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美人と不美人

美人と不美人 この割れ目のテンションは悪ですか?

みんなの回答

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.3

美人と不美人 この割れ目のテンションは悪ですか? ○ 割れ目のテンションが悪であるという表現は「美と醜」ですね。 「美と醜」は「善と悪」や「天使と悪魔」に対応する言葉ですね。 「美人と不美人」は総合的美人の中の分類表現でしかありませんね。不美人も美人の内なんですね。 だから「悪」で仕切るものではありませんね。その場合は「美しいと醜くい」ということです。 芸術的表現では、「悪」は「醜」ですから絵画「モンクの叫び」なんかが「悪」ですね。音楽では「ロック」などが「醜」ですから「悪」ですね。

noname#119332
質問者

お礼

大変貴重な見解をお寄せいただき誠にありがとうございました。 大変参考になりました。

回答No.2

「美人」の定義は簡単だ。 人間の個体が、己の遺伝子(先天的)や経験(後天的)などの 判断基準で、好む傾向=指向性を意味する。 問題なのは「人気があるから好き」という、 自律的な意志のない判断基準を持つこと。 (他律的判断による美人) よって「美人」と「美人でない」の境界線は、 「自分」(認識体)によって定まる。 (善悪は無い) ただし、「人気があるから好き」(他律的判断による美人) をもって、「美人」と「美人でない」の境界線を探るならば、 時代背景などに左右されることで定まる。 つまり善悪の問題より深刻なのは「自分の意志が無いこと」 であり、それは宇宙の終焉へ向かうことを意味するので、 「悪である」と言えるだろう。

noname#119332
質問者

お礼

大変貴重な見解をお寄せいただき誠にありがとうございました。 大変参考になりました。

回答No.1

 こんにちは。  株式(その銘柄)の人気は美人投票だと言われていて その美人投票の美人とは 誰もが美人だと思う人なんだそうです。  ということは 自分が美人だと思う人に投票しないで 平均的人間(?)の心理を気にしながらそれに沿って投票するのだと言います。  ということは 自分が思う美人が〔別に〕いるということを意味します。  たぶん一般に《うつくしさ》というものは やはり私的・個人的なもので 殊に自分が魅かれる異性については おそらく《もっともわたくしなるもの(その場)》なのだと思います。美について大方の見方が一致するという場合にも その一般論に付和雷同しているのではないかといった野暮なことは言いませんが あくまで一人ひとりの《わたし》としての感性つまり美的感覚があってこそ成り立つのだと 当たり前のことを言っておくべきだと考えます。  なぜそんなことを言っておくべきかということについては 絵画と音楽を考えてみれば分かるはずです。評価が高かったり値段が高かったりすることと《わたしの美の眼鏡に合う》こととは 金輪際一致しません。  ★ この割れ目のテンションは悪ですか?  ☆ そのような見方をする非常識な常識が或る程度はびこっているだろうと考えます。それだけのことだと思います。  ただし もしこのように言うとすれば 《美》があたかも貌と心などに分けて議論されるとしても 《わたしにとっての美人》は おそらくこの世にひとりなのだろうと考えます。そうでないと 美人投票と何ら変わらないことになります。  そうして《もっともわたくしなるもの(その場)》がもし認められないとすれば おそらく世の中はつねに飲めや歌えやで過ぎて行って間違いではないとなります。  意を尽くさずにて。

noname#119332
質問者

お礼

聖書を勉強されている方には補足の意味がわかると思うのですが如何でしょう。 どうも貴重な見解をお寄せいただき誠にありがとうございました。

noname#119332
質問者

補足

例えば、善と悪の落差、この割れ目こそ根源的な悪であり、この悪によってはじめて「死」があらわれ、死と生との間に張りわたされたテンションとしての時間や歴史の意識が発生するのだ。 bragelonneさんだけは分かってよ! でないとストレス溜まるから。

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