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秋分の日は23日でしたが、昔の江戸時代などの「秋分の日」はいつだったの

秋分の日は23日でしたが、昔の江戸時代などの「秋分の日」はいつだったのでしょうか。またそのような認識があったのでしょうか?今と違って旧暦だといろいろ日付がかわるようでわかりにくいと思いますので民衆には知られていたのでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • debukuro
  • ベストアンサー率19% (3634/18947)
回答No.1

変わるといってもでたらめに変わったのではありません国の天文方が観測して暦を作っていました 暦は農作業に重要ですから事前に国民に知らされたので混乱はありませんでした 春分秋分は彼岸の中日として認識されていました

hum548118
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございました。最終的に「春分秋分は彼岸の中日として認識されていました」と言うことで一応、納得しました。 尚、他の方のたいへん参考になるご回答もありましたが、一番早かったことでBAとさせていただきました。返事がおそくなってすいませんでした。

その他の回答 (3)

  • nananotanu
  • ベストアンサー率31% (714/2263)
回答No.4

お彼岸なので(お彼岸でもあるので)十分知られていたのではないでしょうか。江戸時代の天文方も日食を当てたり優秀ですよ。

  • takuranke
  • ベストアンサー率31% (3923/12455)
回答No.3

今年の秋分の日は旧暦では8月16日にあたります。 2009年は旧暦では8月5日 2011年は旧暦では8月26日になります。 以降、旧暦では、 2012年 8月8日 2013年 8月19日 2014年 8月30日 2015年 8月11日になります 江戸時代のカレンダーで大小暦というのがあり、売買は土御門家が厳しく取り締まっていたので、基本的には贈答用(今でも年末の挨拶にカレンダー配る習慣はこれが元だと思います)とされていました。 待ち遠しいと思っている人もいたようです。 現在とは違い、大小暦には占いが書かれていたり、判じ物(文字や絵に、ある意味を隠しておき、それを当てさせるようにしたもの)や双六など趣向を凝らしたものが多くありました。 (大小の絵の部分が、錦絵となり浮世絵に発展したそうです) 現在から見れば、29.5日周期(月の満ち欠け)を元に大の月・小の月を決定し、朔(新月の瞬間)の日付によって毎年変わるのと閏月が加わる年もあったので不便のように見えますが、当時は大小を見ればすぐに判ったそうなので、不便とは思っていなかったと思われます。

  • born1960
  • ベストアンサー率27% (1223/4397)
回答No.2

 旧暦は月の満ち欠けで暦を作ります。 月はおよそ29.5日で満ち欠けしますので、一月を30日や29日で計算していたそうです。 しかしそれじゃ一年が354日ほどになってしまうので、3年に一度一年を13ヶ月としていたそうです。  暦についてはここを http://www.ndl.go.jp/koyomi/rekishi/03_index_01.html

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