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宗教を信じておられる方は、何を根拠に宗教を信じておられるのですか。
宗教を信じておられる方は、何を根拠に宗教を信じておられるのですか。 また科学との折り合いをどのようにつけておられますか。 例えば死後3日たったキリストが復活したとか。 むかーし、「エホバの証人」の信者さんがうちにきて見せてくれたパンフレットには 墓からたくさんの人が蘇ってでてくる様が描いてありました。 そのような話をいかにして信じるに至ったのでしょうか。 「知性の犠牲を強いることである。」と武部宗彦さんはおっしゃっていますが。
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たくさん、ありがとうございます。まず、先のお礼の中から・・ >・・宗教は比較しないで選ぶことができるのかが⇒もう1度回答を読んでいただきたいのですが、したのですよ。そして、こうして関心を持ち続けて時間が過ぎると、他の宗教の方の話も耳に入りますしね。 >永遠の命⇒現在生まれて生きて死にますが、死ななければどうでしょう?そのためにはそうできる体、環境いりますね。人間の体はそうできる可能性をもつ、自己更新ができる物質なのです。これを神が創造されたと学ぶのです。人形じゃありません。考え、判断できる脳もそうです。それを使い環境を整えます。永遠に生きられないから憧れから崇拝にまで高められたのかもしれませんが、永遠の命じたいは思考・観念・将来は事実であって、自ら何かできるわけでもありません。聖書の基準でいくとこれを崇拝はまちがいとなります。 >聖書は神ですか。 それは不完全なる人間が書いたものであって神ではないのではないでしょうか⇒「聖書全体は神の霊感を受けたもので・・」テモテ第二3章16節。神が人間に書かせたものです。神ご自身は見えません。どこにでもあるエネルギーのようなものでもありません。(詳しいことは割愛しています) 補足の中から・・ >武部宗彦さんのイエス双子説・・・・教団の人たちだけではないでしょうか。⇒イエスが双子なら聖書にそうあってもいいはずと思いました。何を根拠にその説が出たのかはわかりませんが、タイムスリップできないので、どちらも(復活も武部さんの説も)直接確認できない、ならば現在、確認できることから検証しようという事です。 >a・・・繋ぐことはできません。⇒聖書そのもののデータと復活の話を直接は結び付けられません。科学的に元素やら分子構造やらから復活を検証したい(つまり、No.9のmmkyさんの回答に近い)をご希望ならここでは書きませんが、証人の組織はそれらを考慮した書籍はありますよ。別に証人の本でなくても科学者の人が学ぶような難しい本でもtakotakoqさんはチョイスできますね。というか、これが真に尋ねたかったことだったのですか・・ 補足として、いえる事はそこまで知らなくてもお母さんのお腹の中で赤ちゃんが育って出てくるという事実(結果)は多くの人は現実知ることができます。このことをお母さんはいちいちお腹の外から指示する事はできず、ここがわかれみちでしょうが、知力・判断力の働かない偶然では(自分は)できないと思います。 知らない過去にいけない以上、絶対確実なのは、将来の復活のある時代をtakotakoqさんが目撃する事です。 騙すためにはそれなりの得が騙す方にあるわけですが、自分がtakotakoqさんを騙して何も得はないことはお伝えしておきたいです。忘れたことも多いですが、takotakoqさんがいうように疑問は昔、自分にもあったと思いますよ。疑問をもつ事が悪いのではなく、疑問をどこから解決するのか、答えに対してどのような態度で臨むのかが重要だと思っています。 「言葉の使い方がなっていない点については」・・自分はさほど気になりませんでした。自分のほうこそ、このような機会をもうけていただいて感謝しております。
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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No.11です。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~ >信じるは 考える(知性)の科学を超えています。 超えているの意味がよくわかりません。 私には『信じる=ぶっとんでる』なんですが。 よろしければ具体的に教えていただけませんでしょうか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 《考える(経験合理性にもとづく思考)を超える》というのは 《ひらめき》あるいは《賭けにも似て えいやっと言って決めるときの意志行為》です。何らかの感性や或るいは意識がわづかにはあるように思われますが 基本的に《非思考》であり その《非思考》の世界と《わたし》との接触としての《非思考の場》がかたちづくられていると考えるものです。この場の形成が 信仰という実態です。 この場は いわば心の窓であり その窓を明けたら何かが見えるというものでもないでしょうが そのとき・この非思考の場としては わが心の明けもしくは伸びが わづかに 起こっている。こう考えられます。 ちなみに そこに――という意味は 明けを照らす光として もしくは 伸びの向こう先に――何ものかナゾがあると見る(想定する)場合には 有神論となります。何もないと見る場合には 無神論です。つまり どちらも 非思考の場において成り立つところの《信じる》ということがらです。 信じるは わたしがそうするのですから・そしてわたしは経験的な朽ちるべき存在ですから 経験行為です。その相手先は 非思考であり非経験の領域―― 一般に 《かみ(神および無神)》――ということになります。 このような成り立ちとしての信仰は 経験科学を超えています。科学では その経験合理性という基準を超えている場を扱い得ないと考えられます。 要するに おっしゃるように ★ 『信じる=ぶっとんでる』 ☆ です。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ イエスの復活についてはどうお考えになりますか。 イエスの復活は霊的なものではないと聖書には記されているようです。 手元の本によれば 「弟子たちが信じないので、イエスは魚を食べて見せた」とも書いてあります。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ いちばん説明しづらいところを出して来られました。 1. まづそもそもは 非思考の場での――観想(ひらめき)をとおしての――出来ごとです。 2. それを 経験思考で分かるように説明せよという課題です。 3. 言いかえると いま現在においては 当然のごとく単なる表現のあやとして この復活を説明しているという前提を外すことは出来ません。 4. 《魚を食べてみせた》も いわば文学的な効果をねらって表現しています。ウソ偽りではありませんが いま現在ではナゾを言おうとしている・またそれのみだとも考えられます。 (イエスの弟子たちに何が起こったかはわたしには分かりませんので かれらを除けばです)。 5. しかも いづれは――未来社会において―― 身も心も死んだあとにあらたに復活すると言っています。 6. これは げんみつに言えば いま生まれて来ている《自然のからだ(その身と心)》そのものではなくやはり《霊のからだ》としてのよみがえりだとは言っています。霊の身体と霊の精神とにおいて あらたに生きるという見通しです。あたらしい天と地においてであると。 7. からだ あるいは 天と地 と言うかぎりでは それとして経験的な世界を言っていると見るべきでしょう。 8. 答えは――すっぽかすようですが―― この復活ということについては いまは将来すべきこととしてそれに臨むのがただしいと言われています。いまは おぼろげに・或る種の予感において 知ることもある。といった答えしか用意できません。 9. いちばん手っ取り早い説明は ひとがたとえば二百歳を生きるようになること。これは 比喩としてですが 永遠の生命を生きることであり その途中では 復活もあるのではないか。そういった子供だましのような話になります。 10. 大いに《ぶっとんだ》ひとが 少しづつなりともその姿の一端を言葉でおしえてくれるようになるかも知れません。 11. あるいは別様の説明ですが ▲ 神がすべてにおいてすべてである。 ☆ と書いてありますので この《神》をたとえば《真理》と取って考えてみるとおもしろいかも知れません。要するにこの有限な知性の人間にとっても 知りたいと望むところは必要に応じて知り得るようになるということかも分かりません。復活ということの中身としてです。 もしそうだとすれば 信仰は科学の進展をみちびくということも考えられるのではないでしょうか。 お粗末でした。
お礼
再度の回答をありがとうございます。 なるほど、《考える(経験合理性にもとづく思考)を超える》というのは 《ひらめき》《賭けにも似て えいやっと言って決めるときの意志行為》なのですね。 この説明は大変わかりやすかったです。 《非思考の場》形成が 信仰なのですね。 なぜ人はこういうことができるのか、というのがとても不思議です。 回答者様の理論でいえば、無神論もまた >非思考の場において成り立つところの《信じる》ということがら だということですが、これは正直言って納得できません。 私は考えた上で無宗教なので。 ところで回答者様は特定の宗教を信仰しておられるのでしょうか。 要するに おっしゃるように ★ 『信じる=ぶっとんでる』 ☆ です。 とおっしゃるところをみると、信仰しておられない? イエスの復活は、文学的・比喩的なものだとお考えなのですね。 比喩的なものである可能性はあると思います。 イエスは太陽に喩えられているのではないか、と。 12月22日は冬至で、その3日後クリスマスくらいから南中高度をあげていきますから。 しかし、No.1のgadovoaさんのお礼に書きましたように、 キリストが蘇ったということはキリスト教では重要視しているのではないか、と思うんですが。 またキリスト自ら霊的復活ではない、とわざわざ言っています。 No.3のmmkyさん、No.7の:lv4uさん、No.8のad383cllさんのような信仰の仕方が本物ではないか、とも思うんですが。 「エホバの証人」の信者さんは「将来、死んだ人が蘇るのです。」といって肉体を持った人が墓場からでてくる絵をお見せになりました。 霊的な復活だという説明はありませんでした。 キリスト教はこの奇跡をおこしたゆえに多くの信者の獲得に成功したのではないか、と推測したりもします。 現代人の多くは『そんなこと、ありえないさあ!』と言うでしょうが (今でもスプーン曲げ、幽体離脱、神霊現象などを信じているも人もいますね。) 古代の人が現代人と同じように考えたとは言い切れない。 >身も心も死んだあとにあらたに復活すると言っています。 >《自然のからだ(その身と心)》そのものではなくやはり《霊のからだ》としてのよみがえりだとは言っています。 すいません、どこにそのようなことが書いてあるのですか。 よろしければ教えて下さい。 あれ?やっぱり回答者様はクリスチャンでいらっしゃる?
- lv4u
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>>もしよろしければ具体的に教えていただけませんか。 >実際に「あの世の存在」を信じないわけにはいかない体験をしたからですね 2度ほどですが、自分の価値観を変えたとき、その直後に「守護霊様から聞いたんだけど・・・」と霊感ある友人からそのことについて言われたことがありましたね。その内容は誰にも言っていないし態度に出るような内容でもないことでしたからね。もちろん友人が「七瀬ふたたび」に登場する火田七瀬のようなテレパスという考え方もあります。 まあ、他人がどう解釈しようとも、自分の中では、「あの世」を信じないわけにはいかないことでした。 ちなみに、「あの世」では、この世に生きている人に「それは、AじゃあなくBにしなさい」なんて言い方はしないみたいですね。もしそういう助言を認めると自分の人生における責任が本人じゃあなく、守護霊とかあの世の存在のほうに行ってしまう部分が出ますからね。下手すれば操り人形の人生になりかねません。 ただし、自我の強い人で「○○したほうがいいよ」と助言しても「守護霊の言うことなんて無視無視!」という場合は、「言っても、結果は変わらないしな・・・」という判断で助言することもあるようです。 >また、その存在を仮定するほうが矛盾無く合理的に説明できることが多いです。 たとえば、砂とコンクリートの袋やガラス、アルミ、鉄の塊などを荒地に放置しておくと、地震・雷や風などの偶然の作用によって、基礎工事が終わり平地になった土地の上に20階建てのきれいなビルが完成するなんて信じられません。 それを信じているのが進化説による人類誕生を信じている人たちだと思います。全く非合理的で馬鹿げています。 同様に、この宇宙自体も偶然の産物であって、上記のように勝手にうまく出来上がったというビッグバン理論の考え方も変だと思いますね。 それよりも、高次元存在(神)による人類創造と、その進化発展に協力し遺伝子操作などを行った宇宙人たちという考え方のほうが、理論としてずっと矛盾無く合理的な説明だと私には思えます。 もちろん現実的には、いろんな宗教がありますが、その教えは、論理性・合理性が無いのが90%以上ではあると思います。例えば、統一協会が壷とか多宝塔を売っていましたが、宗教的には、「なんでキリスト教系が壷や多宝塔を売るんだ?十字架とかマリア像やキリスト像を売らんかい!それじゃあ仏教系になるじゃあないか!」と思っちゃいますからね。 また「○○唱えれば、悪人でも往生できる」なんて教えもその中に論理性・合理性がありません。IDカードが無いと建物に入れない有名な宗教なんて教え自体があるのかな? >>何人もの歩けない人が歩けるようになったとか そんな奇跡が実際にあったとか聞きました。 ルルドの泉でしょうか?あの水に特別な成分は無いそうです。その人の信仰心や宣伝効果に応じて「この人には奇跡を起こしてあげよう」と選別して奇跡を起こしているようですね。ちなみに幸福の科学では、そういった「歩けない人が突然歩けるようになった」なんて軽いレベルの奇跡は、わりと多く起こっているようです。でも、「奇跡が起きた!と言いふらすのはいけない。そこらの宗教と同レベルに見られてしまうから」って考え方で公表しないことが多かったみたいです。最近はちょっと考え方を変えたようですけどね。
お礼
何度も回答をありがとうございます。感謝いたします。 なるほど、霊感ですか。 私の友人にもそんなことをいっている人がいますね。 私の母も、叔父が亡くなったという知らせを聞いたとき、ゆうべ夢の中に叔父が現れた、とか言ってました。 でも、叔父が死亡したという知らせを聞いたあとでそんなことを言うので、とても信じられないと思いました。 あ、回答者様のご友人が嘘をついている、という意味ではありません。 私の母親の言うことは信用できないということです。 「七瀬ふたたび」読みました。 懐かしいですね。 テレパスの存在はありえなくはないとは思いますが、そういう能力が存在しうるとも断定できないというかんじですかね。 ただ、先見の明を持っている人というのはいると思います。 私は夢の中で伴侶となる人の名前を知ったことがあります。 ただ残念ながら、一文字だけ違っていました(笑) 伴侶には友人の紹介で会ったので、友人から名前を聞いていたのかもしれない、と思っています。 顕在意識では名前を忘れていたけれど、潜在意識では名前を覚えていて、それで夢を見たのではと。 霊感、テレパス以外の可能性というのはお考えにはならなかった? >たとえば、砂とコンクリートの袋やガラス、アルミ、鉄の塊などを荒地に放置しておくと、地震・雷や風などの偶然の作用によって、基礎工事が終わり平地になった土地の上に20階建てのきれいなビルが完成するなんて信じられません。 それを信じているのが進化説による人類誕生を信じている人たちだと思います。全く非合理的で馬鹿げています。 ああ、なるほど。 この考え方は理解できます。 >それよりも、高次元存在(神)による人類創造と、その進化発展に協力し遺伝子操作などを行った宇宙人たちという考え方のほうが、理論としてずっと矛盾無く合理的な説明だと私には思えます。 宇宙人の存在は否定しません。でもやっぱり自分自身がまだ会ったことがないので。 UFOはアメリカかロシアあたりが飛ばしているんじゃないかと思ったりもします。 あるいは鳥や飛行機を見間違えたとか。 もちろん断言はできません。 もしも、回答者さまがおっしゃる宇宙人説よりももっと納得のできる説明があれば、考えを改められますか。 まあ、科学者の中にも自説にしがみついて、過ちを認めない人がいますね。 こういう人はもはや科学者であるとはいえませんね。 >ルルドの泉でしょうか? ああ、そんな名前だったように記憶しています。 私は集団ヒステリーで納得しています。 集団ヒステリーであれなんであれ、病が治ることはいいことだと思います。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
こんにちは。 信じるのは 《かみ》をだと相場は決まっています。 宗教は 教義を持ち 教義というのは 言葉で書かれた思想にすでに成っています。すなわち その思想を考えるということをします。宗教は 信じるものではありません。いわゆる教祖についても それは 人柄や人格のかたちを考えるものです。信じるものではありません。 で 何を根拠に信じるか。 経験合理性による思考によっては根拠はないと考えられるところの何ものかを信じます。 すなわち 無根拠なるものを 無根拠ゆえに 信じるのです。(むろん 信じない自由もあります)。 根拠が有るものならばそれは 信じるとは言わず 考えるのですから。 信じるは 考える(知性)の科学を超えています。
お礼
回答ありがとうございます。 なるほど、宗教は信じるものではなく、その教義について考えるものであると。 イエスの復活についてはどうお考えになりますか。 イエスの復活は霊的なものではないと聖書には記されているようです。 手元の本によれば 「弟子たちが信じないので、イエスは魚を食べて見せた」とも書いてあります。 >信じるは 考える(知性)の科学を超えています 超えているの意味がよくわかりません。 私には『信じる=ぶっとんでる』なんですが。 よろしければ具体的に教えていただけませんでしょうか。 ※ 抽象的な説明は理解できませんのでご遠慮ください。 ※ あまり頭がよくないので、小学生か中学生の子供でも理解できるように(大人ですが)説明いただけたらありがたりです。 (いろいろ注文つけてすいません)
体験でしょう。 偶然という体験を奇跡と受け取ってしまう思い込みです。 いくら偶然だと蹴飛ばしてもへこたれない強い思い込みです。 説明のつかない偶然を、奇跡だと説明するから馬鹿にされる。 馬鹿にされればされるほど思い込みは強くなっていく。 そのうちに客観的なものすべてが奇跡だと思うようになっていく。 偶然のかけらはまったく無いのだと・・・ 愚かさを通りこした偉大な思い込みのかたまり・・・ 素晴らしいですね。 私もどうやら近づきつつあるようです。
お礼
回答ありがとうございます。 >偶然という体験を奇跡と受け取ってしまう思い込みです。 そうかもしれませんね。 また勘違いというのもあるかもしれません。 先日、作曲をする夢を見たんです。作曲なんて生まれてこの方一度もやったことないんですが。 それで家族に夢の中で作曲した歌を歌って聞かせました。 すると「そりゃ、オレの携帯の着信音だと」(笑) イエスが復活したというのはどのような偶然によっておこったと思われますか。
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
ぜひ説明をお願いしたいです! ○ 物質化現象ですよね。 これ簡単なんですけど、物理科学的にはちょっと認識上乗り越えないといけない部分があるのですね。それさえ理解できればすぐわかりますよ。 ちょっと頭を白紙にしてね。 先ず、設定は全ての物質というのは合目的に出来ているということなのです。銀河でも、恒星でも、惑星でも、あらゆる生き物でも、いわんや石でもですよ。これらはマクロですが更にミクロに入っても同じなのですね。原子や電子、それらを形成するクオークも全て合目的に出来ているのですね。合目的という意味は「それぞれが目的を持って作られている。」という意味ですが、それぞれが目的を持つという意味は、言い換えれば、意思があるということですね。つまり意志の元となるものがあるのですね。アインシュタインさんには悪いけど、4次元以上にも存在空間があって、そこに存在する素粒子(お化けのようなものですから)霊子と呼んでますが、この霊子が集まっていろんな素粒子を3次元空間に合目的に作っているというものなのです。 俺たちは電子になるぞといってある群れが電子になるのですね。俺たちは色の元のクオークになるといってクオークになっているということですね。俺たちはフォトンだとかね。光も霊子の集まりですね。 この霊子は意思のあるエネルギーなのですね。意志があるのであればコントロールも出来るわけですね。 コントロールできるような人は「パンよ、いでよ!」というと霊子が反応して「パンが空中から出てくる。」という具合です。 インドには仙人と呼ばれる人が多数いて「細かい砂」なんか出す人いますね。それを大掛かりにすると石でも岩でも地球でも銀河でも宇宙でも・・となるわけです。ミクロもマクロも同じ法則ですからね。人の体も同じですね。魂は作れませんが物質であれば何でもOKですね。 「神は念によってこの宇宙を創った。」ということと同じですね。膨大な霊子を集めて「宇宙になれ」といっただけなんですね。後は霊子の仕事ですからね。 光はアインシュタイン規制に入るものでも霊子は入らないのですね。だから、光速より遥かに早いですから不確定な未来のビジョンも存在しますね。予言が存在するということは物理法則なのですね。 付け加えるとすれば、イエスさんは若い頃インドの仙人からパンの出し方を学んだのですよ。 それから、肉体の物質化現象はイエスさんの力では不十分で、実際は「日本人がわかるように言えば、釈迦大如来」の力を借りてやったのですね。・・・こんなの霊界の秘密だったんですけどね。今は、ぺらぺらと話しても良い時代ですね。 さて、この霊界物理学は未だ認知するものは少ないですが、事実なんですよ。これを知らないと人類は遥か彼方の星への旅行はできないのですね。でも、もう少し時代が下ればはっきりしてくると思いますよ。物理も科学もまだ他の高度な宇宙人に比べると千年以上遅れているのですね。そのうち宇宙人が来て教えてくれるかもしれませんね。 それまで生きていれば、信じることも出来るでしょうね。 でも、私の言うことが信じられれば時間の無駄は省けると思いますけどね。 あんまり宗教的じゃないでしょ。こんなの説明してもわかる人いないから、めざしの頭でも信じなさいということになりますよね。でも、エホバ教もだめだめですよ。霊界物理学に合致してないからね。
お礼
何度も回答をありがとうございます。 なるほど、ハニーフラッシュのようなものなんでしょうか。 空中元素固定装置?ちょっと違う? いやでも、なかなか面白い話が聞けてよかったです。 まったくのトンデモ説だとも思いませんでした。 ワープ航法が確立するのを待って入信することにします。 大変参考になりました。感謝いたします。
- ad383cll
- ベストアンサー率37% (3/8)
自分はエホバの証人から教えていただいている者です。 まず、大きくは2つあります。 1、周りに見られる生き物・自然界は神の創造の業である。 2、聖書の存在 1について・・神ご自身は見えませんが、神が創造した事を示す聖句はいくつもあります。 というのは,[神]の見えない[特質],すなわち,そのとこしえの力と神性とは,造られた物を通して認められるので,世界の創造以来明らかに見えるからであり,・・・聖書、ローマ1章20節。 ・・・・あなたは顔に汗してパンを食べ,ついには地面に帰る。あなたはそこから取られたからである。あなたは塵だから塵に帰る・・・創世記3章19節。 その他。 人の体にしろ、物質はもとは元素(これも神の創造)からできています。それら材料と神の設計により、宇宙を含め、複雑な構造は創りあげられていると思います。創るという意思のある行為ではない偶然では秩序ある物はできません。自然界にある信頼できる法則なども創造ゆえです。 生命については進化論という理論もあります。中に、細かい説もありますが、ほとんどは創造者である神の存在は考慮されていないであろうと思われます。1番最初、つまり生命はどのように存在するようになったかも説明できません。その他にもあります。 2、について 聖書が信頼できる神(から)の言葉として受け止められるようになりました。 (1)世界最大の頒布数を誇ります。古さにおいても際立って古く、その時々の時代において反対を受け,しかも生き残った本です。このようにデータや数字があります。そして、内容においても確信できる理由があります。 聖書全体は神の霊感を受けたもので,教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益です・・・テモテ第二 3:16 (2)書かれている歴史記録の確かさ、(筆者が)率直で正直、40人ほどの人が1600年間にわたり、国も違い、お互い面識もないのに、書いた内容の内面的な調和がみられる、 古い時代に書かれた内容で科学的な正確さをあらわす箇所がある、預言されて後にその成就である歴史上の事実がある そして、信じた後の個人的経験からtakotakoq さんの見た「墓の中から人が蘇ってでてくる様」も(これは将来の話です。)ありえない話ではないと結論するにいたりました。 わたし(エホバ神)の口から出て行くわたしの言葉も,それと全く同じようになる。それは成果を収めずにわたしのもとに帰って来ることはない。それは必ずわたしの喜びとしたことを行ない,わたしがそれを送り出したことに関して確かな成功を収める。・・・ イザヤ 55:11 http://www.watchtower.org/j/200711/article_02.htm http://www.watchtower.org/j/200711/article_03.htm、参照 このように証拠から信じることができます。聖書は盲目的に信じることを求めてはいません。 そのようなわけで,兄弟たち,わたしは神の情けによってあなた方に懇願します。あなた方の体を,神に受け入れられる,生きた,聖なる犠牲として差し出しなさい。これがあなた方の理性による神聖な奉仕です。 2 そして,この事物の体制に合わせて形作られるのをやめなさい。むしろ,思いを作り直すことによって自分を変革しなさい。それは,神の善にして受け入れられる完全なご意志を自らわきまえ知るためです。・・・ ローマ 12:1、2 知性の犠牲どころか、いっぱい頭も使います・笑。 http://www.watchtower.org/j/20020401/article_02.htm(信仰と理性―両立しますか)
お礼
回答ありがとうございます。 1、 周りに見られる生き物・自然界は神の創造の業である。 これは「神とは自然のことである」ということと同じだと思います。 そういう意味でとらえれば神はいる、ということになります。 しかし、約束の日(でしたっけ?昔のことなんで記憶が曖昧)に死者が復活するという証拠はありますか。 あればそれをご提示いただけるとありがたいのですが。 2、 聖書の存在 (1)世界最大の頒布数≠正しい。 ※経済力があったためとも考えられる。 (2)際立って古い≠正しい。 ※ギリシャはアメリカよりも正しいと言っているのと同じではないでしょうか。 (3)その時々の時代において反対を受け,しかも生き残った本≠正しい。 ※ 国の保護をうけていたこともあったのでは? 現代でもベストセラーの本が正しくて面白いのか、というとそうではありません。 かえって一般受けするくだらない本が売れるという一面もあります。 >知性の犠牲どころか、いっぱい頭も使います・笑。 聖書を学ばれることは大変頭を使うことだと思います。 しかし、それは科学とは違う頭の使い方ですね。 なぜなら、科学の基本は疑いを持つことだと思うからです。 常に『本当にこれは正しいか』と問うのが科学者なのだと思います。 信仰というのは、「聖書」とか「コーラン」が正しい、というのを前提に成り立っているように思います。 いろいろ申し上げましたが、大変参考になりました。 感謝申し上げます。
- lv4u
- ベストアンサー率27% (1862/6715)
>>宗教を信じておられる方は、何を根拠に宗教を信じておられるのですか。 実際に「あの世の存在」を信じないわけにはいかない体験をしたからですね。また、その存在を仮定するほうが矛盾無く合理的に説明できることが多いです。論理性・合理性を追求していたから宗教を信じるようになったってことです。 >>また科学との折り合いをどのようにつけておられますか。 科学は、まだまだ発展途上です。ニコラ・テスラの研究成果とか、UFO撃墜して得た進んだ宇宙人の科学技術情報があれば、「宗教的奇跡」とか「霊界的なマユツバ」と思われていることが「科学的」に説明できると思っています。科学者や政治家が自分たちの地位を守ろうとして、そういう「トンデモ」といわれがちな科学成果は隠されていると思っています。 >>例えば死後3日たったキリストが復活したとか。 エジプトの時代には、戦争で失った肢体を復活させるような技術もあったようです。同様に、キリストの復活も科学技術の成果だと思っています。ただし、地球人の技術じゃあなく宇宙人の医療技術ではありますが・・・。(まあ、こう言ってしまうと宗教的ではなくなる気がしますが・・・。)
お礼
回答ありがとうございます。 >実際に「あの世の存在」を信じないわけにはいかない体験をしたからですね >また、その存在を仮定するほうが矛盾無く合理的に説明できることが多いです。 そうなんですか! これも大変興味深いです。 もしよろしければ具体的に教えていただけませんか。 >科学は、まだまだ発展途上です。 全くそのとおりだと思います。 >「宗教的奇跡」とか「霊界的なマユツバ」と思われていることが「科学的」に説明できると思っています。 その可能性はあると思います。 なんでしたか、どこかの泉で禊ぎをすると 何人もの歩けない人が歩けるようになったとか そんな奇跡が実際にあったとか聞きました。 科学的には集団ヒステリーだと考えられているようですね。 >エジプトの時代には、戦争で失った肢体を復活させるような技術もあったようです。同様に、キリストの復活も科学技術の成果だと思っています。。ただし、地球人の技術じゃあなく宇宙人の医療技術ではありますが・・・。 なるほど、大変おもしろい仮説です。
- mmky
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けれど私の手元にある本にはこう書いてあります。 彼らは驚きおそれて霊を見ているのではないかと思った。 するとイエスは言われた。 「霊ならこんな肉や骨はありません」 ○ なるほどですね。もし私が当時の「ナザレのイエス」なら「同じこと言った」でしょうね。 「物質化現象=霊現象の一つ」という知識もないものにはそういうしかないでしょう。 わかりやすい方便ですよ! 人は自身の能力でしか他を判断しないという良い例ですね。 ○同じ様なものは他にもありますよ。 最後の晩餐の「パンとワインの例え」です。「私の肉、私の血」と暗喩をしてますね。 これも、数時間後には逃げて、イエスなど知らないとのたまわくあほな弟子に対する言葉ですね。 「あなたたちは、じき「私を知らない。」というだろう。しかし、私と一緒に食べたパンとワインを思い出して欲しい。私があなたたちといたことは朝夕の食事と同じく消せない事実なのです。」これが「イエスの心情でしょうね。」 カソリックや他の宗派ではこれ儀式化してますよね。 ・・なぜなら真の理由がわからないからでしょうね。わかれば「弟子のアホさ加減の象徴を儀式化することはないでしょうね。」 これも自分がその立場に立てば言わずもがなの話ですね。方便は真理ではないのですね。方便と真理が区別できない宗教家や坊主が多いから「ゴミ宗教」に担ってしまうのですね。 宗教は科学といえばいいのでしょうかね。矛盾しないですよ。矛盾することがおかしいのですね。あれば、それはマスターの方便でしょうね。無知な人には方便も使うのがマスターですね。 つまり、「マスター」の言葉というのは、いつの時代でも、額面どおり取る者は駆け出しの弟子でしかないということなのですね。自分の低い能力でしかマスターを判断してないということでしょ。 その駆け出しの弟子が五万といて広めるのだから「?????」になることは当然ですね。 イエスの真っ当な弟子が、ここでお答えしてますから、それを信じてね。ということでしょうね。 イエスにしろ仏陀にしろトップの宗教家はトップの哲学者でありトップの教育者であることを謙虚に受け入れないといけないものですね。ヘーゲルやカントを越える遥かなる知の巨人でもあるのですね。 その謙虚さにおいてのみ宗教の真の姿が見えるのです。そこには宗居と科学の壁は存在しないのですね。 追伸まで
お礼
再度の回答をありがとうございます。 >物質化現象=霊現象の一つ というのは興味深いです! いかにしてこういう現象がおきるのか、について納得のいく説明がえられたら キリスト教徒になるかもしれません。 ぜひ説明をお願いしたいです!
- ukiyotonbo
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科学は人類の大切な成果であり叡智ですが、未だに大きな誤解の上にあることに気づきはじめているのではないでしょうか。 一言で宗教といっても千差万別かと思いますが、信じておられる方は根拠なく信じておられるのではないでしょうか。 では、科学がなぜ信じられるのか・・・結局、人類のみんなが正しいと信じて疑わない公理を基礎としているからですよね。でもそこには人間とか自分という客観性の限界があります。
お礼
回答ありがとうございます。 >信じておられる方は根拠なく信じておられるのではないでしょうか。 うーん、私もそうじゃないか、と思います。 またどうしても知性の犠牲を強いる部分は、 都合よく知性が納得できるかたちに置き換えてしまっているのかな、と。 >では、科学がなぜ信じられるのか・・・結局、人類のみんなが正しいと信じて疑わない公理を基礎としているからですよね。でもそこには人間とか自分という客観性の限界があります。 そのとおりですね。 それに科学もどんどん書き換えられています。 昔は恐竜の絶滅は氷河期によるもの、とされていたのに 最近では隕石が地球に衝突したためとされています。 疑問を持つことが科学の基本だと思います。
- yamakawami
- ベストアンサー率50% (1/2)
宗教は信じて居りません!科学を信じておりますが科学は未だ発展途上で、全てを解明 しては居りません!その解明出来ていない部分を、心弱い、(私を含む)人は神に「祈る」 のです!祈るだけです! 往々にして、宗教が科学を根拠に、隠れみのに、している事が有りますので、ご注意下さい。 例えば、人間の存在、太陽と地球の距離、不確定性の原理、等を真似て「これは神無くしては 有り得ない、」等と説いて居ります。エホバの証人がエントロピーの法則を利用しているのには 驚きでした!この科学的事実は、確定している事なので、神?でも変えることが出来ないので それを神の存在と結びつけ、神の存在の根拠とする論法です。
お礼
回答をありがとうございます。 >科学を信じておりますが科学は未だ発展途上で、全てを解明 しては居りません!その解明出来ていない部分を、心弱い、(私を含む)人は神に「祈る」 のです!祈るだけです! ははは、私もそういうところありますねえ。 私は宗教は信じていない、といいながら、神を信じているのでしょうか。 矛盾だらけの人間です。 しかし、キリストの復活、死者の復活はどうしても信じられません。 エントロピーについてウィキペディアで調べてみましたが 大嫌いなインテグラル(だったけか)の公式がズラーり並んでいて ちんぷんかんぷんでした(汗) もうちょっととっつきやすいものだったら入信するかもしれませんが これは生理的に受け付けません。(数学2でしたので)
お礼
比較した上で宗教を選ばれたのですね。失礼しました。 >永遠の命⇒現在生まれて生きて死にますが、死ななければどうでしょう? (3)人間はすべて死にます。死なない人間をみたことがありません。 >人間の体はそうできる可能性をもつ、自己更新ができる物質なのです。 (4)科学的な説明がない物は信用できません。 >聖書全体は神の霊感を受けたもので・・」テモテ第二3章16節。神が人間に書かせたものです。 (8)聖書は神が書いたのではありません。人間が書いたものです。 >イエスが双子なら聖書にそうあってもいいはずと思いました。 (9)イエスが復活したというそのことが、キリスト教信者を増やしたのではないか、とわたしは考えています。 しかし、イエスが復活したなど、信用できません。 あなただって死んだ人間が生き返ったのを見たことがないでしょう。 それよりも、イエスは双子だった。 死んだのはイエスの双子の弟だった。これを世間の人々はイエスが蘇ったと勘違いした。 そう考えるほうが理屈が通ると思います。 なぜ聖書に書いていないのか。 復活が双子のトリックだとしれたら信者が激減すること間違いなし、だからだと推測しています。 聖書を絶対視するから、聖書に書いていない→ウソだ。となるんです。 コーランはイエスは死んでいない、死んだのはイエスに似た男だ、としています。 わたしはイスラム教徒ではないですが、この件に関してはこちらのほうが辻褄があっていると思います。 >タイムスリップできないので、どちらも(復活も武部さんの説も)直接確認できない、ならば現在、確認できることから検証しようという事です。 (10)現在確認できるのが聖書だということでしょうか。 どうして聖書にはウソが書いていないと思えるのでしょうか。 人に教えてもらったんですが、聖書には処女受胎や、進化論や天動説を否定する内容が記されているのでしょう。 これはウソを書いてあるということだと思います。 (11)a.ロングセラーである、ベストセラーである、信者の数が多い、聖書の記述はほぼ正しい これらは、「イエスの復活も正しい」と=で繋ぐことはできません。 とおっしゃっていますが、ご自身の回答を見直して下さい。 No.8. 聖書が信頼できる神(から)の言葉として受け止められるようになりました。 >)世界最大の頒布数を誇ります。古さにおいても際立って古く、その時々の時代において反対を受け,しかも生き残った本です。このようにデータや数字があります。そして、内容においても確信できる理由があります。 聖書全体は神の霊感を受けたもので,教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益です・・・テモテ第二 3:16 (>書かれている歴史記録の確かさ、(筆者が)率直で正直、40人ほどの人が1600年間にわたり、国も違い、お互い面識もないのに、書いた内容の内面的な調和がみられる、 古い時代に書かれた内容で科学的な正確さをあらわす箇所がある、預言されて後にその成就である歴史上の事実がある (12)これは要約すると、ロングセラーである、ベストセラーである、内面的な調和が見られる、予言が的中している、ゆえに聖書は正しく、イエスの復活も正しい、とおっしゃっているのではないでしょうか。 >科学的に元素やら分子構造やらから復活を検証したい(つまり、No.9のmmkyさんの回答に近い)をご希望ならここでは書きませんが、証人の組織はそれらを考慮した書籍はありますよ。 (13)ああ、あるんですね。 それでは今後、それを説明に使われるといいと思います。 間接的説明より説得力あると思いますよ。 >これが真に尋ねたかったことだったのですか・・ 間接的な説明では納得できないので、mmkyさんの例を出しまでです。 彼の説明は直接的じゃないですか。 >知らない過去にいけない以上、絶対確実なのは、将来の復活のある時代をtakotakoqさんが目撃する事です。 私は知らない過去(つまり歴史)を研究しているものです。 研究すれば結構見えてくるもんですよ。 誰もみたことがない未来よりはるかに信用できます。 >自分がtakotakoqさんを騙して何も得はないことはお伝えしておきたいです。 ええ、騙そうとしているとはおもっていませんよ。 回答者さまが騙されているのではないかなあ、と思っているのです。 信仰は自由ですが、 ● 聖書以外のものにも(たとえば正反対のもの)目を向けてはどうか。 ● 「聖書が信用できる理由」というサイトは論理が破綻している。 ということを、知らない人が言っていたなあ、くらいに思っておいてください。 スイマセン、疲れてしまったので、勝手ですが、このあたりで終わりにさせていただきます。 ほんと、疲れました。