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“寒岩”という戒名の字
“寒岩”という戒名の字 簡徳院寒岩霊松居士 いきなり戒名で縁起でもありませんが、あるサイトでこの戒名を拝見しました。 何か北条氏関係かも知れません。 【質 問】 1. 生前はどなたであるか、ご存じありませんでしょうか? 2. “寒岩”という字(或いは文言)がつくご戒名が多数あります。 “寒岩”という字(或いは文言)には何か謂われか意味があるのでしょうか? (禅の偈、公案でしょうか、“婆子焼庵”の修行僧の科白で、 『枯木寒岩に依りて三冬暖気なし』というのがありますが)
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まず、素人なのでそんなに詳しくないですが、 ”簡徳院”・・・院号 ”寒岩” ・・・道号 ”霊松” ・・・戒名 ”居士” ・・・位階 と呼ばれます。 『道号』でぐぐればいろいろな説明が出てくると思いますが、 参考URLの『法名・戒名について』を見てみてください。 ようは、季節感や業績を表していて、特に深い意味は無いと思います。
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- comattania
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補足に回答します。 まことの申し訳ないですが、神社仏閣は、建造物としての興味しかありませんし、戒名についても下らん事に銭出して、自己満足に過ぎないと思うほうですから、貴方の疑問にお答えできる学識を持ち合わせておりません。 高野山へ行っても、宿坊の料理が美味いか不味いかの評価しかしません。 土地の古老をお尋ねになる事ですね。 こんなお答えしか出来ないのは、中学高校と、お寺の離れに下宿して、お寺の和尚に宗教の何たるかを教わったからで、以降、宗教とは個人差がありますから深入りしないようにしています。
お礼
再度のご訪問、ありがとう御座います。 宗教は普遍的といっても、宗教も信仰も個人的ですね。 誰しも、どんなにすごい思想や聖者であっても、vibrationが同調しないとだめですね。 結局は、個人としての普遍となると存じます。それを全部一緒だとすると問題ですね。 しかも他の宗教や、民族心性に押し付けたり、批判や判断基準にしたら戦争ですよね。 はぃ古老などにも尋ねてみます。 ありがとう御座いました。 神社仏閣、お寺の精進料理は、それはそれで素晴らしい世界ですね。 私も伝承に関心があり、思わぬ事実を発見することができます。 お墓や神社仏閣を歩くのが好きですので、すれ違っているかも知れませんね。 ない袖を振り合って。
- comattania
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お墓のあるお寺さんにお尋ねなさい。 過去帳がありますから、お願いすれば調べてくれるでしょう。
お礼
ありがとう御座います。 こんなところで聞くことではありません、ということですね。 お寺にあるお墓ならお寺に聞くでしょうし、お寺さんに聞ける機会や契機、或いはHPのあるお寺であればいいのですがね。 この年齢ですから、平気でどこの門もたたいておりますが、そういうルートはないのですよ。 遺跡や近在にお寺のないところの墓所なんですよ。 簡徳院寒岩霊松居士という戒名で分るように、中世に近い近世の古い系図・系譜の墓所なんです。 どうも北条氏、或いは那須氏に関わるお方のようです。 (1)長盛院殿泉巌玄清大居士 氏重(北条) (2)高徳院殿禅岳泰定大居士 直政 ? (3)慈雲院殿勝岩傑公大居士 氏政(北条) (4)簡徳院寒岩霊松居士 資久 ? は個人の家にある墓所だそうです(あるサイトによる)。 そういうわけで、お知識のある方のお助けをおねがいしているのです。 まことに僭越ですが、私は中学(60年前)から、私の別名を莽翁寒岩と名乗っていまして、莽翁(字の意味もありますが、ドリタラシュトラの盲王も含意しています)。 偶然とはいえ同じ字を使っているので、戒名として意味解釈ができるかどうかの質問でした。 お寺さんに過去帳があることは存じておりますが、それを閲覧したり調べてもらう立場ではないのです。 そういうお願いの方法も存じません。ありません。研究者でもありません、どこにも所属しておりません。 この年寄りですものでずうずうしくも、今まで別件では大抵のところは門をたたき、訪問はしてきております。 comattaniaさまには、どのようにお寺さんを調べ、ご訪問されますか? HPでの、個人の家としか出ていないところをどのように訊ねますか? その掲示板に書いている方を検索などしましたが、どうしても行き当たれないのですよ。
お礼
aananzuさん、有り難う御座いました。 いぇ、とともお素人とは受け取れません。 (一休)宗純さんも道号なんですね。道教の入門名やクラス名ではなく、仏教の字や号なんですね。 寒岩に座して、禅を組むという文言だのありました。 特別に意味を持たせている、所謂るタームではないようですね。 “枯木寒岩によりて”も暖かい人情や人の世界の好き嫌い、欲望などのない。というくらいのものでしょうしね。 どうも一つの美意識や思想の比喩表現のようですね。人を出た感じですね。 そういうものとしていろんな墓碑のお名などの字に使われているのですね。 長年の疑問が漸く納得できました。 簡徳院寒岩霊松居士さんの生前は、あまりどうってことはなく、掲示板にあったので立ち止まりました。 でも“資久”氏が北条氏ばかりでなく、所謂る那須大八郎の那須氏の系統にもお出でになるのを知り、思いが深くなりました。 都城の方面にもあるんですね。 無論、下野なる栃木にも。武将・大八郎と鶴豊姫との話もいつも脳裏から消えません。 倅は薬剤師になってかの下野の国にいっております。 私は浅草から出て、江戸の東のはずれ、真間の手古奈や矢切の渡しの近辺って言うわけです。 有り難う御座いました。