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美人と不美人

美人と不美人 この割れ目のテンションは悪ですか?

みんなの回答

  • heartmind
  • ベストアンサー率14% (32/226)
回答No.13

だから、それいわれるのがそうとうこたえるのです。 わああああああああ。 あらしてるのではありません。 すいません。 もうやめときます。

noname#119332
質問者

お礼

どうも頭が悪くて気が付きませんでした。 退会いたしますのでご容赦ください。 どうもありがとうございました。

  • heartmind
  • ベストアンサー率14% (32/226)
回答No.12

すみません。まったく仰るとおりです。 常識的で小心者のつまんない人間なのです。 なのでこんなところで一角の人間気取りなんだと思います。 失礼しました。

noname#119332
質問者

お礼

いえ、いえ、本当に的を射たいい意味での常識的なご意見が多いので、ここのカテゴリーでも誠実に回答される方がいらっしゃるんだなと思って尊敬いたしておりました。 もうここではでたらめばっかりなので余計そう思えるかもしれないですけれども。 またお時間がありましたらよろしくお願いいたします。

  • heartmind
  • ベストアンサー率14% (32/226)
回答No.11

割れ目のテンションは悪ではないと思います。 割れ目ために生があるといってもかごんではありません。 もっとも悪なのは、割れ目を悪だとする説教臭さです。

noname#119332
質問者

お礼

他のところでもheartmindさんのご回答をよく拝見させていただくのですが、いつも常識的で心がいやされるような気がします。 どうもご回答いただきありがとうございます。

  • miko-desi
  • ベストアンサー率19% (69/352)
回答No.10

>あるべき秩序の「ことわり」の「割り」と悪の発生とは同時的である。 >だから割れ目でないとまずいんですよね。 >始源的な全一の「割り」としての悪 ということになると「ことわ理」で割れ目は「悪」というより 「理性」ですね。 悪の契機は当事者間の清算手段は関係なく、 第三者による客観(理性)により成立するからです。

noname#119332
質問者

お礼

大変貴重な見解をお寄せいただき誠にありがとうございました。 大変参考になりました。

回答No.9

 No.1です。  ★ (No.1補足欄) 例えば、善と悪の落差、この割れ目こそ根源的な悪であり、この悪によってはじめて「死」があらわれ、死と生との間に張りわたされたテンションとしての時間や歴史の意識が発生するのだ。  ☆ ええ 善を逸れる・傾ける・傷つける・ないがしろにする・無くそうとするという悪の発生は そのような意志行為の転換(つまりへそ曲げ)としての落差・割れ目にあるとわたしも考えます。  それが 食べるなと言われていた木の実を食べたということに譬えられエワとアダムの物語にまでなった主題だとわたしも考えます。    人間にとっては おおむねおのれの心に従う意志行為が善でありそれにさからう意志行為が善の損傷でありそれを悪と呼ぶのだと。  この悪すなわち心にさからうというへそ曲がりは おのれの存在の根源〔をもし神だとすればその神〕に対する関係として裏切りとしての罪だということになります。次にも同意します。  ★ この悪によってはじめて「死」があらわれ、死と生との間に張りわたされたテンションとしての時間や歴史の意識が発生するのだ。  ☆ 時間の意識が 善とその損傷状態との落差から生まれる。なぜなら その落差を生んだという意志行為に時が流れたと感じる。つまり善くなかった意志行為が過ぎ去ったことであると自覚する。  そこからやがて 周りの人びとを見ている経験からして われら人間は 移ろいゆく存在であると知る。おのれが時間的存在であることの自覚は その行き着く先が《ただ横になり眠る》のではなく《肉が朽ちて動かなくなりその意味でこの世を去るということ すなわち死ぬこと》だとわれにおしえる。  そしてただしこの時間の知覚ないし時間的存在であることの自覚は ひとに歴史知性の芽生えを得させ これを開かせることになる。  この歴史知性をとおして 相対的な善と悪 あるいは経験合理性にもとづく妥当性というひとつの判断の基準を持った。  ところで 《うつくしさ》・それも殊に異性に対する美の感覚そしてその負(つまり醜)をおぼえる感覚 これについては 《善とその損傷とのあいだに生じる落差》がそのまま当てはまるとは考えません。  明日をも知れぬどうせ死ぬ身だ 飲めや歌えやで行こうぢゃないかという考えには ひとは 成りません。ただの相対的なうつろいやすい《経験合理性》という物指しではあるのですが この判断をおこなう人間の意志行為は その善にとどまる――それについて人間としての能力は限られていると思われますが それでもその――希望は残されていると考えるからです。こののぞみで ひとは生きています。  それと同じように 異性とのあいだの美もしくは要するにその相手の受け容れ如何 これについても 《のぞみ》はあると言ってよいと考えます。  早い話が つれあいになる美人は 世にひとりだということでしょう。この美どうしのむすばれることは 善です。意志行為の一致としての結婚は 善です。ぎゃくに言えば 美人投票のように《もっともわたくしなるもの(その場)》としての心にかなううつくしさから落差をともなった人を美人とするなら そしてその美人を 自分の好き勝手にしようとすれば それは確かに《その割れ目のテンションは悪です》となるとわたしも考えます。    つぎのように述べました。《意を尽くさずにて》という未練がありました。  ☆☆ (回答No.1) ~~~~~~~~~~~   ★ この割れ目のテンションは悪ですか?   ☆ 〔ひとりの美人を得るというおのれの善とそののぞみの道を放ったらかしにして〕そのような見方をする非常識な常識が或る程度はびこっているだろうと考えます。それだけのことだと思います。  ただし もしこのように言うとすれば 《美》があたかも貌と心などに分けて議論されるとしても 《わたしにとっての美人》は おそらくこの世にひとりなのだろうと考えます。そうでないと 美人投票と何ら変わらないことになります。  そうして《もっともわたくしなるもの(その場)》がもし認められないとすれば おそらく世の中はつねに飲めや歌えやで過ぎて行って間違いではないとなります。  意を尽くさずにて。   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  美の判定について美醜のあいだの《割れ目》は それだけでは 悪だということにはならない。まだ知覚もしくは認識の段階にとどまるからです。これをどうにかしてやろうといった意志行為をともなえば 落差があり損傷をともなうでしょうから 悪つまりそのまま善の損傷という事態になります。

noname#119332
質問者

お礼

大変貴重な見解をお寄せいただき誠にありがとうございました。 大変参考になりました。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.8

#8です。 丁寧にご返答いただきありがとうございます。 >さらに説明しても無駄ですのでやめにしておきます。 :色んな意味で懸命なご判断でしょう。   

noname#119332
質問者

お礼

大変貴重な見解をお寄せいただき誠にありがとうございました。 大変参考になりました。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.7

#6です。 >実は「割れ目」でないとまずいんです。 割る=ワル ワル=悪ということなんです。 : そうでしたか。あまり面白くないようですが、いずれにせよ、 「割れ目思うゆえに我あり」とデカルトも言っていますし、(どっちでも)よろしいんじゃないでしょうかね。     

noname#119332
質問者

お礼

「割れ目」という表現を使ったのは落差を問題にしているからなんですが。 でなければテンションなんて言葉は出てこないですよ。 どうも貴重な見解をお寄せいただき誠にありがとうございました。

noname#119332
質問者

補足

あるべき秩序の「ことわり」の「割り」と悪の発生とは同時的である。 だから割れ目でないとまずいんですよね。 始源的な全一の「割り」としての悪という意味なんですが。 さらに説明しても無駄ですのでやめにしておきます。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.6

「割れ目」と言えば、かつて一世を風靡した?「われめちゃん」という女性器の呼称になってしまうので、「分かれ目」の誤植と解釈してお答えします。 これが、あの人は背が高いとか低いとか、あの人は足が細いとか太いとか、などと同等の判断基準に基づいた、あくまでひとつの特徴に対する評価である、という自覚さえあれば、特に問題はないのではないでしょうか。 美人不美人は顔の造作に関しての評価と思いますが、これが女性としての全価値を決定づける要因であるかのように誤解してしまうと、悪の方向に流れやすい道筋を形成する可能性はあるでしょう。 内面から滲み出る美が表情の美醜をも左右する、という事実も見逃せません。 端的に言うと、覇気のある方は、造作に限らず美人に見える、ということです。 おそらく、充実した精神状態が目の光に直接的に影響を与えるためだと思われますが、そのような仕組みに、人体はなっているのでしょう。 美人不美人を、どのように定義づけた上で、その分かれ目を決定するのか、ということによっても違ってくる、ということになるでしょうか。   

noname#119332
質問者

お礼

貴重な見解をお寄せいただき誠にありがとうございました。 大変参考になりました。

noname#119332
質問者

補足

>「割れ目」と言えば、かつて一世を風靡した?「われめちゃん」という女性器の呼称になってしまうので、「分かれ目」の誤植と解釈してお答えします。 実は「割れ目」でないとまずいんです。 割る=ワル ワル=悪ということなんです。

  • miko-desi
  • ベストアンサー率19% (69/352)
回答No.5

一目惚れするか、徐々に惚れていくか。 つまり欺瞞するか、妥協するか。 場数によってもテンションや判断は変わるでしょう。

noname#119332
質問者

お礼

大変貴重な見解をお寄せいただき誠にありがとうございました。 大変参考になりました。

noname#123390
noname#123390
回答No.4

美人と不美人との対立要素は美と醜との有意性に対する価値観の違いによるものですが、その対立自体は単なる感情の行き違い以上のものではなく、自然淘汰による適者生存の法則にのっとれば美人が生き残ることは明らかですし、不美人の巻き返しが自然に反した動きであると考えれば、この対立は無駄な足掻きであるという意味では悪だといえるでしょう。 ご参考まで。

noname#119332
質問者

お礼

大変貴重な見解をお寄せいただき誠にありがとうございました。 大変参考になりました。