれど、聖書は進化論や天動説を認めていないのではなかったでしょうか? (5)『バビロンは決して人の住む所とはならない』というが、多くの都市が荒廃した歴史を持っているのではないか? と。 アンチ聖書派の著したものをもしご存知でしたら紹介いただけるとありがたいです。
お礼
回答ありがとうございます。 なるほど、納得できる項目の抜粋にすぎないんですね。 (1)(2)などここから聖書が正しいとするのは無理があるとも思いました。 エホバの証人は輸血がいけないんですか。 聖書に「血(のついた肉)を食べてはいけない。」と書いてあるから? 確かに処女生誕も科学的ではないですが、彼らはそれをどう考えているんでしょうか。 質問すると、真っ向から答えないんですね。 聖書はロングセラーでベストセラーで、信者が多くて、たくさんの人が殉死もした。 だから、一旦死んだイエスキリストが復活したのは事実だ、とこうきます。 こういわれたらこう返す、というマニュアルがあるんでしょうね。 みんな同じだもの。言うことが。 日本も昔は天皇は神だとかいって天皇陛下万歳といって死んでいったよ、というと それはマニュアルになかったようで、天皇が神というのはまちがいだけど、聖書は正しい。 とわけのわからない返答が帰ってきました。 >わからないところがあれば、ここで質問すれば良いだけですね。巷の聖書系宗教よりよほど真っ当な回答がありますね。 そのとおりと思います。 一般の人の感覚というのは素晴しいと思いますので。