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聖書のレポートで悩んでます
- 高校で聖書のレポートが出ました。テーマの提示はなく自由ですが、ノートの内容に関するものです。私は聖書のノートの中で「ご復活」についてとテーマを決定しましたが、その授業の内容の要約をまず書いただけでどのようにその後を書けばよいのか悩んでいます。
- 授業の内容では復活を学び、自分の内面を知り、学ぶことができることが強調されています。また、自分の内面は砂漠のように詩や絶望だけではなく、神の祝福と希望のある場でもあると言われています。
- 質問者は授業の要約、テーマについての調査結果、そしてそれらを元にした考察を書くことに悩んでいます。プロットの方向性としては、授業の内容をまず要約し、次にテーマについて調べた内容をまとめ、最後に1と2を元にした自身の考察を述べることを考えています。質問者は参考書に関するアドバイスも求めています。
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質問者が選んだベストアンサー
始めまして、 質問の趣旨から逸れるかもしれませんが、参考になればと思っています。 聖書は歴史、文学、法律などの一般教養書として捉えるか、 または神の定めた書として捉えるかによって解釈が大きく異なってきます。 信仰を持っている人はもちろん神の定めた書として捉えていますから、なんら復活についても疑問が有りません、 その前に質問者さまが神の存在を認めるか、認めないかそのことが回答に大きく左右されます。 神の存在を認めるのであれば、必然的に「神=完全」と言う理論から出発するはずです。 神の存在を認めないのであれば、自分を基準に物事を考え、見てしまいますから、 自分という存在にある理解力に全ての解決が委ねられているので、 どうしても狭く、小さな判断になってしまいがちです。 人が超自然的な事柄をどのような視点で見るかによって、答えも変わってきます。 参考になればいいのですが・・・・
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- alwen25
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>つまりイエス・キリストも主やイエス・キリストの復活であること以外はラザロの復活となんら変わらないのではないでしょうか? 三位一体論ということについて調べてください。 小泉元首相の政策とは無関係です。
お礼
まさか返信が来るとは! 三位一体ですか。でもそれは教会が後付で考えたものですから、聖書の内容とはあまり関係ないのでは? それに矛盾しているのはちょっと・・・
- alwen25
- ベストアンサー率21% (272/1253)
>イエス・キリスト以外の人も復活しているのになぜイエス・キリストのみがあがめられ これは、イエス・キリスト以外の人は自力で復活したわけではないという理由ですが。 >また自分の内面は砂漠のように詩や絶望だけではなく神の祝福と希望のある場ではないか。 永遠の命との関係と思われます。関係ないことですが、 別のサイトでこのような主張をしたら責められたことがあります。 キリスト教系の学校なら、教会に行くことは無いでしょうか。 教会の職員に聞くと詳しく教えてもらえると思います。 聖書の研究書はたくさんあると思うのでどれが良いのかは 分かりませんが、通常の聖書であれば、聖書自体に詳しい解説があるはずです。
お礼
>これは、イエス・キリスト以外の人は自力で復活したわけではないという理由ですが。 そうですね。ラザロはイエス・キリストによって復活しましたね。しかしイエス・キリストは生みの親である主に自分の霊をゆだねたはずです。(確かルカによる福音書だったと思います。) つまりイエス・キリストも主やイエス・キリストの復活であること以外はラザロの復活となんら変わらないのではないでしょうか? >また~責められたことがあります。 怖いですね。なんだか人によって違うはずの思想で責められることもあるとは驚きました。 解説ですか・・・自分の持っている聖書にはそのようなものはなかったので脱帽でした。貴重なご意見ありがとうございました。
- bluestorm666
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どういう傾向の先生なのかなあ、と思いますが、「復活を学ぶことで自分の内面を知り、…」の部分から、その二つがどう結びつくのかを考えてみたらどうでしょうか。もしかしたら、授業でやった内容そのものかもしれませんが、なぞる形になったとしても、真面目に授業を受けていた証拠ですから、さほど文句は言われないでしょう。 本来、「復活」というものは、通常の理屈ではありえないことですね。通常の理屈を超越した存在、それを信じるためには、通常の理屈で生きている自分の内面と向き合わなければならない、そういう意味で先生は仰ったのではないでしょうか。あなたが、「復活」ということを受け入れるときに、実際に自分の内面でどのような葛藤があったのか、そういうことを書けばいいのではないかと思います。 生まれた時から、家が熱心なクリスチャンで、主イエスキリストの復活を、自明の理としてとらえている人もいるかもしれませんが、日本においては少数派でしょう。大部分の人にとって、信仰がない限りは「復活」というのは、おとぎ話か、うさんくさい話として受け止められても仕方がありません。あなたの場合、それを受け入れるにあたって、「おとぎ話?」とか、「こういうこと言ってる人達って本気?」とか、そんな疑問が心に浮かんだりはしなかったでしょうか。あまり、おおっぴらに口にしていい話でないと思ったら、そういう方向では書かないほうがいいかもしれませんが、最後のまとめで「心から信仰するにいたった。」と書けば何とかなるのではないかと思います。 宗教の先生はそんなに甘くはないかもしれませんが、もう9月も5日目ですから、困っておられるのではないかと…
お礼
迅速な回答ありがとうございます。 レポートは先生の内容から、テーマを決めることになっていますので文句はないですかね(汗) 復活に対しての疑問ですね。新約聖書では、イエス・キリスト以外の人も復活しているのになぜイエス・キリストのみがあがめられ、キリスト教として存在するのか。そういった方面から攻めてみますね。 もう二年間もキリスト教の学校いてこのようなレポート一つに四苦八苦してしまう自分が情けなく思ってしまいます。
お礼
回答ありがとうございます。 問題はそこから始まるのですね・・・ 私はキリスト教でいう主はいないと思っています。 ですから、復活したことやキセキを起こしたことなどの話を聞いても、聖書は単なる空想物語という前提で聞いているので疑問など皆無なのです。 これは回答者さまのいうような狭い見解となってしまっていますね。 しかし神を認めるとすると、復活した。神様ならありうる。奇跡が起きた。神様なら当たり前。となってしまいそうです。 ん~ 神の存在を認めつつ、なぜそうしたかという疑問を突き詰めてみます。