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神についての問答
- 宇宙の法則を神と呼ぶ
- 神は自ら語らない
- 念仏やお経を唱えても神には近づかない
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質問者が選んだベストアンサー
問う人: 神とは何や。 神とは愛 ただそれだけ。
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- witto
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「重力の法則」の発見者であったアイザック・ニュートン卿(1642-1727)は熱心な聖書研究者でもあり、友人に次のように証言しました。 ニュートンはかつて熟練した機械工に太陽系の模型を作らせ、それは惑星を表す幾つかの球体が実物そっくりに起動を回るよう、連動式に一緒に取り付けられていた。ある日、一人の無神論者の友人がニュートンを訪ねると、模型を見るなり、それを操作し、感嘆の声を上げて言った、「だれが作ったのかね」。ニュートンは答えた、「だれが作ったのでもない!」友人は言い返し、「君はきっと、わたしのことをばか者だと考えているのだろう。無論、だれかが作ったのだが、その人は天才だな。」すると、ニュートンはその友人に言った、「これは、君もその法則を知っている、はるかに壮大な大系の取るに足りない模造品に過ぎないが、わたしはこの単なるおもちゃが設計者や製作者なしに存在することを君に納得させることができない。ところが、君は、この設計の偉大な原型となっているものが設計者も製作者もなしに存在するようになったと信じていると言うのだ!」 ニュートンの友人は、万物の偉大な設計者で製作者であられる方が神であると認めるようになりました。わたしたちも、天と地にある、周囲の驚嘆すべきものを見るとき、創造者に感謝の気持ちが生じます。 そんなふうに、ものみの塔協会の古い本にありました。 完璧なる秩序ある宇宙の法則、自然法則は神によって創られました。
お礼
そーか、とーとーものみの塔が出て来よったか。 わしはな、ボブデュランの”All Along The Watchtower”ちゅー歌が大好きなんや。 最近、都内のあっちこっちの駅前に「ものみの塔」とか「目ざめよ!」ちゅーパンフを持って朝から立っとるおばさん達がおるんやが、一度話をしてみるとえー、面白い話が聞けるかも知れんで 。 わしは「人の道」があるからえーんや。
- shchmsd
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デリケートな話題ですが、 神様についていろいろ考えるのって面白いですよね。 一つ小ネタを書きます。 ■神の不在の証明 ・定義 神は全知全能である。 ・証明 不完全性定理より、全知全能はありえない。 よって神は存在しない。
お礼
あのなあ、えーか。 神が何たるかは我々人間が認識できる範囲に留めておけばえーんや。 すると宇宙の法則が神となる。 これ以外にはあり得ん。 宇宙の法則を超えるものなど人間は認識できんし、認識できんもんを考えたところで何の価値も生まれんからや。
- cyototu
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あんたも可哀想な人やな。阿弥陀さんちゅうえらーい仏さんを知なんだからな。あんたは人間が救われるためには「めーを開かなあかん」ちゅうとる。そんなこと人間にはでけんのや。 天国に人間が行きとうなら、いろんな試験があると思うのが人間や。そやからほんまに、東西南北上下十方の各方向にある天国はその入学のために、一方を除いて、難しい試験がある。一杯勉強をして偉い坊さんならなあかんとか、薮の中で裸で一週間寝て蚊に食われなあかんとか、仏様に一杯お布施をしなあかんとか、いろいろ難しい受験勉強して、天国に合格せなあかんと言っとるのや。 そやけど、そんな受験勉強をせなくとも入れる「極楽」ちゅうもんを阿弥陀さんは用意していてくれているのや。その極楽は西の方にあるんや。わてら駄目人間は一生かかったって、めーなんか開けられへんのや。そんな駄目人間でも、「あちきが悪りゅう御座んした、阿弥陀さん助けて下せー」って言いさえすれば、極楽に行けんのや。ほかの仏さんは人間にでけんことを条件に天国に入れてあげようって言っておらはるが、阿弥陀さんだけは、お前ら人間のために来たんだちゅうとるのや。阿弥陀さんは、「間違っても『人の道』なんちゅう誤摩化しに騙されちゃいかん。ただただ『助けてー』と言いなはれ」ちっとるのや。 『人の道』なんちゅうことを言っとると、竹薮で一週間裸で蚊に食われる修行でもしない限り、あんた地獄に堕ちるでえ。 でーも、あんたの心配も判らんでもない。日本の古くからの仕来りを調べている民俗学者はんらは、その村が浄土宗や浄土真宗に改宗していたら、その村には立ち入らなかったそうや。そんな村では、日本の古くからの仕来りが皆滅茶苦茶になってしもうて、研究対象として何の役にも立たんのだからだそうや。その点、真言や天台の村は日本の昔の文化を一杯残しているので、日本人を調べるに為になるそうや。阿弥陀さんも日本民俗学者には罪なことしてしもうたなー。やっぱ、日本民俗学者のためには『人の道』は大切なんかなー。
お礼
あのなあ、えーか、 阿弥陀さんが用意した極楽がえーとこかどうかは判らんのや。 もしかしたらその極楽で人は永遠に生き続けなーあかんかも知れんのや。 そうなるとこれは極楽どころか生き地獄と化するんや。 だから極楽とか地獄など始めから考えん方がえー、「人の道」はこう説いておるんや あのなあ、えーか、 アヘンちゅーのはな、最初は気持ちえーもんなんや。 しかしそれは長続きはせんのや。 それどころかそのうち苦しみに変わるんや。 その苦しみから抜け出しまともな人間になるのがこれまた一苦労なんや。
- mmky
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「人の道」: 念仏を唱えると神から遠のく。 ○[念仏」とは仏を念じることだから、神から遠いても仏には近づくのですね。 「人の道」: 皆にも聞く、神に姿形はなく仏像を彫って拝んだところで神には近づかんちゅーこと、よー判ったな。 ○これも同じですが、仏像を彫って拝んだところで神には近づきませんが仏には近づくのですね。 何をいいたいかといえば、神と仏の意味や定義がわからず言葉を使っているのじゃないの? それじゃどんな問答もだめ、だめですよ。 神は単に上(かみ)の人という意味しかないですからね。当然、勉強したほうが上になりますよね。 仏は、宇宙の法則が姿を現したときの姿(法身といいますね。)のことですから、その姿を拝んだり念じることは法則を敬うことと同じ意味ですからね。偶像崇拝とは違うのですね。 神(上)は俺様、俺様、我こそが神(上)というのが一杯いるから混乱を防ぐために特定の神を拝むことを禁じていることは確かですよ。ユダヤ教やイスラム教、キリスト教も神(上)の宗教でしかないので偶像崇拝が許されてないだけですね。 それと仏を混同しているようではだめですね。
お礼
あのなあ、えーか。 宇宙の法則が仏となって姿を現すなんちゅーことは無いんや。 そう思うのは宗教漬になったオタクの考えることや。 偶像崇拝ちゅーのはな、こういう愚かな考えがもたらすもんや。 あのなあ、えーか。 神も仏も大して違いはせん。 ラーメンとうどんの違いくらいや。
- 巧(@TYR_efes)
- ベストアンサー率13% (305/2272)
んー・・・ココんとこ↓↓なのですが、 >あのなあ、えーか。 >大仏などの仏像を拝むのは偶像崇拝ちゅーてな、イスラムの国々ではおよそ >人間のやる所業の中で最も卑しい行為と見なされておるんや。 イスラム諸国(イスラム教徒)だけでなく、イスラエル(ユダヤ教徒)も・・・ 旧約聖書の「みだりに神の名を唱えてはならない」「偶像を作り拝してはならない」 を厳格に守っているみたいですよ(汗)
お礼
全くその通りや。 まー、わしの眼にはイスラムもユダヤも同類にしか見えんけどな。 しかしそれを言うのに冷や汗かく必要は無いやろ。 当たり前のことと違うんか。
- katsuodash
- ベストアンサー率16% (1/6)
問う人: ほんで、このg3452sgpいうやつは、何を尋ねたいんや? 心の声: …。まあ、青年の主張みたいなもんちゃうの。 言いたいことをゆうてるだけで、全然質問ではないわな。
お礼
あのなあ、えーか。 ソクラテスも言うとるやろ、哲学の基本はダイアログ、つまり問答やと。
お礼
愛、つまりLOVE。 これも宇宙の法則から導かれる現象の一つや。 えーか、愛について語るんやったらミッシェルポルナレフの「愛の願い」くらいは聴き、理解せなあかんで。